祖父江のオリエンテーリング雑記録

オリエンテーリングについて時々綴るブログになるはず

高3の冬にAsOCに出場した話

2018-12-29 22:09:18 | 日記
 本記事はオリエンティアAdvent Calendar(裏版)の22日目の記事になります。27日夜時点でこの枠が余っていたためもらいました。そのためこの記事の執筆は22日ではなく29日になります。ご容赦ください。あと、ちょっと乱文気味です。そちらもご容赦ください。

 改めまして簡単に自己紹介から。私は東海高校3年の祖父江有祐という者で、ワンダーフォーゲル部で中1の春からオリエンテーリングを始め、競技歴は6年目になります。大学受験のほうは一般推薦で筑波大学に合格しているので安心してください。先日香港で開催されたアジア選手権にはM18クラスの日本代表として出場し、スプリント8位、ミドル優勝、リレーは第1チームの3走を務め優勝しました。過去2回参加したAsJYOC(アジアジュニアユース選手権)での個人種目最高順位が3位だったため悲願の優勝を手にした、とも言えます。

 さてそんな私が今回書く記事はというと、「この1年間程度を振り返ります。そして高3でオリエンテーリングを続けていくとはどんなことか自分の考えを述べます」といった感じです。悩みとか無い風を装っていた自分でもそれなりにプレッシャーを感じていましたよ、っていう話になりそうな気がしています。大事なことをあまりメモしない性格なので、今回はこの場を借りて備忘録を書こうと思っています。あと、最後には中高生オリエンティアに向けたメッセージ的なものも書くつもりなので、中高生オリエンティアはそこだけでも読んでもらえると嬉しいかな。では早速時系列に沿って話を始めます。

1年前の12月
 たしか香川の全日本リレーの頃だったと思います。「香港で開催されるAsOCで新たに18歳以下のクラスが設けられる」といった情報を知ったのは。その時すでに「大学受験はAC(一般的な言葉ではAO)入試か一般推薦入試で筑波」と考えていた私は「中3で出たAsJYOCと同じ香港だし出れたらいいな」程度に思っていました。しかし選考の時期・方法や受験との兼ね合いについて何もわかっていなかったので、あくまで頭の片隅に置いた程度でした。

今年の4月~7月
 AsOCの話ではないですが、JWOCの代表に選ばれました。高3でオリエンテーリングを続ける動機の一つとなりました(実際は最初から続けていくつもりだったが)。そしてJWOCの大会期間が終わり、日本へ帰る途中でAsOCの話が出ました。そしてしばらくした後にAsOCの選考の詳細が発表され、ある程度受験の目途が立っていたこと、いずれにせよインターハイを目標としていたことの2点から選考にエントリーしました。この時20Eではなく18Eにしたのは受験があったからです。まず受験勉強でトレーニングに制約ができてしまうこと、そして仮に推薦入試に落ちてセンターや前期試験などを受けなければならない状況になったとしてもAsOCには出場するということから18Eにしました。特に2つ目の理由は、AsOC代表に選考されてから推薦入試の合格発表までの4ヶ月弱の間の悩みの種となりました。

インハイ前後
 前段落の最後と時系列が狂ってしまいますが、インハイです。推薦要件B「B: インターハイ(個人戦/2018 年 8 月 25 日:栃木県)ME/WE において、選考希望者から A で選考された選手を除いた上位 2 名を選考する。」(第 6 回アジア・オリエンテーリング選手権大会 日本代表選手の選考についてより引用 )によって代表に選ばれました。リレーでは自分の凡ミスで迷惑をかけてしまい、申し訳ない思いです。しかし私個人としては、この経験は受験生としてオリエンテーリングを続けていく上で大きな原動力になったのかもしれません。

インハイ後~11月末
 インハイ後の総括ミーティングをもってワンゲル部からは引退し、AsOCに向けて個人でトレーニングをする期間になります。受験生ということもあり出る大会も日帰りできるものを中心にし、回数も月1回程度に抑えました。しかしこれがなかなか辛かった。この期間には「名椙大会」「インカレスプリント・ロング」「トータスクラブカップミドル・クラブカップ7人リレー」「全日本ミドル」「KOLC大会・早大大会」「京大京女大会」「全日本スプリント」といった魅力あふれる大会がたくさんありました。しかしこのうち私が出たのは「名椙大会1日目」と「7人リレー翌日のJOA合宿」と「京大京女大会」のみ。LapCenterを見ながら悶々と過ごす日々でした。もうちょっとうまくやれなかったものかと今でも後悔しています。
 その一方で大学入試の一般推薦試験が刻一刻と迫っていました。11月末に控える試験を前にプレッシャーを感じつつ、トレーニングもやっていくのは精神的にはなかなかハードでした。
 試験は1日目の午前中に2時間の筆記試験、翌日に面接という日程でした。1日目の午後は筑波山に登りました。久しぶり(と言いっても2週間前の京大京女大会には出ている)に森を走って良い気分転換になりました。翌日の面接は1番最後となり、長い時間緊張感の中過ごすこととなり辛かった。「極度の緊張状態ではパズルはあんまりできないが、地図読みはできるしむしろリラックス効果がある」という発見をしました。緊張をほぐすのに地図読みは良いですよ。先述の京大京女大会の会場で売っていた北海道の地図は読んでいて楽しかった。あと菅沼守義の地図は実家のような安心感があった。
閑話休題

12月1日~12日
 試験が終わり、合格発表を待つ期間です。そわそわしていたのかなぁ。筋トレしていたような気がする。あと期末試験の勉強に追われていた。

12月12日~
 合格でき、受験という大きなプレッシャーから解き放たれました。と同時に目前に控えるAsOCの準備に入ります。さらに出発までの間に入学手続きの書類も書かなければなりません。思っていた以上に忙しく、出発前の数日間は筋トレもできておらずAsOCに向けて不安が生じました。余談ですが出発前夜、お風呂に入っているときに証明写真が無いことに気づき、髪も乾かないまま夜10時に自転車こいで証明写真撮りに行きました。皆さんはもっと余裕をもって生きましょう。
 すでに受験を終えているので目指すものはただ一つ。「AsOCで良い結果を残す」ことです。「良い結果」がどの程度からを指すかは人それぞれかもしれませんが、私はまず「優勝」を掲げていました。それに対する準備が十分とは言えませんが...。しかし少なくとも悪い結果は残せません。「受験とオリエンテーリングの両立は難しい」という前例になってしまうのは嫌ですからね。
 スプリントの8位という結果は現時点での自分の実力相応の結果だと感じています。ミドルの優勝はレース内容的には少し意外でしたが、3年前のAsJYOCの経験も活かされたようで良かったです。リレーはなんとか逃げ切った感じです。ですがチーム内では一番いいタイムだしもっと褒めてもいいんですよ()。国際経験豊富な3人が手堅く抑えた結果の勝利だと思っています。


どうやってトレーニングをしたか
 思い出話はこの辺にして、ちょっと具体的な話です。勉強の時間を確保しつつトレーニングもするというのは難しかったです。生活に占めるトレーニングの割合を下げつつ、しかしながら得られるものが小さくなってはいけません。そこで私は今回以下のような作戦を立てました。
・AsOCは競技時間が短い(30分未満)レースのみ。そのため30分間走れる体力を維持することを目標とする
・1回のトレーニングのリターンを大きくする
・筋トレをする
ちょっと最後は無理矢理ですが、ひとつひとつ説明していきます。
・30分走れる体力維持について。これはバスでの登下校のうち下校をランニングに置き換えることをしました。家から学校がおよそ7km、バスを乗り継いで1時間です。走ればダウンを含めて45分くらいなのでとっても美味しい。週2~3回を目安に計画しました。放課後教室で勉強し、頃合いを見計らって走って下校という算段。しかし現実はそんなに甘くない。冬服の学ランは重いしかさ張るしでできれば持って走りたくない。かと言って教室に置いて帰ると11月にもなれば翌朝メッチャ寒い。あと下校時の荷物を最小限にするため置き勉するため家での勉強に制限がかかる。結局週2回もできずじまいでした。登校時は弁当が大変なことになるため厳しい。何か妙案はないものかね。
 上とは別ですが、ワンゲル部の現高3たちは11月くらいから昼休みにサッカーをしていました。受験勉強の気分転換ですね。私もそれに加わり、運動量を活かしたプレイスタイルでほぼ毎日およそ30分間遊んでました。振り返ってみるとこれもかなり良いトレーニングになっていたのかも。
・トレーニングのリターンを大きくすることについて。プロテインを飲むことを始めました。「成長期に飲むとよくない」という噂を聞いていて渋っていましたが、よく考えたら成長期とっくの昔に終わってるし今更拒むことは無いだろう。余談ですが高3の身体測定で身長が前年比-0.1cmでした。きっと有効数字3桁なのでしょう。
・筋トレはちょっと多めにやりました。ワンゲル部が練習でやる下半身の筋トレと上半身の筋トレ、プラスアルファをワンセットとして1日おきにやりました。筋トレのBGMにお気に入りのアニメを流し辛さを軽減、筋トレ後にはプロテインを美味しくいただくという良コンボ。

 といった具合で、今思うともうちょっとしっかりトレーニングするべきだったかなと思います。放課後勉強して帰るとすでに暗くなっており、走るトレーニングがあまりできなかったのは反省です。

高3でオリエンテーリングを続けるということ
・大会会場でいろんな人から「受験大丈夫?」と心配されます。ありがたい言葉でした。
・大学生オリエンティアはいっぱいいるから積極的に情報収集すべき。推薦入試の過去問や対策、面接の雰囲気や内容といった沢山の情報を得ることができました。日本のオリエンテーリング競技人口は大学生が中心なので、高校生は情報収集がしやすい環境だと思います。自身の競技のスキルアップついでに受験対策もできるなんていう美味しい手を打たないなんてもったいないです。
・「引退」がよくわからなかった。これは個人的な話なんですが、ワンゲル部では高2の引退時に後輩から寄せ書きの書かれた色紙をもらうんですが、まだもらっていない。いちおうインハイの総括ミーティングをもって引退ということでしたが、あまり連携をとっていなかったので仕方ないか。大会で普通に会っていますしイマイチ引退した感じがなかったなと思います。
・それなりに不安だった。高3の冬までオリエンテーリングを続ける例を知らなかったため、はたしてどのような感じかがわからなかった。先輩方はインハイやJWOCなどを区切りとして受験に臨んでいるイメージなのですが、では自分はどこが区切りになるのだろう。と、要らない心配をしていたものです。「スイッチを切り替える」というのは謂わば通過儀礼のようなものという認識があり、それができないということに後ろめたさや不安が無いわけではなかったです。

最後に
 今回の自分の例は、ひとつの手段として後輩たちに示すことができたのではと思っています。無理をする必要はないけれど、やるかやらないかで迷うのであれば、やる方法を模索するのも良いのではないでしょうか。
 しかし「受験生」と「18E日本代表」という2つの重荷から解放された今だからこそ言えるけど、「受験」は言い訳になりません。やると決めたのであればちゃんと臨むべきです。それはもはや義務です。高3の冬に国際大会に出場しようと考える選手が今後現れるかはわかりませんが、それだけの覚悟を持ってほしいです。「二兎を追う者は一兎をも得ず」ではいけません。自分の思うところとして少しキツめの言い回しをしましたが、逆にそういったことを理解したうえでちゃんと対策も立てれて、ビジョンが持てるのであれば積極的に挑戦してほしいとも思います。少なくとも自分は今回の経験は良いものだったと認識しています。
 あれこれ書きましたが、中高生の皆さんは何だってできるはずなのだから、自分で目標を立て、それに向けて自らルートを探し実行してほしい。と思っています。皆さんの今後の益々の活躍を期待しています。

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