今日も甲府はヘンな天気です。 どっしりと厚く重苦しい雲に覆われ、見えるはずのお山は見えず。
暑くはないのですが、なんとも鬱な気分というか、どっしり重い肩こりみたいな天気です(--;)
今日も朝からヨガへ。その後、ちょっと気になっていた、白根の道の駅がほんの5分ほど先にあるのでチェックしてきました。
■ 道の駅白根
道の駅でホントは野菜を買いたかったのですが・・・道の駅白根は今、野菜ではなく、桃やプラムが全盛でした。
昨日道の駅できゅうりをゲットし損ねたので、豊富な夏野菜が並ぶ直売所を期待して行ったら、ちょっと方角が違う感じですね(^^)
しかし、フルーツなら、幻の高級品種といわれる貴陽がたくさん並んでいました!それも二つ600円~1000円で。驚愕の安値です。桃も一杯。
もちろん、色々な生産者の名前がついた、同じ商品が並んでいます。
友人いわく、これだけの品質を安定して出せる産地はすごい!のだそうです。
■ 丹精を頂く
最近畑を持つようになって、作り手の思いがどんな風に野菜に反映されるか分かるようになりました。
例えば、同じように採っても、葉野菜なら、
(パリッとしてるように大事に持って帰る) vs (しな~としてしまうのはいい加減に扱ったとき)。
人って忙しいとぞんざいになりますよね?そのとき、しな~となってしまった野菜君が、えーーーって言ってるのがわかるんですよねぇ。 いや気のせいだとは思いますよ(笑)
間違ってぞんざいに扱ったときはごめーんって気になる。 で、やっぱり大事に育てたものは大事に扱って美味しく食べようとするのが人間なんだなーって思います。
ごめーんって気になると普通人は次からはぞんざいなことはしないもの。
そう思うと、同じ桃でも、生産者によって味や品質は大きく違うのが納得できます。
私もこないだ自分で買ったものより、昨日手伝いに行ってもらったものがどれだけ美味しくて立派か分かるようになってしまいました。
売らんかな、のところのはなんとなく分かるんですよね。
■ 旬を食べる → 違いが分かる
こないだ食べたきゅうりは生でもおいしかったけど、今回のはイマイチだ。
そんな微妙な違いが分かる、ということが、旬を食べる、ということなのかもしれません。
というのも、旬のものを食べると毎回同じモノを食べることになるからです。
☆ 旬を食べる → 同じものをしょっちゅう食べる → 微妙な差に敏感になれる
そうなると、すべてを食べ比べるわけにも行かない。 おいしかったのはどれだ?!ってことで、生産者名をみることになります。
この人、という生産者に出会うのは結構大変なので、良い出会いを見つけると、ひっそりファンになっています(笑)
九州にいたときも、お気に入りの大根の漬物を作る方の名は覚えてしまっていました。
ウチは明野に畑があるものの、明野近くの直売所より、道の駅とよとみのほうが野菜としての”いき”がいいような気がして、いつもそっちで買ってしまいます。
・・・となると、これは食べ物を食べるというより、その生産者が込めた生産物への、”丹精”、つまり”気持ち”を食べ物を通じて分けてもらう、みたいなことになりますね~。
私は桃農家の友人のおかげで、昨日は非常に美味しい貴陽を食べさせてもらったので(友人とこのはだめだったので南アルプス市の)、桃やプラムにはすっかり目が肥えてしまいました(^^)。
■ おいしい桃の見分け方
桃も、友人宅のももは、でっぷりとして、まるで 『ビーナスの誕生』のビーナスのような、しっかりしたお尻(笑)
桃は色や皮で見てはいけないのだそうです。皮が濃い色のものが良く熟れているように感じられますが、皮の色は日光によって日焼けさせてつけたもので、本来味とはあまり関係ありません。
また左右が対称に形が整っているものより、非対称ですこしいびつなものがおいしい。
昨日友人のお母さんがおいしいよ、と指し示してくれたものは、都会でしか桃を見たことが無い、私がコレ?というものと正反対!!
これは『おいしい野菜の見分け方』
を読んだときの衝撃と同じです(^^;)
正反対。 都会の人は、緑が濃い、とか、良く熟れていそう=赤いなどと、判断しがち・・・でも、友人のお母さんが指し示したものは、なんというか、雰囲気です。
桃がでっぷりとして、肝っ玉が据わった感じ(笑)
すこし、ふてぶてしいくらいな肝っ玉の据わりよう・・・。存在感。
そう、ここからぱっかり割れて、桃太郎が生まれても不思議ではない感じ(笑)。
■ レベルの高い郊外都市
南アルプス市はどんなところだろう、と山梨に来る前から気になっていました。というのも、数年前の調査ですが、生活満足度全国No1、ということを聞いたことがあるからです。
私は、道の駅白根のあたりをぶらっと通っただけですが、それでも、南アルプス市は、完全に郊外型生活だということは分かりました。
道の駅のお向かいは、でっかいホームセンターとマックスヴァリュー、そしてユニクロ、ひろーい駐車場。品揃えを見ると、庭用品や苗木、DIY木材なんかとっても充実しています。
こういう郊外型の街を大都市と比較することは、まったく無意味ですね。 そこでは期待する生活そのものが違う。
エンドオブサヴァーヴィアといえば、石油をはじめ化石燃料を大量消費することで成り立っているアメリカ型の郊外生活を”幸せなるアメリカ的生活”としてみんなが心に描いた時代が、環境問題の高まりとともに終わろうとしていることを指摘したものですが、そのサヴァーヴィアのリアル日本版。
日本的サヴァービア・・・です。
だから比べるとするなら、カンザスの郊外とか、カリフォルニアのオレンジカウンティとか、福岡だったら筑紫野市とかそんなところと比べなきゃならないんでしょうね。 一戸建て、広い庭、大きなガレージ、趣味とアウトドアライフ、子供と専業主婦がいる家庭生活。
そういう比較でいくと、山梨の郊外の生活はかなりハイレベル。私が見てきたメルボルンの郊外よりも幹線道路沿いにはたくさんの商店があり、消費生活は格段に上で、提供されるものの品質も上ならば、価格も安い。
欧米人で郊外生活志向の人には都市化されすぎている、と感じられるくらいかもしれません。
山梨には、市がいくつかありますが、私がこれまで観察してきたところでは、基本的に、閉塞感がただよっているのは山梨の全体像ではなくて、中心部甲府市だけなのじゃないかなぁ。
下町が廃れ、郊外が発達し、そして今度は化石燃料からの転換や大都市近辺のニュータウン都市が高齢化で廃れて行ったように、郊外も廃れていく。
取り立てて心配することも無い、自然な都市の新陳代謝なんだろうなぁ。
しっかし、こういうのんびりした場所にいながら、大都会で暮らしていた頃並に残業続きで働くって・・・どうなんでしょうね(^^;)?
人生のギアチェンジ力ってセリフを聞いたことがありますが、ギアチェンジ済んでいないような、そんな違和感があるんですけどねぇ…(ため息)
まぁ妻のほうはとっくにギアはローに入っているんですけれども。
暑くはないのですが、なんとも鬱な気分というか、どっしり重い肩こりみたいな天気です(--;)
今日も朝からヨガへ。その後、ちょっと気になっていた、白根の道の駅がほんの5分ほど先にあるのでチェックしてきました。
■ 道の駅白根
道の駅でホントは野菜を買いたかったのですが・・・道の駅白根は今、野菜ではなく、桃やプラムが全盛でした。
昨日道の駅できゅうりをゲットし損ねたので、豊富な夏野菜が並ぶ直売所を期待して行ったら、ちょっと方角が違う感じですね(^^)
しかし、フルーツなら、幻の高級品種といわれる貴陽がたくさん並んでいました!それも二つ600円~1000円で。驚愕の安値です。桃も一杯。
もちろん、色々な生産者の名前がついた、同じ商品が並んでいます。
友人いわく、これだけの品質を安定して出せる産地はすごい!のだそうです。
■ 丹精を頂く
最近畑を持つようになって、作り手の思いがどんな風に野菜に反映されるか分かるようになりました。
例えば、同じように採っても、葉野菜なら、
(パリッとしてるように大事に持って帰る) vs (しな~としてしまうのはいい加減に扱ったとき)。
人って忙しいとぞんざいになりますよね?そのとき、しな~となってしまった野菜君が、えーーーって言ってるのがわかるんですよねぇ。 いや気のせいだとは思いますよ(笑)
間違ってぞんざいに扱ったときはごめーんって気になる。 で、やっぱり大事に育てたものは大事に扱って美味しく食べようとするのが人間なんだなーって思います。
ごめーんって気になると普通人は次からはぞんざいなことはしないもの。
そう思うと、同じ桃でも、生産者によって味や品質は大きく違うのが納得できます。
私もこないだ自分で買ったものより、昨日手伝いに行ってもらったものがどれだけ美味しくて立派か分かるようになってしまいました。
売らんかな、のところのはなんとなく分かるんですよね。
■ 旬を食べる → 違いが分かる
こないだ食べたきゅうりは生でもおいしかったけど、今回のはイマイチだ。
そんな微妙な違いが分かる、ということが、旬を食べる、ということなのかもしれません。
というのも、旬のものを食べると毎回同じモノを食べることになるからです。
☆ 旬を食べる → 同じものをしょっちゅう食べる → 微妙な差に敏感になれる
そうなると、すべてを食べ比べるわけにも行かない。 おいしかったのはどれだ?!ってことで、生産者名をみることになります。
この人、という生産者に出会うのは結構大変なので、良い出会いを見つけると、ひっそりファンになっています(笑)
九州にいたときも、お気に入りの大根の漬物を作る方の名は覚えてしまっていました。
ウチは明野に畑があるものの、明野近くの直売所より、道の駅とよとみのほうが野菜としての”いき”がいいような気がして、いつもそっちで買ってしまいます。
・・・となると、これは食べ物を食べるというより、その生産者が込めた生産物への、”丹精”、つまり”気持ち”を食べ物を通じて分けてもらう、みたいなことになりますね~。
私は桃農家の友人のおかげで、昨日は非常に美味しい貴陽を食べさせてもらったので(友人とこのはだめだったので南アルプス市の)、桃やプラムにはすっかり目が肥えてしまいました(^^)。
■ おいしい桃の見分け方
桃も、友人宅のももは、でっぷりとして、まるで 『ビーナスの誕生』のビーナスのような、しっかりしたお尻(笑)
桃は色や皮で見てはいけないのだそうです。皮が濃い色のものが良く熟れているように感じられますが、皮の色は日光によって日焼けさせてつけたもので、本来味とはあまり関係ありません。
また左右が対称に形が整っているものより、非対称ですこしいびつなものがおいしい。
昨日友人のお母さんがおいしいよ、と指し示してくれたものは、都会でしか桃を見たことが無い、私がコレ?というものと正反対!!
これは『おいしい野菜の見分け方』
を読んだときの衝撃と同じです(^^;)
正反対。 都会の人は、緑が濃い、とか、良く熟れていそう=赤いなどと、判断しがち・・・でも、友人のお母さんが指し示したものは、なんというか、雰囲気です。
桃がでっぷりとして、肝っ玉が据わった感じ(笑)
すこし、ふてぶてしいくらいな肝っ玉の据わりよう・・・。存在感。
そう、ここからぱっかり割れて、桃太郎が生まれても不思議ではない感じ(笑)。
■ レベルの高い郊外都市
南アルプス市はどんなところだろう、と山梨に来る前から気になっていました。というのも、数年前の調査ですが、生活満足度全国No1、ということを聞いたことがあるからです。
私は、道の駅白根のあたりをぶらっと通っただけですが、それでも、南アルプス市は、完全に郊外型生活だということは分かりました。
道の駅のお向かいは、でっかいホームセンターとマックスヴァリュー、そしてユニクロ、ひろーい駐車場。品揃えを見ると、庭用品や苗木、DIY木材なんかとっても充実しています。
こういう郊外型の街を大都市と比較することは、まったく無意味ですね。 そこでは期待する生活そのものが違う。
エンドオブサヴァーヴィアといえば、石油をはじめ化石燃料を大量消費することで成り立っているアメリカ型の郊外生活を”幸せなるアメリカ的生活”としてみんなが心に描いた時代が、環境問題の高まりとともに終わろうとしていることを指摘したものですが、そのサヴァーヴィアのリアル日本版。
日本的サヴァービア・・・です。
だから比べるとするなら、カンザスの郊外とか、カリフォルニアのオレンジカウンティとか、福岡だったら筑紫野市とかそんなところと比べなきゃならないんでしょうね。 一戸建て、広い庭、大きなガレージ、趣味とアウトドアライフ、子供と専業主婦がいる家庭生活。
そういう比較でいくと、山梨の郊外の生活はかなりハイレベル。私が見てきたメルボルンの郊外よりも幹線道路沿いにはたくさんの商店があり、消費生活は格段に上で、提供されるものの品質も上ならば、価格も安い。
欧米人で郊外生活志向の人には都市化されすぎている、と感じられるくらいかもしれません。
山梨には、市がいくつかありますが、私がこれまで観察してきたところでは、基本的に、閉塞感がただよっているのは山梨の全体像ではなくて、中心部甲府市だけなのじゃないかなぁ。
下町が廃れ、郊外が発達し、そして今度は化石燃料からの転換や大都市近辺のニュータウン都市が高齢化で廃れて行ったように、郊外も廃れていく。
取り立てて心配することも無い、自然な都市の新陳代謝なんだろうなぁ。
しっかし、こういうのんびりした場所にいながら、大都会で暮らしていた頃並に残業続きで働くって・・・どうなんでしょうね(^^;)?
人生のギアチェンジ力ってセリフを聞いたことがありますが、ギアチェンジ済んでいないような、そんな違和感があるんですけどねぇ…(ため息)
まぁ妻のほうはとっくにギアはローに入っているんですけれども。