goo blog サービス終了のお知らせ 

おもむくままに * 白梅の道

辿ってきた道
創っていく未来
我が道を行く

うましうるわし奈良 * 三輪山

2016-04-27 10:03:06 | お役目
正月。

伊勢参りから戻ると

「オオクニヌシとアマテラスの共存する世界」

と耳にしました。

伊勢(伊雑宮)・三輪山・出雲に行くのだな・・と。



昨年からの

大国主命様のど太い綱の導きを頂いて

謎解きの旅が続きます。



あっ。

書いていて思いました。

探しながらではないんだ。

ただその綱を辿っていくだけでいいんだ。




三緒の神奈備 三輪山

大物主大神が鎮まる神の山

無事に登拝を済ませることができました。



三輪山の神語り

 「おだまきの糸」


大物主大神と活玉依毘売(イクタマヨリヒメ)を繋いだのが

日本古来の糸・大麻の糸だということです。

赤土に染まった糸から

定められた男女の小指は、赤い糸で結ばれているという

「赤い糸伝説」は言い伝えられていたのですね。

日本古来の麻・大麻の糸が

人と人を結ぶ、天と地を結ぶものとして

伝説の中に確かに残されていることを

とても嬉しく思うのです。



  * 大物主大神は大国主神の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)




うましうるわし奈良 * 名前

2016-04-26 06:28:21 | お役目
夏に生まれたので なつみ

夏海・・菜摘・・

音が決まり、文字を考えあぐねていた時である。

 奈良の都の美しさ

と浮かんできたのだった。

奈良には、縁もゆかりも持たないわたしたちではあったが、

すんなりと“奈都美”と決まった。

多くの事を味わわなければならなかった娘ではある。

この子が三つの年、わたしは自分を封印した。

そして、この子も十の年、それを鎮めた。

翻弄される無知を過ごし

時間をかけて・・時間をかけて

来る時を待った。

「こう!生きたい」と思えるだけの

自活する能力と意志を持つ今を

やっとやっと迎えた。ようだ。


「一緒に旅行に行こう」と娘から誘いがあった。

「奈良」に行きたいのだという。


小躍りするような、身震いするような驚きだった。

いよいよ鎮めたものを解き放ち、

本道に戻った娘のこれからの人生の扉の開扉を

救世観音・・我が愛しの聖徳太子様に委ねる思いだった。











うましうるわし奈良 * 救世観音

2016-04-25 05:54:05 | お役目
あぁ麗しの

あぁ愛しの聖徳太子様

今年もまたお逢いすることができました。

貴方様に伺いたいことが山ほどありますのに

お顔を見るだけで言葉になりません。





聖徳太子の等身大といわれ太子を供養するために造立された法隆寺の夢殿の御本尊。


    救世観音御開帳 春季4月11日~5月18日

               秋季10月22日~11月23日




救世は「人々を世の苦しみから救うこと」であり、救世だけで観音の別名ともされる。

救世観音の名称の由来は「法華経」の観世音菩薩普門品の中の"観音妙智力 能救世間苦”との表現にあると推測され、

法華経信仰が平安時代に盛んになったこと、さらには聖徳太子の伝説が付帯されることで、

この尊名が生まれ、民間で定着したと考えられている。

                          ウィキペディアより





<過去記事>

法隆寺

法隆寺 2

法隆寺 3

法隆寺 4

法隆寺 完




富士山の誕生日

2016-04-13 07:05:28 | お役目
山宮浅間神社 「初申祭」

に行ってきました。

日本で唯一

富士山自体を「神」として祀った

古代からの富士山信仰を留めた神聖なる神社。

今年の初申祭は

申の年の申の日。

申の年の申の日に生まれた富士山。

誕生の祝い日です。


雅楽の音にのる

巫女の舞は

古に誘うのでした。

時代は変わっても

脈々と受け継がれた神事は

護るべき方たちの手で

護られていることを

知るのです。


 

恭しく運び込まれた剣。

伺ってみますと

この剣の中に神様にお入りいただき

富士山本宮浅間大社からお越しいただくのだそうです。

木花咲耶姫命さま。

そして

父神・大山祇神さまと姉神・磐長姫命さまもご一緒でしょうか?

それにしても

剣?

ここ山宮浅間神社は

「日本武尊」が「富士神の加護を得たので富士神を祀った所」

といわれている。そうで、

日本武尊といえば草薙剣。

まぁ、どれもこれもわたしの想像の域ですので

不確かなものです。

こんな想像が、次への、“知りたい”気持ちをかき立てるのです。





文化財保護のため

普段は遥拝所の玉垣内に入ることができません。

久しぶりに踏み入れたここの空気は

やはり、とても身の引き締まるものでした。

ましてや

神事の後の澄み切った場。

すーっと

吸い上げられてしまいそうな気がしました。

これを

“神妙”というのでしょうか。


















おもい

2016-04-12 06:44:09 | お役目
基礎を学んでいるから

知っているから

応用が利く。

基を辿らなかったものを

おいそれと鵜呑みにするわけには

いかない。





思想的なことは特に。


そして

感覚程あてにならないものはない。

生きて身に着けた癖の上にある

感覚など

他者に対して使うものではない。


どれだけ身を削いで

その基を見ようとしたか。


そして

それは

定められた者

でしか踏み込んではいけない道だと思う。



古臭いと思う。

何を言っているのかとも思う。

であろうと

脈々と続く不変のものを信じることしかできない。

それは

ずっとずっとどの時代にも絶やすことなく

人が信じ、大切に守り継がれたものだから。


新しい時代の新しい手法は

ここを知る人が

新しい時代を担う新しい人々に

伝えていく為に作られたのだと

信じたい。





前へ前へと急ぐ前に

自分の基を

確認したい。

古臭い石頭の中の

先人の叡智を

口煩く話し続ける

者であろうと思う。