読了 『動物と話せる男ー宮崎学のカメラ人生』

2012-07-19 08:56:03 | 山の本 移植途中
■ 動物と話せる男 

『隣のツキノワグマ』でおなじみの動物カメラマン宮崎学さんの生い立ちを記した本。
動物と話せる男―宮崎学のカメラ人生 (シリーズヒューマンドキュメント)


去年TVで熊の報道をされているのを見て、そんなにクマが多いのかしら…ととなりのツキノワグマ (Deep Nature Photo Book)という本を借りてきたのが宮崎さんを知ったきっかけでした。

それで最近のクマ事情を簡単に調べたら、熊の数にしろ、何にしろ、野生動物の数はテキトーにしか数えられていない(まぁ広大な山野の中をどうやって数えるのか検討もつきませんから当然か…)ことを改めて知りました。

そのときの感想はこちら。とこちら

で、現在、お山にフォーリンラブ中の私なので…(くどいようですが、これは山梨に転勤になったからです。山梨では
山以外行くべき場所を見出せません)、その上歩きたい山がひと気があまりない静かな場所で、野生動物がいるリスクがあるので、リスクに備える意味で野生動物の生態には興味津々です。

持論ですが、リスクとは”避けるもの”ではなくて、”詳細に知るべき対象”です。

■ すごすぎる子供時代

宮崎さんの子供時代の話を読んで、目に浮かんできたのはなんと映画の『24の瞳』でした…。

それくらい私の子供時代とはかけ離れた子供時代だなぁと思いました。1949年生まれだそうですから、20年くらいしか
違わないはずですが…もう何十年も前の暮らしのように思えます。

伊那谷の山野を駆け回り、野鳥を捕まえては飼育するなんて…。

もしかして、今の山梨の子供達も、山間部の子供はこういう生活が可能なのでしょうか・・・・? 

知り合いの山のベテランガイドさんはたぶん宮崎さんより10歳位下とそう変わらないくらいの世代なのですが、やっぱり野山を駆け回って育ったのでしょうかねぇ…そうだとしたら、文科系の私や夫がザック15kgでバテバテでも、30kg、40kgと担げても不思議はないなぁ…。体育会系とかそういうのを越えているよなぁ。

野山を駆け回る子供時代が、私の知っている子供時代とどれくらいかけ離れているかというと…

■ 私の子供時代 = お受験、数珠つなぎ

私の子供時代は、幼稚園からお受験です。小学校もお受験。中学校もお受験。

とはいえ、中学をお受験する子供は少なく、私の小学校では4クラス40人の中たった2人程度でそれほど世間はお受験熱は高くないようでしたが…。塾に行く子供はクラスの半数くらい。私は塾などには行かず参考書等で独学で勉強して合格。でも進学せず。

高校も地元のトップスクールに。小中のように左団扇と行かず、高校は500人しかいないのに数学で485位をめでたく取ったりし(^^)赤点常連。明らかに勉強していないことを示す期末テスト結果でしたので…明らかにこの時点で勉強という競争から降りた人でしたが、ある日ぽつんと実力テストで上位3位。上の2人は東大級。一体どうして?というマグレがたま~にあり、日ごろ見下げられている落ちこぼれでも、その一点のために存在を許されている感じでした(笑)。競争を降りたまま他に選択肢がないからという理由で大学へ。好きな科目A。どうでもいい科目Cのメリハリ?消費。

こう書くと勉強もそこそこの子供時代のようですが家事に忙しかったのです、家事に。勉強すると家事をサボっているといって叱られる家庭でしたが、勉強は出来て当たり前。 
…とまぁ私の子供時代は、”自然”というより、”学業”を中心に回っていました。”遊び”もいつやったんでしょう?

今思うと、子供ではなく既に大人でしたね。やらねばならないことをやる。

自然ということでいうと、覚えているのは幼稚園の年長さんのころ、れんげ畑や菜の花畑でお花の冠を作って遊んだこと。小学校の頃、田植えの時期になるとカエルが道路で車にしかれて平面ガエルになり嫌だったこと。受験生活で
夜中に読書や勉強をしていると本に虫がたかって凄かったこと。以上終わり。

タヌキ、キツネ、サル、クマ…全部『日本昔話』の中の世界です。近所の犬くらいしか知らない。野生動物と言えば、
カエルです、カエル。かえるは一杯見た。夜ウルサイ…のは九州は米どころだからですね。

休みの日はほとんど5kmはなれた図書館に自転車をこいでゆき、お小遣いを握り締めて出かける先は紀伊国屋書店って子供時代だったのです。

それでも中学の部活では田んぼ脇の畦を毎日5kmランニングする、というような余地があったのはラッキーなのでしょう。今ではグランドを走っているのではないでしょうか。

野山を駆け回るにも、駆け回れる野山は近くにはありませんでした。田んぼは中学の頃にはずいぶんと市街地化されてしまったような…?弟はザリガニ取りとかやっていました。

熊本は盆地なので市街地を離れるとずーっと田んぼが続きます。山はなんというか行ってはいけないところっぽい感じでした。小さな金峰山という山があり、中腹に仏舎利塔がありましたがなんとなく夜っぽいというか、犯罪っぽいと言うか、色っぽいと言うか、そういうところに連れて行かれるとよからぬことが起きるという雰囲気で避けて通るべき場所でした。山は。

そういう感じだったので自然との接点は夏休みに行く阿蘇山とか菊池渓谷とかでした。一度母が一念発起してキャンプしましたが…夜中に雨が降ってきて車に逃げ込む羽目に。散々な目にあったという思い出に(^^;)

野鳥を見るとか、サルやシカを見るとか、まったく関係がない世界でした。住んでいたのも団地でしたし。カメムシさえ大学に来て初めて知り、イモリを見たのは二十歳を過ぎてから。猿を見たのは大学の学生寮暮らしで、です。

なのでずっと田舎暮らしには憧れがあるも・・・イメージするのはグリーンゲイブルスでした(汗)

■ 達人の「思いの強さ」

宮崎さんの子供時代を見ると原点は鳥でした。そしてリスなどの小動物。そしてカモシカ。そして猛禽類。

やっぱり今興味がある対象をトコトンつめてそれから広がるのです。まずは微視的に。そして拡大。
あれもこれも、と広く浅く、ではなく、一点集中。というか一つずつやる。一回に一つしかやらない。

私も今興味があることを調べるのが好きです。でも達人が達人たるゆえんは、その調べ方が半端なく徹底して深いということです。

私もやりだすと徹底的ねと人からはよく言われるタイプですが(例えば山の先輩には、なんでそんなの知ってるの?と
感心してもらいました)、私ぐらいのことはぜんぜん入門。宮崎さんは徹底的さが半端ない。憧れます…というのは徹底さってどれくらい強く対象に思いがあるか?ということなのです。

思いの”強さ”を持てること。強い思いを持てること、これこそは人生の宝ではないかと思います

才能や財産ではなく、思いの強さこそが決定的に人生を”素晴らしい化”するのではないか?

強ければ強いほど良い。

それは今流行の言葉では… ”志”といいます。ほとんどの人は、自分の中にある”強い思い”(=志)を発見するだけのことに一生を費やします。 

まずは強い思いありき、の人は生まれた時点でスタート地点に立っているわけですね。

そういう強い思いは大人が発見の手助けをしてやればいいのですが、そうはいかず普通は…子供にとって不幸なことに、たまたま、学業が優だったりすると…自分の好きなことはうんとこさ後回し。

というわけで、私も遅まきながら、子供時代にやり損ねた、自分の好きなことをやる時間が出来た今現在、やっているわけですね~(笑) バレエもそうだったし。今は山です。

子供時代の生き直し=山、はお金が掛かるなぁ!もう!(笑)

PS 達人と同姓同名の別の著者もいるようです。 この本の伝記としての出来は中途半端で後に読みすすめるにしたがって著者が本に書くのを面倒に重い始めている様子が伝わってきます…(^^;)

でも生きている間に生い立ちを記した本が出版されるなんてすごいことですよね。達人の原点を知るには良い本なのかな。





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