九運久運の筑波山彷徨録

筑波山や近くの公園を気息奄々の足取りで歩いた備忘帳

瑞祥院と五百羅漢と江戸崎七景を訪ねて。

2015年07月17日 | ぷらっと・名所旧跡
6月18日(木)稲敷市(旧江戸崎町)にある瑞祥院を見学に訪れました。

「消費期限」も過ぎて、薄っすらとした記憶の投稿記事ですが、記録として残したいと思います。

自宅からは県道25号線(土浦稲敷線)を走り、大きなスーパーマーケットを左側に見て
稲敷(旧江戸崎町)市内に入りました。




市道沿いにある瑞祥院専用駐車場の一番奥に停め、歩き出します。
順路案内が立っていましたが、いったん市道側に出て参道正面に回りました。






  
参道入口にはひょうたん池があり、その中央に架かる橋を渡り境内に進みました。
石橋は、天保十四年(1843)に江戸崎出身で江戸大商人・伊勢屋宇兵衛が寄進し、
架けた石橋と云われています。





  

 
寺号標など石柱が建つ正門をくぐります。
右側には「不許葷酒入界内」と刻まれた石柱がありました。
普段よく目にする「クンシュサンモンニイルヲユルサズ」の
注意書きですが、この時の私は大丈夫でした。






境内に入るとすぐ左側に、江戸崎町教育委員会が設置した瑞祥院解説板がありました。
簡単明瞭で解り易く書かれてありました。





  
まずは本堂にお詣りをしました。ご本尊は阿弥陀如来様です。
山号・寺号・開基・開山は解説板通りですが、色々な信仰の場として栄えたお寺様と云います。
本堂の棟続きには趣きのある客殿・庫裏が並んで建っていました。
丁度この時は、石工事の作業中でトラックが数台停まっていました。




 
虚空蔵堂。

 
虚空蔵堂の傍にはある板碑と大乗妙石仏。
瑞祥院では民間信仰として虚空蔵信仰が一番盛んに行われたと云います。






大師堂。




境内を散策してから、一旦駐車場がある東側まで戻り、子育観音堂にお詣りをしました。





子育観音堂の左側にある金毘羅宮の石段を上ります。




 
金毘羅宮。
石段を上り、見晴らしの良い場所に祀れてありました。
昔は「象頭山のこんぴらさん」と云い、毎月十日の縁日には
大勢の人で賑わったと云われています。



 
見晴らしの良い高台から三峰山神社を右に見て良く整備された竹林を進みます。




 
羅漢山の念仏堂と五百羅漢解説板。

  

  

   
五百羅漢。
「むかし江戸崎のある村に和七という少年がいた。和七の家には、働き者の両親、
 気立てのよい姉、それに生まれつき目の見えない兄がいた。物知りで、近所の
 村人も、分からない事があると兄に相談していた。あるとき和七は、兄の開眼を
 念じて厳しいお寺参りの修行に旅立った。苦しい修行を経てそろそろ足かけ十年と
 いうある秋の夜、不思議な夢を見た。夢枕に金色に輝く薬師如来が現われ、
 「そのほうの行いは、まったく感心なことじゃ。よくここまで辛抱したのう。
 おまえの願いは確かにかなえようぞ」と告げ事があり急ぎ故郷目指した。 
 兄の目がすっかり見えるようになっていた。「なにもかも。仏様のおかげ。
 お礼に仏様と人間の間にいるという羅漢様を五百体つくってまつろう」と
 和七は、江戸崎周辺や下総の国をかけずり回り、たくさんの人々の協力を得て、
 五百体の羅漢様を瑞祥院の裏山にまつった」と書かれてありました。

稲敷市内を望める高台に、現存する493基の羅漢像は壮観そのものでした。
また豊島和七が発願した安永九年(1780)から文化元年(1804)の
24年間の歳月には、当時の歴史の流れと重さを強く感じました。




 
五百羅漢を見学したあとは、瑞祥院本堂裏に続く竹林を下りました。
こちらが入口のようで、五百羅漢再興記念塔碑や羅漢像が並んでいました。









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