いするぎ便り

歴史を求めて季節を感じて…
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皆様、良いお年を! 

2011-12-28 | 旅行

大晦日、寺のまち石動では、いくつかのお寺で除夜の鐘が撞かれます。

除夜の鐘は人間の煩悩の数を表わす数、108のうちの107回が年内に撞かれ、

最後の1回は新年になってから、今年一年、煩悩に惑わされないようにとの願いを込めて鳴らされます。

特別な事があった2011年、除夜の鐘を聞き気持ちを新たにして新年を迎えたいものです。

 

石動にあるお寺の多くは浄土真宗のお寺です。 

浄土真宗中興の祖 蓮如上人 の手紙「白骨の御文章」に


「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。」

  ―朝には元気であった者も夕方には死んで骨になるかもしれない。―

 

という有名な一文があります。

蓮如上人は続けて、
『人間の生命のはかなく、老人であろうと、若者であろうと、死ぬときの定めがない境涯であるから、誰でもはやく、後生を一大事と思って、阿弥陀仏を深くお頼みして、念仏を申すべきである』(藤村義彰「浄土真宗名句辞典」国書刊行会)としたためました。


命の尊さを改めて感じた今だからこそ、自分を見失わず、人生を丁寧に生きていきたいと願います。

 

観音寺では1月1日、2日、3日に「大護摩祈祷会」が行われます。

こちらもご覧下さい→ 観音寺<獅子庵~各務支考~ ・ 延命地蔵~立山信仰~>

クリスマス寒波で、大護摩祈祷が行われる観音堂は雪に覆われていました

弘法大師も延命地蔵も雪を被ってらっしゃいます。

 

愛宕神社には初詣の看板が設置されています 

 

今年もあと少しになりました。

 

ブログをご覧いただきありがとうございます。

どうぞ来年も宜しくお願い致します。

 


「2011 メルヘン小矢部フォトコンテスト」入賞作品・ライトアップ

2011-12-22 | 旅行

「2011 メルヘン小矢部フォトコンテスト」の入賞作品が発表されています。

こちら→小矢部市観光協会HP

どれも素晴らしい作品です。

美しい自然・メルヘン建築。心和む一枚。

一瞬の表情をとらえたベストショットに、こちらも思わずむ微笑んでしまいます。

(私も、こんな写真を皆様に紹介できたらいいのですが・・・)

 

明日からの三連休、富山の天気は雪&暴風雪です。(涙) 

ホワイトクリスマスになりそうです!

きっと今年は、大切な人と過ごせることに感謝するクリスマスになるでしょう。

(個人的には宗教に寛容な日本人に賛成です。)

 

津沢支所のスノーマンです

小矢部支所の会館に出現したツリーです


道林寺<明治天皇北陸行幸>・龍王寺

2011-12-16 | 旅行

かつての旧北陸道にあたる商店街の大通りを進み、商工会前の交差点をに右に曲がりしばらく行くと、屋根に瓦を葺いた朱色の土壁の塀が見えてきます。築地の奥には、どっしりとした漆黒の大屋根。浄土真宗東本願寺派のお寺、道林寺です。

創建は、永寿元年(1182)。慶安2年(1649)に前田利長(高岡の開祖)から道場屋敷三支所を拝領され現在地に移転しました。

明治元年(1868)、江戸幕府・摂関制度の廃止と明治新政府の樹立を宣言した「王政復古」により、天皇主権の近代国家が誕生しました。その後、明治天皇は新政府における天皇の権威の周知を目的として、全国巡行を行いました。明治11年、道林寺は、明治天皇北陸行幸のときの宿泊所となり、それを記念した石碑が立っています。

赤ポスト・公衆電話ボックス・街燈

しっくり合っています

 

道林寺の境内を通って道を挟んだ右側に龍王寺があります。

龍王寺

 「雪囲い」がしてあります

 

昭和3年。道林寺第8代住職智法が創建した真宗大谷派のお寺です。

除夜には道林寺の梵鐘と、龍王寺の梵鐘が撞かれるそうです。

 


廻向寺<古梵鐘のいいつたえと金属供出>

2011-12-09 | 旅行

JR石動駅前から続く商店街。その商店街に軒を並べて山門を構える寺院があります。

文明三年(1471)、明心が開基した真宗大谷派の寺院、廻向寺です。

 

 廻向寺さんの本堂をお借りし、2010/9/28 に「 いするぎ寺子屋 vol.3」<出演:桜井亜木子・太田豊> を開催しました。

立派な本堂を駆け抜ける清冽な笛の音と響き渡る弦と撥、重厚な語り。奏でられる「平家物語」の世界にタイムスリップした瞬間でした。

                こちらもご覧下さい。→平家物語 巻七 倶利伽羅落<いするぎ寺子屋 vol.3 薩摩琵琶・楽琵琶の共演>

 

境内にある梵鐘にはこんないいつたえがあるそうです。

 『梵鐘の寄進者、綾子屋清左衛門にはひとり娘がいた。長わずらいで床についていた。ある日、京都より越中へ来た旅僧が倶利伽羅峠で娘に会った。娘は自分が廻向寺の前の綾子屋の娘で、これから西に行く。家の者に言わずに来たから、それを伝えてほしいと頼みそしてその証拠に片袖をちぎって旅僧に渡した。その片袖を持って旅僧は綾子屋の家を訪ね、そのことを話した。両親はびっくりして、娘の掛布団をまくって見たら、娘は死んでおり、着物の片袖がちぎりとられていた。娘の言った旅先とは西方浄土のことだったのである。清左衛門は娘の供養のため自分が門徒である島の乗永寺に梵鐘を寄進したが、乗永寺で撞く鐘の音は遠くて聞こえないので、家のすぐ前にある廻向寺に、同じ梵鐘を寄進した。』<「ふるさとガイド おやべ」小矢部市 より>

乗永寺の鐘楼堂は、蟇股に一向一揆の旗印である鶴丸紋がついた市内最古の鐘楼堂で小矢部市指定文化財になっています。

               こちらもご覧下さい。→乗永寺鐘楼堂<一向一揆 ―鶴丸紋―>

廻向寺の梵鐘

廻向寺の梵鐘に、ペンキで書かれた「富山県西砺波郡石動町 廻向寺 供出」の文字がありました。供出とは太平洋戦争時代に行われた金属供出のことです。一説によれば日本にある梵鐘の九割以上が対象になり失われたそうです。これにより小矢部市内にある多くの寺院も梵鐘を失いましたが、運良く返還された古梵鐘がいくつかの寺院に残されているそうです。以前ブログで紹介した勝興寺石動通坊の梵鐘にも「供出」の文字がペンキで書かれてありました。

               こちらもご覧下さい。→勝興寺石動通坊<歴史に幕を閉じる古刹> 

前田利家の弟、前田秀継(今石動城主前田利秀の父)の菩提寺・永傳寺に伝わる古文書「鋳鐘化緑帳」に、梵鐘を改鋳したさいの記述として「衆生の定業は滅しべからず。唯だ鐘音を聞くときはその苦暫く息む」と残されています。<参考文献「おやべ市の歴史と文化再見」小矢部郷土史読本より>世の無常を嘆き、鐘音に安らぎを求めた当時の人々の姿がうかがわれます。梵鐘は時を知らせるばかりではなく、鎮魂のため、不浄を清めるために撞かれてきたそうです。その梵鐘を戦争の兵器の資材として差し出すことになるとは…

 永傳寺には、享保16年(1731)鋳造の梵鐘が残っています。

               こちらもご覧下さい。→永傳寺<遊歩百選に選ばれた石仏の寺>

 

本日、初雪が降りました。

朝、稲葉山の頂上付近の赤く色づいた木々に、粉砂糖をふりかけたように白く積っていました。

 


慈光院の紅葉・日吉神社の大銀杏

2011-12-02 | 旅行

晩秋の風情をカメラにおさめました。

 

慈光院の山門(右)と日吉神社の鳥居(左)。道を挟んで建っています。

 

燃えるように鮮やかな慈光院の紅葉。

「火渡り法要」が行われる、真言宗のお寺です。「火渡り法要」の様子はこちら→慈光院<火渡り法要>

 

 

ご神木と呼ぶにふさわしい日吉神社の大銀杏。境内からは狛犬が石動の街並みを見下ろしています。後方に慈光院の釣鐘堂が見えます。

日吉神社の祭神は「大山咋命」平安末期に日吉大社より御分霊を勧請したと伝えられ五穀豊穣の神として地域住民に崇敬されてきました。以前は倶利伽羅にあり義仲軍の先遣隊が伏兵し勝因を導いたとされています。

 

秋風が吹くたび、ひらひらと舞い落ちる銀杏の葉。よく見ると、その中にキイロチョウが、つがいで飛んでいました。銀杏の葉の散る音を耳にしたことはありますか?積った落葉の上にそっと優しく重なり落ちる音。いつまでも聞いていたい音です・・・

先日、富山県の氷見港で 寒ぶりが水揚げされたニュースが流れていました。白鳥が越冬のために富山にやってきて羽を休めている映像も。 冬の訪れも近いようです。