矢沢宰のことは、4回ほど前に,「中原,土井,矢沢」を書いたとき,書きもらしていました。
私は、彼が現代詩の中でどんな位置にいるのか、見当もつきません。ましてや、彼の詩をたったひとつしか知らないのです。
なぜ彼を思い出したか・・つい最近、毎朝読んでいる新聞で、『第15回矢沢宰賞』の入選作が決定したとの記事を見つけたからです。(・・矢沢宰は新潟県の人です。)
夭折の詩人矢沢にふさわしく18歳未満の青少年であることが応募資格であり、本年は、1421人から応募があったとのこと。
さて、私が知る詩は「さびしい道」といいます。なぜ矢沢を、なぜ「さびしい道」を知っているか、そのことについて書きます。
遠い昔、交際を申し込んだ人がいました。そう、高校1年の晩秋。
中高一貫私立の男子高、(当時は)関西人なら誰もが知る進学校。・・下から数えるのが早い劣等生。野球部の部活も中学でリタイア。そろそろ迫る大学受験。なんともいえぬ閉塞感があったのでしょう。それを払拭するために欲した男女交際(笑) だったかな。
同い年のある女性に小学校卒業以来,久しぶりに会って,俗に言う交際を申し込んだのですが・・。聡明な,優しくて,それでいて,芯が強そうな,そんな彼女がとても・・好きでした。
再会して数日後に彼女から手紙がきました。結果は,いわずもがなの没でした。・・・やんわりお断りというやつですが。笑。
でも,小学校当時,やはりというか,お互いの思いが一致していたことは,確認できました。今で言う以心伝心の二人だったのでしょう。・・
で,文面の最後に,この詩が添えられていました。
〈さびしい道〉
この道を行くと
どこへ行くのか私は今
知らない
でも私はどうしても
どうしても
どうしてもこの道をゆきたい
身も心もはりさけそうな
さびしい道
誰も寄りそうてきてくれそうにない
この道
でもやっぱりこの道を行きたい
そういえば,文学少女の香りが少ししていた・・鳴井千恵美という名前の彼女。
どうして矢沢を知ったのだろうか。今、矢沢の年譜を見ると,当時は,亡くなってから約10年後のことです。この詩は,彼が18歳のときに書いたもののようです。
彼女は,どんな気持ちで「さびしい道」を手紙に書いたのだろう。読み返すたびに、違う考えが浮かびます。こうだろうか,いや違う。あれも違う。。と何度も何度も考えたことを思い出します。
阪急電車京都線のある駅から,お互いの家への道が分岐する場所まで,話をしながら歩きました。そう,実時間にすると10分くらいかな。
その時の,ちえみさんの細かな表情は,もうあまり思い出せない。ただ,優しげな表情はそのままで。この人は,変わっていないんだな。。と,すっと感じました。
そう,それで,小さいころには,広い道だと感じていた「ふたり」で歩いたその「道」は,高校生の私には狭く感じられて,分岐までの距離が,思いのほか短く感じたこと,それだけは,はっきり覚えています。
最後のT字路で,なんと言葉をかけたのか。かけられたのか。「じゃあ」,「また」,「どうかな」,「返事書くね」。。今となっては思い出せない。でも,それで・・いい。
同じ言葉をはるかはるかな今言へどのどぼとけあり息のまんとて(未)
私は、彼が現代詩の中でどんな位置にいるのか、見当もつきません。ましてや、彼の詩をたったひとつしか知らないのです。
なぜ彼を思い出したか・・つい最近、毎朝読んでいる新聞で、『第15回矢沢宰賞』の入選作が決定したとの記事を見つけたからです。(・・矢沢宰は新潟県の人です。)
夭折の詩人矢沢にふさわしく18歳未満の青少年であることが応募資格であり、本年は、1421人から応募があったとのこと。
さて、私が知る詩は「さびしい道」といいます。なぜ矢沢を、なぜ「さびしい道」を知っているか、そのことについて書きます。
遠い昔、交際を申し込んだ人がいました。そう、高校1年の晩秋。
中高一貫私立の男子高、(当時は)関西人なら誰もが知る進学校。・・下から数えるのが早い劣等生。野球部の部活も中学でリタイア。そろそろ迫る大学受験。なんともいえぬ閉塞感があったのでしょう。それを払拭するために欲した男女交際(笑) だったかな。
同い年のある女性に小学校卒業以来,久しぶりに会って,俗に言う交際を申し込んだのですが・・。聡明な,優しくて,それでいて,芯が強そうな,そんな彼女がとても・・好きでした。
再会して数日後に彼女から手紙がきました。結果は,いわずもがなの没でした。・・・やんわりお断りというやつですが。笑。
でも,小学校当時,やはりというか,お互いの思いが一致していたことは,確認できました。今で言う以心伝心の二人だったのでしょう。・・
で,文面の最後に,この詩が添えられていました。
〈さびしい道〉
この道を行くと
どこへ行くのか私は今
知らない
でも私はどうしても
どうしても
どうしてもこの道をゆきたい
身も心もはりさけそうな
さびしい道
誰も寄りそうてきてくれそうにない
この道
でもやっぱりこの道を行きたい
そういえば,文学少女の香りが少ししていた・・鳴井千恵美という名前の彼女。
どうして矢沢を知ったのだろうか。今、矢沢の年譜を見ると,当時は,亡くなってから約10年後のことです。この詩は,彼が18歳のときに書いたもののようです。
彼女は,どんな気持ちで「さびしい道」を手紙に書いたのだろう。読み返すたびに、違う考えが浮かびます。こうだろうか,いや違う。あれも違う。。と何度も何度も考えたことを思い出します。
阪急電車京都線のある駅から,お互いの家への道が分岐する場所まで,話をしながら歩きました。そう,実時間にすると10分くらいかな。
その時の,ちえみさんの細かな表情は,もうあまり思い出せない。ただ,優しげな表情はそのままで。この人は,変わっていないんだな。。と,すっと感じました。
そう,それで,小さいころには,広い道だと感じていた「ふたり」で歩いたその「道」は,高校生の私には狭く感じられて,分岐までの距離が,思いのほか短く感じたこと,それだけは,はっきり覚えています。
最後のT字路で,なんと言葉をかけたのか。かけられたのか。「じゃあ」,「また」,「どうかな」,「返事書くね」。。今となっては思い出せない。でも,それで・・いい。
同じ言葉をはるかはるかな今言へどのどぼとけあり息のまんとて(未)
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