ひと夏の反省

2014-08-19 22:57:58 | 魂と心の成長

■ 夏の終わり

お盆が終わると、もう残暑と言われます。今日はとっても暑くて、エアコンなしではやって行けない感じですが、それでも残暑。

そして、夏の終わりの気分は、というと、反省会です。いつも”何を成し遂げ、何を成し遂げなかったか?”を自分に問います…。

What have I achieved this summer? 

そう、夏はアクションを問われる季節です。さらに言えば、アクションの結果を問われる季節ですね。 が、私にとっては最も行動を起こしづらい季節なんですよね。

というわけで、毎年夏の終わりは、毎年、少々挫折感を感じる、という巡りあわせになっています…(^^;)

■チャンスをつかめなかったワタシ

今年のお盆は、複雑な心境での旅でした。体調がイマイチなのは、プライマリーな理由ではなく、私に知人伝いで、ある求人の話が舞い込んだのです。

ところが、私はクオリフィケーション的に、その求人には、ちょっとミスマッチでした・・・。3つある条件のうち、一つを満たしていなかったのです。たった一つだけ…。それは英語を教えた経験、です。

これは、キャリア方面は、すっかりお留守にして、安心しきっている私に神様が、キャリア方面でも、爪とぎを忘れてはならぬ、と、警告してくれているのかもしれません。

■ 女性と社会貢献

就職したい…というのは、正直な所、正確な表現ではないかもしれません。

就職というより、自分の持って生まれた能力を気持ちよく生かす場を持ちたい、という気持ちかもしれません。

登山にハマった理由は、まさしく登山で私の才能が生かせるから、に他なりません。

結婚して家庭を持っても、持たなくても、働くかOR働くか、しかの選択肢がない男性諸氏にとっては、ある意味、女性は羨ましい存在かもしれません。

女性には、働くか働かないかの選択肢があるように見えるからです。が、それが選択肢であるのは、自由で豊かな労働市場においてのみです。私の職業は、主に本社機能に属すものだったので、いわゆる本社が、そもそもないような土地に来てしまうと、自動的に失職します・・・が、仕事のために、夫を残して大阪に残る、という選択肢はないわけで・・・。男性が優先権を持つ、ということでやはり女性は適応することしか選択肢はありません。適応の結果が専業主婦ということです。

逆に 夫は私がニュージーランドでヘッドハンティングを受けても、やっぱりついては来れない(つまり適応はできない上、主夫にもなれない)ので、私が夫に合わせるしか選択肢はありません。

ヨガの教えでは、女性には夫を通じて与えられる、という運命もある、と説いています。

その女性がもっとも社会に貢献できる道が、家庭経営を通じてであれば、それは、その女性に与えられた仕事です。居心地のよい家庭を運営すること、子を産み、育てることは、生涯を掛けてやるに値する仕事です。

逆にもし、社会が親に時間を与えず、その結果、親から十分に時間を与えられなかったことによって、十分な愛情を受け取ることができなかった子供を増やすと、それは、ある意味、社会の害悪でさえあるかもしれません。

子供の頃に、十分に自尊心が満たされていないと、そのことは、生涯その子供を苦しめるばかりか、周囲の人々の苦労の種になってしまいます。たとえば、犯罪者には注目を惹きたい、認められたいがために、犯行に及んでしまう人が少なからずいますし、アルコールやタバコ、買い物などの依存症の人も大抵がそうです。

そこまで行かなくても、常に賞賛や承認を求める人になってしまいますよね。逆に、親から十分、時間と愛情を注がれた子供は、大人になって、他の人の時間やエネルギーを消費する人にはなりません。

今の日本社会を見渡すと、愛情と時間の代わりに、金銭を注がれた子供はいても、十分に親の愛を受けた、自己肯定感の強い人は少ないのではないでしょうか…。

だから、常に人と比べ、人と同じことがしたくなり、人が持っているものが欲しくなる。

経済的に主婦の経済効果を推し量ったデータなどもありますが、そんなことより何より、主婦がやりがいがあり、必要とされる職業であるという真実を如実に示すのは、私のかつての上司たちの家庭がほぼ専業主婦、ということです。かつての私の同僚たちも、妻が家庭にいるか、家庭に主軸を起き、フルタイムでは働いていない家庭の人がほとんどで、男性並みに働くフルタイムの妻を持っている男性は、日銀に努めている女性のおひとりだけでした。つまり、社会で働くということは、ハンデの無い男性でさえも、妻の支えを必要とする、というのが真実でした。

私も本音は妻が欲しい… 快適な家庭と温かい食事、清潔なベッドと衣類…安心できる場所が常にスタンバっている状態。

現代は男女平等が発展途上の、男性中心の社会ですから、仕事において、ハンデがあるのはむしろ、女性で、妻が必要なのは、女性です(笑)。 ハンデがあるのに、男性と同じ成果を求められつつ、労働の対価である賃金は男性に譲り、そして、家庭でも手を抜けない…のが、私が知っている女性たちの働く姿現実でした。自分も含め。

大概の男性は、家に帰るとスイッチが自動的にOFFになりますが、女性はOFFにはできない。帰宅して、お茶を入れるのは私です…疲れた~と家に帰ってからも、仕事が待っているのが女性。

まぁそんなわけで、私自身は、女性が外に仕事を持たなくても、安定した家庭を作っているだけで、十分素晴らしい社会貢献をしている、と思います。社会の平和は家庭の平和から、は真実ですし。

社会に貢献している夫を支える、という貢献です。 私も、夫は、私などには到底できない高度な仕事をしていると思うので、彼が仕事をしやすい環境を整えることが、結果的には、私の社会貢献であろう、と時に思います。

ただ、一方で、私は家事の才能豊かな方ではないのは明らかな上、子供もいないので、家庭を切り盛りすることが、私の社会的貢献のすべてだと言い切るのも、たぶん、ちょっと違うような気がします。家事は私にとっては出来るけど、出来るだけのことです。学生時代は家庭科は5でした。が理科も5だったし、国語も5だったんですよね。私が最も強みを発揮できるのは論文です。

しかし、私の持っている得意やスキルは、使い道を発見するのが難しいコンビネーションらしく、常に頭を抱えています。

ので、余っている時間と労力の有意義な使い道を常に模索しています。簡単な言葉でいうと、”やりがい”のあることですね。

■ やりがい

やりがいがあること、と言うと、やはり、第一に人間が考えるべきなのは、他の人の役に立つ、と言うことです。

私はその場合、たくさんの人に役立ちたい人と、少数の人の役に立ちたい人に傾向として分かれると思います。

誰もが他人からありがとうと言われるとうれしいものですが、多くの人の役に立つことがより大きな喜びとなる人は、名声を求め、間接的な”ありがとう”を多く受け取る人です。

逆に少数の人の”ありがとう”が心に響く人は、一体一のコミュニケーションに長けた人です。私はこちらです。ヨガを教えていると、一人の人が成長し、変化するのを見るとこの上ない、充実感を感じます。一対多のコミュニケーションは、むしろ苦手です。コンサルティングはできるけど、大教室での黒板での講義は苦手です。

私はこのブログを書くときでも、大抵は、誰の役に立つか?ある一人の人を思い浮かべながら、書きます。それは自分であるときも、もちろんあるのですが。ともあれ、読者を想定することは重要です。

■ 学びと後悔

ただ、すべからく人は、究極的には、自分自身の学びのために、今世を生きています。私自身、なんらかの”学び”があって、すべての時間を過ごしているわけです。

人生は有限で、しかるべき時にしかるべきことをやっておかないと、のちのち後悔の時間を過ごすことになってしまいます。

後悔の有無が人生の成否の指標となるくらいです。

私は、この仕事を受けることができそうにないので、英語を教えるという経験を少しでも、積んでおくべきだったと今感じています。

ということは、今からするべきことは、英語を教える経験を少しでもいいから積む、ということかもしれません。

ということは、登山という活動を通じての学びは、一つの区切りにあるのかもしれません。

≪登山で学んだこと≫

・変わることを恐れないこと
・適応すること
・10の力があれば、8の力で山に登るべきなこと
・「勇気ある撤退」と言うように、ある時は手放すこと
・「山は自己責任」の”自己責任”は、単独とは限らないこと
・”個の自立”から、夫との”相互補完・相互依存”へ。生かし生かされる関係へ
・今、何ができるか?と常に問うこと
・常に前を見ること
・観察と経験から常に学ぼうとすること

と言うわけで、少し考える時間が必要です。

まぁ人から見れば、常に考えてばかりいるような感じの私ではありますが…

 


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