いするぎ便り

歴史を求めて季節を感じて…
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「巴御前と火牛の計~水巻四郎物語~」上映会

2011-11-28 | 日記

おやべ情報発信委員会制作の短編映画「地元の部将シリーズ第2弾 水巻四郎物語 巴御前と火牛の計」の完成上映会(11/18 in クロスランドおやべ)に行ってきました。

 

上映を前に出演者・スタッフの挨拶&トークがありました。

 

初めに、監督の白川克則さんから猛暑の中での撮影や衣装や小道具を手作りした苦労話が披露されました。

次に、脚本の山崎康子さんから、映画では倶利伽羅合戦由来の芸能の紹介、巴御前と地元武将水巻四郎の合戦での活躍、また巴御前が晩年、義仲を弔う姿を描いたとの事でした。「小矢部にあるこれらゆかりの地をぜひ訪ねてみて下さい。」と話されました。

引続き、監督から出演者が紹介されるなか、巴御前を演じたのは、倶利伽羅不動尊寺、先代住職の三女・五十嵐淳子さん。「思い入れが強かった巴御前を演じることができ光栄です。」と挨拶されました。

他の出演者の方からも「地元の素晴らしい武将・水巻四郎を知り誇りにして欲しい。」との熱い思いが語られました。

 

映画上映会、一本目は、昨年制作された「蟹谷次郎物語」。

そして新作短編映画「地元の部将シリーズ第2弾 水巻四郎物語 巴御前と火牛の計」を観賞しました。

映画では地元の部将・水巻四郎親子が地元の牛飼いを説得し牛を調達し、険しい倶利伽羅峠を巴御前の軍勢の道案内をした事が描かれていました。そして、その牛飼い役は、なんと桜井市長!会場がざわめきました。

≪牛飼いによって大切に育てらた牛は従順で家族も同然、その牛を合戦に差し出すのは断腸の思いだった。石川県津幡町の上河合地区には牛の供養が由来だといわれている「牛舞坊 ~うっしゃいぼう~」が伝わっている。≫映画で初めて知りました。

「牛舞坊」は農具の箕を牛頭にみたてた獅子舞で、哀愁をおびたショウや琵琶の囃子にのせ、舞い踊るそうです。

立身出世のためではなく国の為に戦うと戦勝祈願した義仲。その義仲を支えた巴御前と、彼に味方した地元の部将たち。

「平家物語」や「源平盛衰記」で描かれているだけではない、違った側面からの倶利伽羅合戦をみることができる映画でした。

 

最後にもう一人の特別出演者の紹介です。

それは、巴御前がまたがった木曽馬の「春姫」。まさにピッタリの配役!木曽馬は戦国時代に大活躍したそうです。

春姫には富山市ファミリーパークで会えます! 

おやべ情報発信委員会はこちら→「おやべメルヘン玉手箱」


観音寺<獅子庵~各務支考~ ・ 延命地蔵~立山信仰~>

2011-11-18 | 旅行

小矢部市商工会女性部の皆さんと観音寺を訪れ、ご住職のお話を伺いました。

 

お寺の歴史や真言宗の教えについてのお話を伺いました

 

不動明王

 

三十三観音像

 

観音寺は白鳳7年(678)法道上人の開基。真言宗のお寺で、北陸三十三ヶ所観音霊場の第26番になっています。

空海(弘法大師)が観音寺に一泊の折、夢でお告げを賜わり、自刻の観音像を安置したといわれています。天正17年(1589)、今石動城主・前田利秀の寺院集中策により現在地に移りました。

護摩を焚くため黒褐色になったという観音堂は神仏分離で廃された倶利伽羅の長楽寺から移築されたものだそうです。本堂は明治初期、廃仏毀釈によって伏木の国泰寺から移築されたもの。延命地蔵は、信州松本から立山信仰の中心地として栄えた芦峅寺に寄進され、神仏分離で倶利伽羅の長楽寺に移され、さらに明治9年(1876)に観音寺に移されたそうです。お地蔵さんの体には、信州松本の立山信仰の信徒さんの名前が3,000余り刻まれています。

また、芭蕉十哲の一人・各務支考が自ら死んだと言いふらし、姿を隠し、正徳5年(1715)から観音寺に滞在しました。享保2年(1717)には、お寺の中庭に獅子庵を建て享保5年(1720)まで滞在しました。

 

観音堂(後)・延命地蔵(左)・各務支考の句碑(右)「蝉の羽も 暮れて杉間の 月ほそし」

 

  

 


乗永寺鐘楼堂<一向一揆 ―鶴丸紋―>

2011-11-11 | 旅行

クロスランドおやべの近くにある、乗永寺を訪ねました。

開基は、正応3年(1290)、乗専坊。真宗大谷派の古刹です。

 応仁の乱の後、勢力を強めていった浄土真宗は農民や士豪的武士を中心に各地で一向一揆を起し、越中では文明11年(1479)頃から瑞泉寺と土山御坊(後の勝興寺)の門徒らが中心となり越中一向一揆を起しました。当時の勝興寺の勢力は大名にも匹敵するといわれています。天正4年(1576)、浄土真宗本願寺派勢力(一向一揆)と小田信長との戦い「石山合戦」が勃発。11世慶善が参戦をしたその留守中、乗永寺は木舟城主・石黒左近により焼き討ちにあいます。石黒左近は後に、住職が石山合戦に参加し留守中の勝興寺を焼き討ちした人物です。

過去ブログもご覧下さい。→勝興寺石動通坊<歴史に幕を閉じる古刹>

 その後、宝暦8年(1758)に現在の場所に本堂や庫裏が再建され、鐘楼堂は、翌年、真宗大谷派の大刹・城端別院善徳寺より移築されました。鐘楼堂は天正10年(1582)作の小矢部市内で最古級の建造物(小矢部市指定文化財)の1つです。移築された理由はわかっていませんが、鐘楼堂の屋根の蟇股には一向一揆衆に用いられた旗印「鶴丸紋」があります。

 

鐘楼堂

蟇股・「鶴丸紋」


紅葉・倶利伽羅峠<歴史国道 ―旧北陸道―>

2011-11-04 | 日記

倶利伽羅峠紅葉を写真に収めてきました。

ドライブコース 「源平ライン」(全長 約4.5 キロメートル)を走行しながらの撮影です。

観光ビュースポット「宝達山を望み、稲葉山が見える」から撮影しました

 

砺波山源平古戦場が一望できます

 

奥にみえるのは倶利伽羅不動尊寺の屋根です。手前の紅葉は色づきはじめでした。

 

紅葉はこれからが本番のようです!

倶利伽羅峠にはドライブコースの源平ラインのほかに、歴史国道に認定された旧北陸道があります。

歴史国道・旧北陸道は、万葉の歌人・大伴家持が通り、平安時代には源平合戦の舞台となり、江戸時代には芭蕉が旅をし、参勤交代の街道となりました。現在、倶利伽羅峠の旧北陸道はハイキングコース「ふるさと歩道」として整備されています。

いにしえから変わることのない自然の中、時の旅人となって、ふるさと歩道の途中にある歌碑や史跡を巡ってみてはいかかがでしょうか。

詳しくはこちら→倶利伽羅県定公園パンフレット(小矢部市観光協会)

 

倶利伽羅古戦場へは小矢部市観光周遊バス「義仲・巴号」(無料)を利用することもできます。

詳しくはこちら→小矢部市観光周遊バス「義仲・巴号」(小矢部市観光協会)

 

どうぞ、秋の倶利伽羅を満喫して下さい!!