gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

新型コロナウイルスと釣り

2020-05-13 11:45:35 | ブログ
今年1月末、大阪で開催された釣具問屋主催の展示受注会
マスク姿が、多く見られた
外国からのバイヤーが、毎年多く参加する
多くは中国、韓国、台湾・・・
もちろん地方問屋さん、小売店さんも来場する
場内は特別価格を提示している関係上、写真撮影を禁止している
それにも関わらず、バチバチと海外の方は写真を撮って会場内を回る
今年は、その姿がほとんど見られなかった
私自身は、マスク+ウイルス除去薬発生(クレベリン)を付けての対応だったが・・・
額にヘルペスが出始めで、体がだるい
尚且つ、椅子無しの立っての売り込み
しかし、来場者が少ない!
小売店では、高齢の釣具店主が多い
多店舗展開の釣具店関係者もお客商売
感染を恐れての対応だろう
2月からの展示会は、ほとんど中止になった
小売店での展示会・釣り教室も必然的に中止になった
また、小売店への営業活動も自粛・禁止・・
全く売り込みもできない状態になった
4月末から始まる大型連休
何時もなら注文が集中する・・例年なら
連休中は、関西方面の釣具店の売り上げはUPしている
天気も良いし、自宅でのお籠りもストレスになって出歩くより
海や川を前にする釣りは、大丈夫とする自己判断
多分、大丈夫だろう・・
家族連れだから・・
だが、マスコミは釣り人が集中しているシーンを、強調して放映する
トイレットペーパーが不足していた際、スーパーの空の棚を放映するのと同じ
悲しい性、捏造ではないけど、煽っている感を感じないのだろうか?
さて釣具の世界では、中国から部品が入ってこない
一部の部品が無いと、製品ができない
注文があっても、納品もできない状況にある
オキアミにしてもサイズ選別は、中国・韓国で行われている・・・
鮎釣りで解禁した河川では、他県ナンバーに対する苦情?の報道があった
でも漁協も入漁券販売が、主な収入源
15日解禁、30日解禁、6月1日解禁と今から続々と解禁する
広島では、囮販売が太田川漁協が行う
河川沿いのオトリ屋さんは、買取も含めて囮の販売を止めると聞いた
料亭など閉店しているので、仲買いが鮎を買わないからだそうだ
厳しいね・・悔しいね
我慢、我慢、我慢
一人、川に立ちこみ、早く鮎と対峙したい


釣りの醍醐味を味わう③

2020-05-07 17:07:07 | ブログ
釣魚を美味しく食すこだわり
魚が嫌いだった少年期
味が美味い美味くないなんて、比べていないから判らない
というか、時代はまだ昭和30年代
高度成長期に入る前
魚と云えば、メバル
冷蔵庫は、上の段に氷の塊が入っていた
その冷気で冷やしていた
銅板で囲った木箱が、あの当時の冷蔵庫
ゆえに買いだめはできない
良かったのか悪かったのか・・・
父親がスズキを釣ってきて刺身・焼きで
そのスズキは、狙って釣り上げたものではない
夜釣りでアナゴを釣っていてサンマの切り身に食らいついた釣魚
たまたま釣れたのだから、タモも小さいのしか持っていない
手釣りで、竹ひごの先に鈴を付け当たりをとっていた
1m近いスズキを引き上げるのだから、さぞや堪能したはずだ
タモが使えないので、口の中にてを入れて引き上げたと聞いた
その後、すぐに大きなタモを買っていたが、出番はなかったようだ
産卵に集まってきたクサフグを、バケツですくって持って帰り
フグの調理は免許がいるが、当時は???
皮を剥ぎ、内臓を取り、背骨の血合いを水で流しながら指で取り除く
クサフグは猛毒フグ
血や内臓に毒がある
それさえ取れば・・・唐揚げが美味い
ただ、少し舌先が痺れると言ったら
二度と食卓に上がることは無かった
今、思えば
毎日のようにフグの唐揚げを食べるのが、嫌で言ったのかも
メバルは、煮つけ
食べ終わっても出汁の付いた骨に、湯を掛けて飲んでいた
お茶碗に付いたご飯も、お茶や白湯で溶いて飲んでいた
修行僧が行う作法なのか、厳しくお婆さんに躾けられた
小学校3年生までは、ズボンや靴下などは継ぎはぎだらけ
生地自体が粗悪で、すぐに破れた時代だった
釣りを覚えたのは、その頃から
近くの釣具屋さんが1本竹で、のべ竿を造っていた
火入れで曲がった竹を、真っすぐにする工程を見ていたのだろう
当時のハリスはナイロン
ハリとオモリと棒ウキが小物
エサは、下水マスの近くを掘れば、ミミズが沢山いた
マスの中には、金魚の餌になる赤ミミズがいたが、ハリに刺すサイズではない
竿先にハリスを取り付け竿尻より少し長い所でカット
ゴム管を取り付け、セルロイドの棒ウキを刺す
ハリを結んで、少し上にオモリを付ける
仕掛を、竿に巻き付けてハリを竿尻に引っ掛けて完成
トタンバケツとミミズを新聞紙に包み、三滝方面の太田川に行っていた
まだ太田川放水路が完成する前で、鮒や鯉が沢山釣れた
釣った魚は、セメント製の防火槽(戦時中のもの)に入れ飼っていた
しかし、工業化が進み地下水の汲み上げが多くなった理由なのか・・・
突然?川に海水が、上がってきた
結果は、大量の鮒や鯉が浮いた・・・
近くの住民は、バケツですくい持ち帰っていた
私の釣りは、その時点でストップした
その後は、会社に入ってからアユ釣りを覚えることになる
最初のアユ釣りは、ハリス0.8号の通し
目印は、赤く染めた鳥の羽
ハナカンはフック式
サカサバリは無い
ハリは、狐形や矢島型の9号を錨バリにして使った
竿は、グラス竿・・・重かった
師匠は、問屋さんに紹介してもらったレントゲン技師の先生
その後の師匠は、某メーカーの営業マン
今は、JFT支部長として頑張っておられる
永い永いお付き合いです
さて、あと少しで2020年解禁
覚え始めた当時から物凄く道具は進歩した
数釣りの選手から、美味い鮎を求める釣師と変貌した
体型も大きく変貌したので、動き回らなく・・でなく、動けないので
知識は豊富になったが、身体まで豊満に
さて、そろそろ仕掛け造りに入りましょうか
老化防止には、指先を使うのが良いらしい・・・
食の醍醐味に変貌した事を嬉しく思うのは、俺だけかな?