『天正5年(1577)文芸和尚は、矢波村に一字を建立し、高徳寺と称した。同13年木舟城主前田秀継夫妻の死去に際し、供養を依頼され、その功に対し、翌14年今石動に寺領の寄進を受け、秀継の戒名端光院殿蜜庵永伝大居士により、曹洞宗真光山永伝寺と改称した。(松本正雄・松本公英「写真集 明治 大正 昭和 小矢部」㈱図書刊行会 から引用)
前田秀継は前田利家の弟です。大正13年11月29日(1586年1月18日)に大地震「大正地震」が発生し、これによって木舟城(高岡市)に居た秀継夫妻と多くの家臣が生き埋めになって圧死しました。城の地盤は三丈(約9m)も陥没して崩壊し、遺体が見つかったのは3日後事だったと言われています。後の発掘調査によって城下町には地滑りの跡や、液状化もみられたそうです。利秀は木舟での復興を断念し、今石動に城を構えました。
正直、富山にいれば地震の大きな被害にはあわないだろうと安心していたのですが...
425年前にM8に近い内陸最大級の地震の被害にあっていたとは...
今石動の城下町の成り立ちに大地震が関係していたとは、驚きです。
永傳寺の参道には 三十三観音石仏 が並んでいます。
読売新聞主催、遊歩百選「一生に一度は訪ねてみたい百ヵ所」にも選ばれました。
梅雨の小雨にしっとりと濡れた石仏の前には、紫陽花がたむけられていました。
横たわった姿の「涅槃仏」も少しひんやりしています。