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おもむくままに * 白梅の道

辿ってきた道
創っていく未来
我が道を行く

旅 追記

2016-03-17 09:54:49 | お役目
ひとり旅で知る。



掘り起こすということ。

もともと

自分の血の中にある

眠っていた

鎮まっていた

沈め込んでいた

モノが

顕著に浮き上がってくる。


訪ねる先もそう

そこで出逢う人もそう。

そこにいる自分は

とても自分の思いに素直なのだ。


動かなければ

独りでいなければ

気付かずに

見過ごしてしまう。





非日常の中に

自分を見るのかもしれない。

ここに暮らす自分もいて

そこを歩く自分もいて

今を生きる自分がいて

過去にそこに座る自分もいる。


今というのは

自分史の中を縦軸移動したときに

今という点に

過去も現在も未来も

同時に存在していることを認識する。


縦軸移動の中で

確実に

私は、姿形を変え

環境も状況も違う中で様々を味わい。

今という、点の自分を形成する。



縦軸移動する

来年の今日この時間の自分が

楽しみである。


           ひとり旅は続く。









旅 完

2016-03-15 10:23:47 | お役目
抱きしめ手を携えながらいきたいのです。

後ろから手を広げて見守っていたいのです。

疲れたら、帰ってくる巣で在りたいのです。

母親ですから。


けれども

子だからこそ・・個だからこそ

目が認識するこの肉体と関係性を取り除いたとき

いつまでも

わたしが産んだ子供

という観念を捨ててしまわないことには

魂の関係性を解釈できないのです。


  もちろん

  私の場合は、子らは既に自活する年齢になっているからこそ

  そして、私のこの年齢と置かれた環境が

  この解釈を成り立たせているのですが。


寂しいかな

ひとり旅の

私自身の孤独への自信が

こんなことまで思わせてしまいました。



読み返し思い起こすと

神という親と、人間という子の中に

既にそれを見ていたようです。



バックナンバー

事の急 1





裏伊勢とも称される

日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社

および宗像三女神を祀る神社の総本社・宗像大社

ここを訪れることは

私のこれまでへの訣別と

辿り着いた本道の入口を見せていただくためだった。

と思えてなりません。








               完







2016-03-14 07:51:11 | お役目
ひとり旅が多くなりました。

チャンスや“その時”というタイミングを

逃してはいけないとなると

“ひとり”という選択が残るのです。





この行動の中で得るものは

計り知れない整理と振り返りと生まれ変わりに繋がってゆきます。


全ての人に等しく与えられた“変化”。

そのスピードや環境はそれぞれのもので

たとえ

親子であろうと友であろうと

“共有”はないのだと思い知らされます。

変化を受け容れ、次に進む。

自由と自在は瞬間の寂しさとの引き換えなのだと思う。


「孤独を味わう」という魂のスタイルを選択した

私に与えられた方法なのだろう。

その「孤独」がわたしの役割を全うするために

必要なものであることを納得せざるを得ない数々の出来事の果てに

今があるとしたら

それは「孤独」から得た「孤独を楽しむ」心の在り方を

身に着けたのだろうと思う。


気が付けば

変わりゆく場面のなかで

ひとりではない

ことを強く思うのである。


編んで行く縄は太く固く結ばれていた。



            続きは また今度


初申祭 完

2016-01-29 09:17:47 | お役目
誠に幸せなことで

毎日毎日、富士山を見ることのできる土地に暮らしております。

新幹線に乗った時、車窓に飛び込む富士山の姿に

感嘆の声が上がるのを、事嬉しく眺めています。





山宮浅間神社には、お社がありません。

建立の折り、大風が吹いて飛ばされてしまった。

自然の力に阻まれて、建てることができなかったということです。



遠くからも“福慈神”を拝む『遙拝』が富士山信仰の起源

富士山の信仰は、その美しさからはじまったわけではありません。

富士山が噴火していた昔、そのあまりにも激しく吹き上げる火焔に、当時の人々は怒る神の姿を重ねていました。

静岡県富士宮市には、縄文時代中期の遙拝祭祀場跡と思われる遺跡が見つかっていて、

いにしえより噴火する富士山に畏怖の念を抱いていたことが分かります。

「遙拝」とは、遠く離れた場所から拝むことで、

それこそ富士山には近づけないために神聖な場所を選び祭祀場とした
のでしょう。

山宮浅間神社(富士宮市)では、拝殿や本殿がない遙拝所として当時の面影を残しています。

いつしか「福慈神(ふじのかみ)」と名付けられた富士山の神霊は、

平安期に「浅間大神(あさまのおおかみ)」と呼ばれるようになります。

その頃の富士山は荒れに荒れており、鎮めるために山麓に浅間大神を祀ったのが、

富士山本宮浅間大社のはじまりと言われています。

朝廷内でも富士山の噴火は重く受け止めていました。

浅間大神の階位を「明神」から「従三位」さらに「正三位」へと短期間に上げていることからも、

焦りのようなものが感じられます。

                世界遺産 富士山とことんガイド HPより


山宮浅間神社には、当時を彷彿とさせる風景がそのままに広がります。

ボランティアガイドの

「今年の初申日は、申年の申の日だよ」

「富士山のお生まれになった年回りだよ」

ということで、調べてみました。



4月初申日(浅間大社 社殿・山宮浅間神社)

縁の深い初申の日に本宮・山宮両社を参拝し、豊かな稔りを祈る祭りです。

古くは大祭礼とされ、山宮へ御鉾を渡御する御神幸があるなど、盛大に行われました。

これは山宮から本宮へ遷座した時をしのぶものと見られています。

この祭儀は明治初期を最後に行われず、長く両社の参拝のみとなっていましたが、

平成18年、大宮鎮座1200年を記念し復興されました。

山宮は社殿が無く、正面の古木・磐境を通して富士山を直接拝する古代祭祀を伝える神社です。


「初申祭(はつざるさい)」と親しまれる例祭日。

その縁起について以下に示します。

社記によれば六代目天皇にあらせられる孝安天皇九十二年の年に、

それまで雲霧に包まれていた富士山が忽然とそのお姿を現したと伝えられています。

その年が「庚申」の年であった為当神社では古くより申の年、申の日を縁起として祭礼を行って来ました。

特に六十年に一度巡り来る「庚申」の年は「御縁年」とし式年大祭を執り行っています。





庚申は陽性の金気が充満する日ともいわれ、

このことから商売や相場など、お金に関わる物事を行うのによい日とも

されているのだそうです。

山宮浅間神社 初申祭り 2016年4月8日



                    完



初申祭 1

2016-01-28 07:54:31 | お役目
先日

身延から朝霧に抜け西富士バイパスを下るドライブの途中

年末に一人詣でた 山宮浅間神社 に案内することになりました。


山宮浅間神社に向かう道を走っていくと

正面に雄大な姿の富士山を仰ぐ形になるのですが、

遥拝所から拝する富士山は、古木の間に納まってしまうという

この不思議な感覚を幾度となく味わってきたのです。

現在は文化財保護の為遥拝所の玉垣内へは入る事ができませんので

今一度の確認はできないのです。残念ながら。






山宮浅間神社


信仰の山としても歴史的・文化的に高い価値があり、

富士山頂及び富士山周辺にある富士山信仰の関連施設及び関連遺跡などが、

一括して『史跡富士山』として平成23年2月に国史跡に指定
されて以降でしょうか

ボランティアの方が説明をして下さいます。

伊雑宮でもそうでしたが、

地元の方々のお話を聞けるというのは、

今まで以上に深く識るということに繋がります。

この神社を知ったのも

富士宮に住む友人が連れて行ったくれたことが始まりでした。

この友人を見れば

地球のへそ、宇宙との交信アンテナといわれる富士山を

護るべき役割の人たちが配置されているのだ。と感じます。

大事に大事に思い護る気持ち。


こうして

書くことが、もしかして

御利益主義の流行ものとしての人寄せに

なってしまうのかも知れませんが、

時は

鎮められたもの隠されていたものを

様々な出来事によって

表に出そうとしている。

そう、思えてなりません。




         続きは また今度