杜の里から

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トリチウム水放出問題は、どうすれば国民的議論に出来るのか

2018年09月06日 | 原発
8月31日付けの河北新報で、8月30日に福島県富岡町で行なわれた、福島第一原発で増え続けるトリチウムを含む排水の処分方法を巡る公聴会の記事を目にしました。
以来悶々とした日々を過ごしています。

河北新報の記事では、
原子力規制委員会が「唯一の方法」とする海洋放出に、登壇者の大半が反対した。
とありました(記事はこちら)。

特に福島県漁連の方が強く訴えたのは、「風評」の問題でした。

これまで福島県漁連が試験操業で地道に積み上げてきた努力についてはこちらのブログで詳しく紹介されていますが、ここでも一番の懸念材料として「風評」が挙げられており、その問題が福島県だけに収束されていて、世間ではまるで取り上げられてこなかった事に対する政府への不信感が綴られています。

私が一番引っかかっているのは、トリチウムを含む排水(以下「トリチウム水」と記述)を放出する場合、【どこに放出するのか】という課題がまるで議論されていない様に見える事です。
福島第一原発(以下「福一」と記述)で出た排水であるから、それらはすべて福島県のみで処理しなければならないのか、それはあまりにも不条理ではないのか、そんな思いを抱きます。

十分に薄めて安全性に考慮しての海洋放出を良しとするならば、海そのものはすべて繋がっているのですから、放出場所は何も福島県だけに限る事はない訳です。
それに廃炉作業が「国家事業」という位置付けであるならば、放出処理についても日本という国家全体がその処理の責任を負うというのが筋ではないのかと思うのです。

その観点から、震災がれきの広域処理の時と同様、もし国が「トリチウム水の広域処理」を推進すると仮定してみた時、ここで初めて国民的議論が湧き上がるのではないかと感じます。

例えばこんな事を想定してみましょう。
ある日国は、現在停止している原発を持つ自治体に、福一のトリチウム水の代理放出を依頼します。
そしてその条件として、当該自治体には以下の制限を提示するのです。

 ・放出する排水中のトリチウムのレベル及び排出量は、過去の原発稼動時のレベルを上限とする
 ・原発再稼動時には、福一からの受け入れは中止する

元々原発が稼動していた時は、トリチウムを含む排水は常に放出されていた訳ですから、その時の水準と同等或いはそれ以下ならば、環境面でも健康面でも以前と何ら変わりない事になります。
いやむしろ環境面においては、以前は原発からの排水は「温排水」でしたが、福一の排水は通常温度となるので、地元への環境負荷は以前よりも小さくなるとも言えます。
しかも原発再稼動の際は、地元に新たな環境負荷が増える事にならぬ様、福一からの受け入れは中止するという訳ですから、原発立地自治体には容易に受け入れてもらえると国は考えるという訳です。

もしこんな要請があった時、その自治体では果たしてどういう議論がなされるでしょうか。

2018年8月現在、稼動停止している原発を持つ自治体はこれだけあります(クリックで拡大)。

(経済産業省資源エネルギー庁HPより抜粋)

これらの自治体に福一のトリチウム水を分散して排水処理してもらうというのは、理屈の上では受け入れ可能な最も合理的な判断であるとも言えます。
しかしながらもしそうなった場合、私の地元宮城県にある女川原発も現在停止中ですから、当然そこでも福一の排水を受け入れて放出するという事になります。

実は宮城県では、震災当時から今日現在まで、ずっと風評被害が続いているのです。
宮城県ではホヤが名産品として食されていますが、その漁獲量の7割はキムチの材料として韓国に輸出されていました。
しかし今現在、韓国民の放射能の不安による輸入禁止処置により、昨年は7600トンも廃棄せざるを得ない状況となっていて、これなどはまさに「風評被害」の最たるものと言えます。
国はWTOに提訴して勝訴はしましたが、韓国はそれを不服として上訴しました(→こちら
地元では皆、捕りたてのホヤを平気で生で食しており、この韓国の放射能不安によるかたくなな姿勢は滑稽にすら感じるのですが、それこそが「風評」の実情なのです(→参照)。
風評の元は、理屈ではなく「感情」ですから、それゆえに風評問題は根深く、それを払拭するには並々ならぬ時間と労力がかかります。

WTOに提訴してやっと勝利した今、ここで女川原発で福一の排水を放出するとなった時、果たして地元の猟師や自治体ではこの提案を素直に受け入れる事は出来るでしょうか。
いやそれよりも、重要輸出先である韓国や、近年ようやく輸入制限を緩和しつつある中国などの国々ではどう思うのか、果たして国はそれらの不安や風評を払拭する事は出来るのか、そんな事を心配してしまいます。

そう考えた時、公聴会で反対を表明した福島県漁連の方の意見もよく理解出来るのです。
「試験操業で地道に積み上げてきた安心感をないがしろにし、県漁業に致命的な打撃を与える。まさに『築城10年、落城1日』だ」
 (河北新報記事より)
自分自身としては、トリチウム水の海洋放出については「理屈では賛成」の立場ですが、この「風評」というものを考えた時、素直に賛成の手を上げる事には躊躇しています。
「排水放出と風評」問題を福島県だけの事として捉えるのではなく、国民一人一人が自分の身の周りの事として考え、尚且つ日本国全体の問題として議論し、そこで多くの国民からコンセンサスが得られたその時に初めて、トリチウム水の海洋放出はあって良いのかもしれません。
しかしその時は、福島県だけにその任を負わせる事だけはあってはならないと自分は強く思うのです。



或いはいっその事、この風評を逆手にとり、トリチウム水をタンカーに満載してはるか洋上の「日本の排他的経済水域」内にばら撒いてしまえば、違法操業を繰り返す中国漁船なんかは二度と近づかなくなるのではなどと、ついつい過激な妄想を抱いてしまう自分がここにいるのです(苦笑)。

(参考)
・HUFFPOSTより「トリチウム水「海洋放出」を危惧する福島の漁業者」
・BLOGOSより「トリチウム水を流すなら」
・経済産業省資源エネルギー庁HPより「日本における原子力の平和利用のこれまでとこれから」
・㈱三菱総合研究所「平成28年度発電用原子炉等利用環境調査(トリチウム水の処分技術等に関する調査研究)報告書」(PDF)


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