チャーリーの青空トーク

60を過ぎた頑固ジジイが、ライフワークの「姓名判断」と「幸福に生きるには」を勝手に語るブログ。

日航123便事件の日 8月12日

2020-08-11 16:28:32 | これでいいの?
35年前の1985年8月12日午後6時56分、羽田発大阪伊丹行日航123便が群馬県内上野村山中御巣鷹の尾根に墜落し520人の方々が亡くなった事件です。

以前にも何度かこの話題に触れました。チャーリーにとってはこの事件はスルー出来ません。何故なら、520人もの多くの犠牲者を出しながら、トーシロにもバレる様なバカバカしい政府事故調査委員会の報告を在り難く拝み倒している日本の社会に対して腹が立つからです。犠牲者の方々には家族があり、友人があり、日々の営みがあったはずです。それを、理由も無く奪われたのです。浮かばれませんヨ。



この事件の辻褄が合わない要点を挙げますので詳しくはご自分でお調べ下さい。
※乗客が撮影した機内の写真には機内の減圧が起こり機内の空気が機外に流失している状況が見られない。異常が発生した時点では、圧力隔壁の損傷は発生していない。

※仮に圧力隔壁が破損し、客室内の圧力で発生した爆発的な突風が隔壁の外へ加圧された瞬間飛行機の後部(垂直尾翼直下)にある圧抜き窓が破損しそこから減圧されるように設計されている。さらに、この減圧窓が機能しなかった場合は、垂直尾翼への破壊を防ぐため機後部全体が破損される。圧力隔壁の破損が直接垂直尾翼の破壊に繋がらない。

※相模湾から墜落現場までの飛行航路沿いの目撃者の証言が事故調査委員会の報告と合わない。また、証言が報告書の中に反映されていない。

※公表されているボイスレコーダーから、123便と在日米軍横田基地の交信が消されいる。

※墜落地点の確認の為在日米軍厚木基地のヘリと横田基地の輸送機が正確に墜落地点を把握している。在日米軍が救助を開始した時に日本政府から救助を拒む連絡が入り、現場上空から帰投。墜落後1時間の間、墜落地点が確認されているにも関わらず、報道では現場の位置が錯綜。夜間の救助は見送られる。

※日航機123便の機体の一部が相模湾内でダイバーによって発見したとされる報道の続報が途絶えた。

その他、辻褄が合わない点はまだまだ沢山あるようです。


消えた男の子


なぜこのような我々一般の者が「オカシイんじゃない?」と感じる様な稚拙な事故調査委員会の報告がまかり通るのでしょうか? 返す返す、520人の命が羽毛のような軽い扱いを受けている事に憤りを感じます。

何れにしろ、日航123便墜落事件は依然として霧の中ですが、少なくとも我々が納得できる真相が明らかになるまでは、520人の命が8月12日の日が沈む頃群馬県の山中に消えてしまった事を忘れることは出来ません。

合掌


 










 


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