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折登ひろしのGRAFFITI

日本人と英語と国際社会と、ちょっぴり料理について考える

オリンピック東京招致落選は暴走の報い!

2009年10月09日 | Weblog

「全10巻」ある内の最初の 『松本亨 英作全集・第1巻』(改訂版) の編集に追われ、このブロッグを3か月超休んでしまいました。やっと先月末、流通ならびに書店へ「改訂版」を出荷できて、ほっと一息したところで書いています。

  何しろ、旧版の初版が40年以上前に出版され、これまでに、実に52版を重ねた名著なので、「改訂版」はその内容とともに、年月の差も縮めなくてはならず、人知れぬ苦労をしました。

  さて、2016年の夏季オリンピック招致に関してですが、落選してほっとした向きも多かったのではないでしょうか。自身の地位を利用して、独りよがりで暴走し、150億円とか言われている都民の税金を浪費する石原知事の神経は尋常ではありません。

  そもそも、福岡市や大阪市が立候補を表明したとき、過去に開催した経験のある東京の知事は、本来なら手を差し伸べるべきところを、逆に打ちのめして喜ぶ態度は、大人の感覚とはかけ離れたもので、理解に苦しみます。

  私は、かねてから石原慎太郎を「やんちゃ坊主」と称し、「希代のペテン師コイズミ」と並び、日本の政界から消えてほしい人間(コイズミは幸い引退しました)であると思っていました。

  日本人の「タレント」「芸能人」好きに乗じ、政治家ぶるのは腹立たしいことです。今回、オリンピックを招致する際に示した一連の言動は、「やんちゃ坊主」と言うより「ガキ大将」と言った方が適切でしょう。

  前回の都知事選では、この「やんちゃ坊主」を葬る絶好の機会でしたが、「ペテン師コイズミ」に対した時と同様、「タレント」好きの有権者は、選挙を、「見てくれ」による人気投票と勘違いし、石原氏に票を投じてしまいました。

  その結果、多額の税金を浪費され、その付けを都民は払わされることになったわけです。石原氏を勘違い当選させた都の有権者は、自らの選択を恥ずべきでしょう。

  ある評論家は、石原知事に対し、「豪華海外旅行や私的な飲み食い等々、血税をチョロまかして遊んだツケは私財で弁償し、表舞台から消え去ること」とまで言い切っています。同感、同感!

  次回は、日本人にまつわる「洗脳」についてです。「チーズの話」はその次です。

 

 


Michael Jackson が逝く

2009年06月29日 | Weblog

いや、驚きました。これまでにも、いろいろな健康障害が報道されていた Michael Jacksonのことなので、不安を感じていたことは確かですが、まさかこんなに早くとは思いませんでした。

  ところで、いくらスーパースターとは言え、なぜ私が Michael Jacksonに興味を示したのかというと、これでも、私は、かつて空手と違うことをやってみようと、ジャズダンスを13年間にわたって踊っていたからです。

  当時、マイケルの東京公演の録画だったと思いますが、あの迫力あるダンスを見たときに圧倒されたのを思い起こしたのです。冥福を祈ると同時に、死因の解明が望まれます。惜しい人でした。

  ついでですが、このブロッグのプロフィールの顔写真は、かつて、横浜で博覧会が開催されていたときの公演で、私が所属していたダンススタジオの一員として踊ったときのもので、若かったです。

  多忙な中にも、どうしても Michael Jackson訃報について書きたかったのでした。


GMの破たん

2009年06月20日 | Weblog

ここのところ世界のマスメディアをにぎわしている General Motors破たんの報道は、私にとって感無量です。

  なぜかと言うと、私が初めてアメリカに留学した先が、GM本社所在地、いや、3大自動車会社の本拠地である ミシガン州、デトロイト市北部郊外であったので、アメリカの自動車産業に少なからず関心、というよりもその存在を否応なしに身近に体験させられたからです。

  日常報道されている、あの思い出深い地の変貌には、「隔世の感あり」としか表現のしようがありません。

  留学先の美術学校は、Cranbrook Academy of Artが名称で、当時は、graduate course(大学院)しかありませんでした。Cranbrookは、Bloomfield Hills市の高級住宅地の一角にあり、周りは、なだらかな起伏に富んだ広大な草地と林の中に大邸宅が散見される、それはそれは夢のような美しい所でした。

 当時、 この高級住宅地の住民のほとんどは、3大自動車会社や関連する会社の重役や役員の家族でしたが、現在はどうなっているのでしょうか。

  私は、今、前回の投稿で伝えた 『松本亨 英作全集・第1巻』の改訂で忙殺されていて、しばらくお休みさせていただくつもりでしたが、GM破たんのニュースに、日本では伝えられていない事を数行書きたくなり、少し時間を割くことにしました。

  Cranbrook から New York City に移住し、仕事も空手道場の経営も安定しだした1960年半ばごろ、中古の車を所有することになりました。クライスラー社製大衆車の Plymouthという車種で、知り合いから購入したのですが、これがとんでもない代物で、維持費ばかり掛かって痛い目に遭いました。

  さて、私がどうしても書きたくなったという話ですが、当時のアメリカでは、ドイツ車の Volkswagen 以外、外国車との競合は少なく、それをいいことに、アメリカの自動車産業は、耐用年数が3年程度の乗用車を製造していました。つまり、3年乗ると買い替えなければならないように作っていたのです。

  ですから、私の中古車は、3年の耐用年数をかなり過ぎていたので、救いようがありませんでした。

  当時、ほとんどのアメリカ人は、このことに大いに不満を持っていましたが、前述の Volkswagen 以外、外国車の進出はいまいちでしたから、アメリカ車は独占状態を謳歌し、耐用年数3年の乗用車を製造し続けていました。ただ、GM製の最高級車 Cadillac だけは、品質も性能も評価が抜群に高かったのですが、高価で庶民には手が出ませんでした。新車を運転したことがありますが、当時のアメリカの自動車技術の粋を集めた感のある最高の車でした。

  もし、アメリカの自動車産業が、1950年代以前の耐用年数が8年~10年の車の製造を心掛けていたならば、日本車のアメリカ進出はずっと遅れていたことでしょうし、今回のような破たんを免れていたでしょう。アメリカの自動車会社の慢心が、日本の自動車産業に利したことは間違いありません。

  このような事実は、「希代のペテン師」コイズミと「舌先三寸」タケナカを後押しした、中谷巌氏など、アメリカ人同様の日常生活に密着した厳しい現実の洗礼を受けたことのない日本のお偉い方々には、全く理解の範囲を超えていることでしょう。

  日本に伝えられていないこういった件に関しては、労働組合(UAW)を含め、ほかにも山ほど書きたいことがありますが、上述したように、言い訳がましいですが、忙しい身なので、とりあえず今日はここまでにします。

  いずれにしても、日本を含む世界中のほとんどの国においては、ガラス張りの真実の報道は望むべくもなく、またそういった「うそ」に乗せられる何世紀にもわたる懲りない民の哀れさには言葉を失います。

 


地盤、看板、カバン

2009年03月29日 | Weblog

中川元財務大臣の酔っぱらい会見に呆れ果てて、予定していた「チーズの話」から、この件に関連した話をちょっと、と一か月前に書き始めたのですが、来月4月末発行を予定している 『松本亨 英作全集・第1巻』 の改訂編集に忙殺されて、中途で断念せざるを得なくなりました。我ながら情けなく、同時に、今しばらくお休みさせていただくことをお伝えしたいと思います。

  今や、解散総選挙の有無、民主党の小沢党首の進退など、毎日、政治または政局などのニュースに事欠きません。

  しかし不思議なことに、ほとんど、どのマスメディアも、日本の現在の政治や社会の状況が、なぜこのようになったのか核心に触れることはありません。近ごろ、やっと、コイズミやタケナカの「改革改革」のかけ声とともに、お先棒をかつがれた未熟な「郵政民営化」に反省の弁も聞かれますが、それでもその推進者二人に対し、私の言う「希代のペテン師」とか「舌先三寸」などという表現は、実際にそうであっても、耳にすることはありません。

  アメリカはやっと目覚めて、Bushさんに代えて Obamaさんを大統領にしましたが、時すでに遅しでした。

  ひるがえって、日本はどうかと言うと、相変わらず 「地盤、看板、カバン」 の意識から抜け出せないということです。それは、世襲議員を量産していることから自明です。

  何が問題かと言うと、それは有権者または選挙民の知性良識度の問題で、今の状況では望む方が無理でしょう。

  では、なぜマスメディアがこの問題を真剣に取り上げないのか、ということですが、有権者または選挙民は、マスメディアのお客さんつまり購買者であり視聴者だからです。口が裂けても、お客さんに面と向かって、「知性が無い」とか「良識が無い」なんて言えませんからね!

  四方を海に囲まれ、「密室社会化」した所では、下手なことを言ったら村八分に遭うのが関の山ですから。癒着の構造をぶち破るには、日本の社会では、ものすごく勇気の要ることで、まず、現状では不可能でしょう。

  やれやれ!また、近々「チーズの話」でお会いできることを願っています。


卵が先か、鶏が先か?

2009年01月25日 | Weblog

表題の設問を英語では、Which came first, the chicken or the egg? と言うようです。なぜ、日本語では卵が先で鶏が後に来るのか不明です。

  この問いは、何世紀にもわたって議論されてきたようです。しかし、質問の起源や出所についてちょっと調べてみましたが、収穫はありませんでした。もし、ご存じの方がいらっしゃったら、お知らせいただければ幸甚です。

  この論争の意味は「解決できない問題という比ゆ」であるとする記述があります。また、もっと深刻に「相互関係のある複数の事象が存在し、ある片方が誕生するには、もう片方が既に存在しなければならない、という矛盾した状況を比ゆ的に表現したもの」という解説もあります。

  何でこんな論争を私がここに引っ張り出したのかと言うと、日本の英語教育界の不毛な論争を皮肉りたいからです。

  「英語教育界の不毛な論争」とは何かと言うと、「英語を日本の小学生または幼児から教えるべきではないか」という、過去数十年に渡って繰り返されてきた論争です。このばかばかしい論争は基本的に、かつて文部省と称されていた時代から現在まで続いています。

  なぜばかばかしいかと言うと、前回のブロッグを読んでいただければご理解いただけたのではないかと思っています。そのことは、名城大学教授船田先生と私の共著『英語と日本人 なぜ英語ができない』にも、しっかりと書き記しました。

  現在の文部科学省でも、英語を低学年に導入することにことのほか熱心なのは、以前、このブロッグで指摘しましたが、教科書を含めた英語教材製作会社の「もうけ」と「」との限りない癒着にあるのではないでしょうか。

  帰国してから、中高向け英語の教科書を出版できないものか探ったら、教科書は、教科書製作を専門とする特定の複数の出版社が独占している聖域で、応募しても門前払いを食らうのが関の山だ、ということが分かりました。文部科学省と出版業者との長年の癒着の構造が出来上がっていて、新参者は入り込む余地がないのです。

  このことは、日本のあらゆる産業や社会の構造に見られる図式で、長い歴史ある国としてやむを得ないことかもしれませんが、やはりこの構図を打破していくことが大切です。多くの日本人は、日本は民主主義国家であると信じているようですが、それは欧米をまねた形式だけであって、実態は、地域の有力者におもねる封建社会のような古風な国家であると私は思います。

  それは、日本全土の都市に根を張る「やくざ社会」または「暴力団組織」を見れば分かるでしょう。イタリアにはシチリア島を基盤とするマフィアという組織がありますが、日本のようにイタリア全土にわたる組織ではありません。世界のどの国にも非合法組織は、多かれ少なかれ存在することは確かです。

  しかし、日本に依然として存在する癒着の構造を断ち切るには、日本人一人一人の意識の改革が不可欠です。「改革、改革」と唱えて、自民党でなく日本をぶっ壊した、私の言う「希代のペテン師」コイズミと「舌先三寸」のタケナカのような人間にだまされない良識を養うことが大切です。

  最近、マスメディアが報じたことですが、かつて「ペテン師」と「舌先三寸」チームを強力に後押しした、中谷巌氏が懺悔録を出版したようです。しかし、「私はアメリカかぶれだった」と公表して謝って済む問題ではないと思います。氏の進言が国家の命運を左右する、というような要職に就いていただけに、何とも後味の悪いことです。

  ことほど左様に、先に述べた、日本の英語教育の迷走ぶりです。英語は、中学校での基礎教育だけで十分です。その代り現行のように必修とし、徹底した「聞く・話す・読む・書く」に十分な時間を割くべきです。ただし、高校と大学では選択科目とします。

  ここで問題となるのは、中学校での授業内容の充実です。そのためには、優秀な教師を必要とします。英語による「聞く・話す・読む・書く」を徹底的に指導できる教師を、日本全国の公立校に配置しなければなりません。

  どんな教科でも、指導力のある教師を必要とすることは自明の理でしょう。そういった教師を養成することは時間のかかることです。ただ、やみくもに、小学生から英語を必修させるというのでは、故障した車や飛行機を素人に修理させるようなものです。

  正しい英語教育を行うという視点から見れば、日本全国の中学校の英語担当の教師で胸を張って指導できる先生は、申し訳ないが、そんなにいらっしゃるとは思いません。私の言う、正しい英語教育というのは、「聞く・話す・読む・書く」をnative並に指導できるということです。それも、ただ、英会話が流暢に話せるということではありません。

  表題に、「卵が先か、鶏が先か?」と書きました。日本の英語教育においては、絶対に、卵を産む鶏」、つまり先生」が先であるべきです。ところが、文部科学省が実施しようとしていることは、鶏でも卵でもない、「絵に描いた餅」の域を脱していません。

  何でこんなばかげた頭の悪い論理が、何十年も日本ではまかり通るのでしょうか?政・官・業の都合によるとしか私には思えません。

  次回は、話題を大転換して、私の大好きな食べ物、「チーズ」の話でもしましょう。


アメリカ在住ノーベル賞受賞者の日本語力

2009年01月14日 | Weblog

昨秋、複数の日本人にノーベル賞物理学賞化学賞が授与され、日本中が沸きました。

  特に、物理学賞を授与された、益川敏英さんは、「私は英語が嫌いでできません」と言うなど、飾らない言動がマスコミの注目を集めました。一方、同じく物理学賞を授与された、小林誠さんは、物静かで英語も堪能で、益川さんとは対照的でした。面白かったのは、益川さんの息子さんが、ノーベル賞を受賞するに際して、「あまりしゃべりすぎないように」といった記事をネットで読んだことでした。

  他方、同じく物理学賞を受賞された南部陽一郎さんと化学賞を受賞された下村脩さんですが、お二人ともアメリカに長年居住されています。しかし、マスコミの取材陣に、お二人はしっかりした日本語で対応しておられました。

  さらに、南部さんは87歳、下村さんは80歳と高齢です。南部さんは高齢を理由にノーベル賞授賞式を欠席されました。アメリカに長年滞在された理由には、研究しやすい環境があったということでしょう。

  私の経験からでも、その点はうなずけます。日本で、日本に関わりない分野で専門職を全うするには、非常に難しいことは私自身が今もって日常的に経験しています。日本は、地理的には地球上の孤島であることから、鎖国を可能にした閉鎖的な社会であることは、今日でも疑う余地はないでしょう。

  その国が世界第二位の経済大国になったのは奇跡的です。しかしそれを可能にした最大の理由の第一は、幸か不幸か、狭い日本であるがために培われた職人意識からくる勤勉さ、第二は、アメリカという豊な市場です。

  日本の代々の政権がアメリカにべったりなのは、日本の繁栄をもたらしたアメリカのご機嫌を損なうことは、保護者やお上に逆らうのと同然ですから、やむを得ないことなのでしょうか?

  こういった日本の状況の中にあっても、特定の学問において、多くの日本人がノーベル賞候補者になり、また受賞もしています。閉鎖的な社会にあって国際的に認められる業績を残されておられる受賞者の方々には、本当に敬意を表したいと思います

  嫉妬とやっかみと利害が渦巻く世の中で信ずることをやりぬくことは大変なことです。「日本人は互いの足を引っ張る」という評判は、かなり国際的に知られたことです。私が帰国して日本社会に生活の拠点を移すに際して、一番気を使ったのはその一点です。この事については、いずれ書き記さなければと思っています。

  やれやれ、話の本題が大幅に横道にそれてしまい申し訳ありません。

  帰国後、前に述べた日米合弁の広告代理店に就職した時、アメリカから赴任したアメリカ人副社長と私は、日本の親会社で、主だった社員に紹介されました。そして新任の挨拶をすることになり、私は日本語で、副社長は英語で挨拶をしました。

  自己紹介を兼ねた私の挨拶が終わって、司会者の方が述べた言葉に、私は我が耳を疑いました。「お世辞にも上手とは言えない日本語でのご挨拶ありがとうございました」。

  得々として自己紹介をしたつもりでしたが、「えっ!そんなに変な日本語なの?まともな日本語で挨拶したつもりなのに…

  この私の苦い経験から、ノーベル賞受賞者、南部さんと下村さんの日本語についての話に戻ります。なぜ、長年アメリカに滞在していながら、お二人の日本語に衰えが見られなかったのか、ということです。

  答えは簡単です。お二人とも奥様が日本人だからです。つまり、仕事では英語を使っていても、家庭に戻れば、ご夫妻は日本語で会話を交わされていたことは想像に難くないからです。

  一方で、日本語を忘れた私の場合はどうであったかと言うと、ニューヨークに住んでいた時、私の妻はアメリカ人でした。アメリカの会社でアメリカ人と対等また同等に英語で仕事をし、空手の指導も全て英語、家庭でも英語という生活を10年以上にわたって送りました。

  私は、アメリカに永住するつもりでしたから、そのことに何の疑問を感じずにいました。当時、私が日本語を使う機会は、何ヶ月ごとに、空手の昇級・昇段審査または交流試合の時、日本人の先生同士「やあやあ!」と挨拶を交わし、審査後によもやま話に興じる程度でした。

  もちろん、現在のニューヨーク市やその周辺には、日本人だらけですから、日本語を話す機会はいくらでもありますが、1950年代から1960年代にかけてのニューヨーク市には、二世三世を除く日本人居住者は数える程度しかいませんでした。

  言葉というものは、常に使っているかあるいは触れていないと忘れてしまう。

  その好例がスポ-ツです。どんなに優秀なスポーツ選手でも、日ごろの練習を怠れば、実力はすぐに失われてしまいます。

  私の英語も、アメリカ社会でもまれ、広告代理店でアメリカ人と張り合って、次第に上達し身についていきました。私がその後イタリアに居を移すころには、だれもが私をnativeと信じて疑いませんでした。

  しかし、言葉を身につけるということは、上に述べたような言葉を使う技術だけではありません。『英語と日本人 なぜ英語ができない』の中で述べたように、学んでいる、あるいは使っている言語の背景、ならびにその言語を形作っている文化も身につけなければならないのです。

  しかし私の場合、ほとんど触れることのない、また使う機会の減った日本語は、先に述べたように退化してしまったのです。

  先ごろ、「高校学習指導要領改訂案」というものを文部科学省が公表しました。「英語の授業は英語で行うことを基本に」というのが指針だそうです。

  先のブロッグでの「リニューアルオープン」と同様で、「またか!」というのが私の実感です。小学生に英語を必修させるというばかなことと同様のことを、また役人は考えだしたのです。よっぽど暇なのでしょう。

  他の学科同様、いくら学習させても、使う機会がなくなったら忘れてしまう。

  次回は、このことについて改めて書きたいと思います。

  今回のブロッグも、すっかり日数がたっての、しかも年が明けての更新で残念です。それだけ忙しかったのですが言い訳はしません。

  このブロッグの「タイトル」も「サブタイトル」もブロッグの主旨に合うように、ご覧のように変えましたのでご了承ください。

 

 

 

 


「リニューアルオープン」か「新装開店」か?

2008年12月13日 | Weblog

先日、はやり言葉の「リニューアルオープン」という宣伝文を折り込み広告で見ました。前に述べたように、「英語もどき」ならぬ「カタカナ英語」や「和製英語」が、今や日本語を駆逐していますから、別に驚くことはないのですが、私には「あーぁ、またか…」と、改めて情けなくなりました。

   表題にあるように、「リニューアルオープン」というのは、普通は、いや、かつては「新装開店」と言っていました。しかし、「あれっと」思ったのは、この「新装開店」と「リニューアルオープン」の宣伝文句を比べてみたら、何のことはない、「リニューアルオープン」は、「新装開店」を「英語もどき」に変えただけなのでした。

  全くもって不明の至りでした。つまり、「新装」は「リニューアル」、「開店」は「オープン」と、日本語をカタカナ語にワープロで?変換しただけなのでした。

  じゃあ、「リニューアルオープン」 ならぬ 「新装開店」 は、「英語もどき」 ではない Englishで何と言うのでしょう?

  まず、「英語もどき」の辞書ではない、The Random House College Dictionary をひもといてみました。

  カタカナ語の「リニューアル」は、和英辞典から renewal(名詞)を、引っ張ってきたのでしょうか?しかし、辞書によると、renew-al"-al" は、ラテン語やフランス語を語源とする動詞を名詞にする接尾辞だそうですから、renewal の元になる renew(動詞)を調べました。すると、to renew の同義語に次の三つの単語があることが分かりました: to renovate, to repair, to restore。そこで、辞書に載っている例を以下にまとめてみました。

  to renewto bring back to an original condition of freshness and vigor 
  用例: to renew one's enthusiasm          
 
  to renovateto do over or make good any dilapidation of something
  用例: to renovate an old house
  
 
to repairto put into good or sound condition; to make good any injury, damage, wear and tear, decay, etc.; to mend

  用例: to repair the roof of a house 
 
  to restoreto bring back to its former place or position something that has faded, been lost, etc., or to reinstate a person in rank or position
  用例: to restore a painting, to restore a king to his throne

  これら4例の中で、「新装」に最も近いのは to renovate でしょう。しかし、「新装」は名詞ですから、英語では renovation にしなければなりません。to renovate には to refurbish という同義語もあります。

  ひるがえって、日本語の「新装」は、どう定義されているのでしょうか?

  日本人:  「一目瞭然じゃないですか!ほら、読んで字の通り、装いを新たにすることでしょう」
  ガイジン: 「なるほど、なるほど。漢字って便利ですね。一見して意味が分かるのですから!」
  日本人:  「だから先人の知恵で、中国から漢字を輸入したんじゃないでしょうか」
  ガイジン: 「でも最近、見ても読んでも意味が分からない、『英語もどき』の『リニューアル』のようなカタカナ語に人気があるようですけれど…」
  日本人:  「……」 ― あなただったら、何と答えますか?

  ガイジン: 「じゃあ、『開店』の定義は?」
  日本人:  「これも、読んで字の通り、店を開くことでしょう」
  ガイジン: 「そうそう、見ての通りで、何も問題はないですよね」 「では、オープンは?」
  日本人:  「……」 ― あなたの答えは?

  カタカナ語の「オープン」を、日本人は、名詞と動詞の意味で使っています。カタカナ語の常として、日本人は、英単語の語源の意味や品詞に関係なく、勝手に単語を名詞化あるいは動詞化して使っています。

  けれども、英語の open には多様な意味があり、その多くは形容詞として使われます。例えば、not shut or closed「(戸や窓などが)開いている」、unoccupied by buildings, fences, trees, etc.「(場所などが)広々としている」、available as for trade「(店などが)開いている」などの意味で使います。

  動詞の open は、to movea door, window, etc.from a shut or closed position「(戸や窓などを)開く」、to set in action or commence「始める」、to begin「始まる」、to make or force an opening in「通させる」、といった意味で使われます。

  ところが、英語の名詞の open は、かなり意味が限られています。the(冠詞)を頭に付けて、the out doors「屋外」、the condition of being unconcealed or publicly known「公然」という意味でも使われますが、長くなるので、この程度にとどめます。

  以上でお分かりでしょうが、外国語、特に英語の単語を、語源や品詞に関係なく、日本語の都合に合わせて、勝手に、面白半分?に「英語もどき」にしてしまう日本人の才能?には脱帽しますが、原語の意味から逸脱した外国の言葉が横行・はんらんしているのは異常です。最近の日本の社会状況と酷似しているというのも、偶然の一致ではないでしょう。日本語の乱れは、日本社会の乱れも招いています。いや、日本社会の乱れが、日本語の乱れを招いているのかもしれません。

 日本語の伝統や美しさや心を伝える、「和歌」や「短歌」や「俳句」の原点とも言える日本語はどこへ行ってしまったのでしょう?とは言え、「和歌」や「短歌」や「俳句」が消えて無くなってしまったわけでもないのです。NHKの教育テレビではその番組を放送しています。一方で、NHKは他の番組で、日本全国にカタカナ英語を垂れ流しています。

 この落差を何とも思わない日本(人)に、私は違和感以上に危機感を常に感じています。それにもかかわらず、日本語を使う専門家である学者・作家・報道人が抗議や対策や運動を起こさないのにあきれています。

 先日、常用漢字の使用枠を広げることが決められました。私にとっては当然のことだと思っています。帰国後、編集者の立場から懸命になって日本語を学び直している時に、一番苦労したことは、漢字の使用枠と送り仮名の問題でした。私が中・高校で習った漢字が使えない、あるいは異なった漢字を当てるという確認作業は、今でもそうですが、大変な労力を要しています。

 目先の事を場当たり的に、しかも小手先で対処する日本の有識者と呼ばれる人たちは、一体何者なのだろうかと思わずにいられません。十年そこそこで日本語が様変わりする事態に対し、「言葉は時代とともに変わる」などと、のんきなことを言っていられるような問題じゃないと思いますけれどね!たかが十年や二十年で一時代ですか!二十年たったら世代間での意思疎通が難しくなるということでしょう (「意思疎通」 か 「コミュニケーション」か?〈2015年06月23日〉参照)。現実にそうなっていますけれど。

 実は10月に 、水村美苗 『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩書房) という本が出版されました。朝日新聞の「文化」欄に紹介され、私の主張に共鳴できる内容のようなので購入しましたが、残念ながらまだ読むひまがありません。著者の略歴にによると、幼少時にアメリカに移住し、バイリンガルの方のようです。皮肉なことには、英語ができる人でないと、日本語が直面している事態に気付かないようです。

 なぜ気付かないかというと、身内の変化、例えば、子供の身長とか体重とか心の変化に、親は毎日見慣れ触れているので疎いのと同じです。「ご飯」が「ライス」、「コーヒー」が「ホット」に変わっても、何にも感じないようなものです。

  私は、日本語はすでに滅び(亡び)つつあると思います。やっとその現実に警鐘を鳴らす良識ある日本人があらわれたようです。

 本題に戻ります。「新装開店」は、「英語もどき」でない English で何と言うのでしょう?(How do you say "renewal open" in proper Englilsh?

  ある「和英辞典」は、おおよそ次のように英訳していました。
    ~will reopen~after refurbishment.
 
」の部分は、開店する「店舗」や開場する「施設」の名称です。2番目の「」は、開店、開場する時期です。この訳から、私は、以下のように書きます。


  We areThe store isrenovatedrefurbishedand will reopen on the 20th of December.

 
これでは宣伝文にならないので、次のようにしました。

WE ARE COMPLETELY RENOVATED !!
 Ready to Reopen on the 20th of December
  Lucky Pachin
ko Parlor

  数日前から、アメリカの上院と下院の公聴会で、いわゆる Big (三大自動車会社)に対し、bailout (資金援助)について審議がされました。私が初めて留学した先が、Big の本社所在地、Detroit の近郊でした。当時と現在を比べると、それこそ「隔世の感」を否めません。このことについても近々書きたいと思います。

  次回は、今年の在米日本人ノーベル賞受賞者、下村さんと南部さんの日本語についてです。
 


Congratulations, Sen. Obama!

2008年11月23日 | Weblog

やっと、アメリカの次期大統領選出選挙が終わりました。今回は、予備選挙で民主党から、First Ladyの女性候補者と、カンサス州出身の白人の母とケニヤ人の父を両親とする黒人の血筋を受けた候補者それぞれが、アメリカ初めての大統領の座を争ったことから、以前にも増してアメリカ中、いや世界中の注目を浴びました。

  結果は、長い長い選挙戦の末、ご承知のように、黒人系の Sen. Barack Obamaさんが、共和党候補者 Sen. John MaCainさんに大差をつけて次期大統領の座を射止めました。

  来年の一月には、あの真っ白なWhite Houseに、黒人の大統領とFirst Ladyが出入りする状況を見ることになるのは、長年アメリカで生活した私にとっても画期的なことです。これまで見なれた、白人大統領夫妻の生活と大統領の執務の拠点であったWhite Houseに変化が訪れるのです。しかし、このことがアフリカの国であったら、別に驚くことはないのですが、白人支配のアメリカでは画期的ということでしょう。

  今回の大統領選挙は、アメリカ国民のちょっとした意識の変化がこのような結果を招いたと思います。それは、これまでの選挙で、投票に行かなかった若年層がやっと投票場に向かったということです。

  前回の選挙で同じような行動があったなら、軍需産業と石油産業の傀儡であった現政権を、4年前に変えることができたのです。そうすれば、中東での戦争の拡大と現在の世界経済の停滞を防げたはずです。

  このことは日本も同様で、選挙に行かない無党派層と言われる連中が、一党独裁と多数の世襲議員を生み、税金の無駄遣い、社会保障の後退をもたらしています。

  「変革」(Change)を訴えている Obamaさんと、「改革」(Reform)を唱えたが、郵政民営化だけでお茶を濁した、日本の私が呼ぶところの「希代のペテン師」と、どちらが真に成果を上げることになるのでしょうか。

  Obamaさんは、Bush Administrationが残した負の遺産 ― 不況、中東問題など、今後の課題は山積していますが、どのように対処するのか、興味が尽きないというより、前途は多難です。

  アメリカ国内外の問題への取り組みと解決法は、選挙で盛り上げた手法とはまったく異なります。有能な側近と閣僚からの提言に対し、確実で迅速なObamaさん自身の決断が求められます。

  Obamaさんは、先日、上院議員を辞任したようで、表題のSen.SenatorObamaは、遅きに失しますが、このブロッグを書き出したのが二週間前なので、お許しください。

  私が主宰する「英友社」の決算が8月なので、9月、10月と多忙で、今回は、ブロッグを更新するのが大変遅れてしまいました。

  このささやかなブロッグも、開始してから一年が過ぎました。健康上の理由で中断したりしましたが、何とか続けることができたので、私としては、「やれ、やれ」です。内容的には、私の趣味とする料理のことなどをもっと書きたかったのですが、理想と現実はうまく合致しません。

  来月から、『英語と日本人 なぜ英語ができない』で予告した、松本亨・英作全集』(全10巻の改訂版の編集に、本格的に取り組むことになります。数か月前から、手がけていたのですが、いろいろな事情から、思うように進行しませんでした。来年の一月末に「第1巻」の発行を目指しています。ご期待ください。

  40年間にわたって親しまれ、評価されてきた、松本先生の代表作の一つだけに、内容を一新したものになります。

  「英語もどき」 を、今回も中断しましたが、次回こそはと思っています。


「社長」の肩書は恒久的なのか?

2008年10月18日 | Weblog

今回も予告を臨時に変更して、かねてから日本の慣行で、非常に気になっていることについて述べさせてもらいます。それは、私から見ておいおい、ちょっとおかしいんじゃないのと言いたくなったからです。

  事の発端は、いわゆる「ロス疑惑」とされる、ロスアンジェルスで発生した殺人事件の中心人物で容疑者と見なされた、三浦氏が、日本では無罪が確定していたにも拘らず、アメリカの信託統治領サイパンで再逮捕されたことからです。しかも事もあろうに、氏は、ロスの警察署の独房で自殺するという意外な結末までもたらしました。

  しかし、ここで問題にするのは、この事件ではなく、このブロッグの表題にある「社長」の肩書です。

  私事になりますが、14年近い海外生活で、すっかり生活感覚が外人になって帰って来た私は、日本独特の「会社社会」に慣れなければなりませんでした。私自身はそうは思っていなかったのですが、心配した親の勧めで、私が今、社主をしている「英友社」を継ぐ目的を中断し、就職口を探すことにしました。

  以前にも述べましたが、私のおぼつかない日本語では、一般の会社は無理ということで、英語が役立つ日米の合弁会社、しかも私の専門である広告の分野に職を求めました。難しいとは思いましたが、数社に面接を試みた結果、運よく、日米合弁の広告代理店に就職できました。企画制作部長(Creative Director)の肩書付きで、不安な中、日本でのサラリーマン生活が始まりました。

  救われたのは、副社長格のアメリカ人が、合弁先のアメリカ本社から赴任して来たばかりで、互いに慣れない環境で仕事をする点で助け合えることでした。彼には言葉の違いが難題だったでしょうが、私が困惑したのは、社内や取引先の人たちとの交流で、私が「折登」ではなく肩書きで呼ばれることでした。つまり、「折登部長」や「部長」のようにです。14年前、つまり戦後の日本では、目上の人でも名字で呼んでいた記憶がありましたから、たった10数年での変わりようには驚くばかりでした。

  例えば、「先生」の称号は、学校教師に対する敬称だと思っていましたら、税理士、会計士、弁護士など「士」の付く職業の人を皆「先生」と呼んでいるのには、カルチャーショックを受けました。また、国会議員のみならず、「~議員」の肩書が付く人も「先生」と呼ぶのには戸惑いました。

  アメリカでも公職にある人に対しては、Senator(上院議員)、Representative(下院議員)など、例えば、Senator ObamaSenator McCain のように、公の場では敬称を付けて呼びますが、私的な場では、first nameで、"Barack"とか "John" のように呼び掛けるのが普通です。もちろん時と場合によって使い分けることも大切ですけれど…。

  アメリカ生活で、私がアメリカの素晴らしさを実感することができたものの一つに、だれもかれもfirst nameで付き合えることでした。由来については分かりませんが、イギリスの影響のあるところは大体において、この習慣が行き渡っているのも、調べてみる価値はあるでしょう。

  前置きが長くなりましたが、私が今でも当惑するのは、「社長」と呼ばれることです。もし私が「ソニー」とか「トヨタ」のような大企業の「社長」なら、「社長」と呼ばれてもいたしかたないかな?と思うのですが、小さな出版社の「社主」であることだけで「社長」と呼ばれるのは、私にとって迷惑千万なのです。実際、名字があるのに、「社長」と呼ばれるのは、人格を否定されるようで、毎度、嫌な思いをしています。「折登」は親族しか居ませんが、「社長」は、日本全土の経営者に限らず、歓楽街の客も「にわか社長」に祭り上げられるなど、津津浦浦にいますからね。

   そこで、私はいつも、取引先の営業マンなどに、「頼むから『社長』と呼ばないで『折登』と言ってくれ」と懇願するのですが、相手は困った表情をするのが常です。日本では、企業の大・中・小にかかわらず、企業の長を「社長」と呼ぶのが儀礼のようになっているので、私の要求は営業マン泣かせのようです。一方で、個人個人の名前を覚えずとも、日本人が得意とする十把一絡げのやり方で、だれかれを「社長」と呼んで逃げている節もあります。

  日本語の「社長」は、英語ではpresidentに当たるようですが、私が経験した限り、アメリカでは、「大統領」以外にpresidentと呼ぶ人も呼ばれる人も会ったことはありません。先にも述べたように、英語国では、日常生活においては、企業のpresidentでも、大体、first name、特に敬意を表すときは、Mr.Mrs.などの敬称を名字の前に付けて、"Mr. Johnson"または "Mrs. Brown"のように呼ぶのは、かなり知られている習慣でしょう。敬称の使い分けに悩む日本に比べ合理的で、人との付き合いを楽にします。

  さて、本題に戻ると、ロス疑惑の中心人物の三浦氏に、マスメディア(mass media)は、最初から最後まで、「元社長」の肩書を付けて報道しています。公職で、大統領や首相を務めた人ならば、「大統領」「首相」と呼ぶなり書くのは妥当としても、一民間の企業で、過去に社長を務めたことがあるだけの人に、まるで示し合わせたかのように、異口同音に、「三浦元社長」、「三浦元社長」と斉唱しなければならない必然性がどこにあるのか、不思議というよりあきれ果てました。

  三浦氏、三浦和義氏、三浦容疑者とするのであれば、妥当だと思うのですが、一部を除く、日本のテレビ、新聞、雑誌、ありとあらゆるマスメディアが付和雷同して、「三浦元社長」と報道するのには、マスメディアに限らず、この国の民の知性が衰退し、幼児化している証拠としか考えられません。私が「希代のぺてん師」と呼ぶ、ついこの前引退を表明した「元首相」の尻馬に乗って、「郵政民営化」「郵政民営化」と大合唱したのもマスメディアです。

  最近のマスメディアは、自己の報道の内容を批判・検証する能力を失っています。『英語と日本人 なぜ英語ができない』でも述べましたが、かつて、戦時中に報道統制がなされ、報道の精神を曲げ、国民に「虚偽の報道」をすることを強いられた苦い経験を忘れたとしか思えません。

  「社長」という肩書は、公職の肩書とは違い、恒久的なものではないはずです。マスメディアは、もっと個々の知性と判断力に基づいた独自の報道を心掛けてほしいと願うのは私だけでしょうか。横並びの「元社長」報道にはうんざりです。カタカナ英語や和製英語のはんらんに歯止めが掛からないのも、横並びの結果です。

  次回は、「英語もどき」に戻る予定です。


「英語もどき」の英語とは?

2008年10月09日 | Weblog

がんもどき」という豆腐の「厚揚げ」に似た食品をご存じでしょう。これからの季節に食べたくなる「おでん」に欠かせない具の一つで、私の好物でもあります。しかし、「がんもどき」という名称は、長年「厚揚げ」や「油揚げ」同様、何も疑問を感じないで受け入れていました。

  しかし最近、ふとしたことから、辞書をひもといてみました。「厚揚げ」や「さつま揚げ」に似た食品が、なぜ「がんもどき」という意味不明の名称になっているのか不思議に思ったからです。「がん」も「もどき」も食品の内容や形から連想できる物が何もないからです。そこで分かったものとは…。

  辞書によると…雁の肉に似た味がすることから、「がんもどき」と言うそうです。また関西では「飛龍頭)」と言うとか。「もどき」は「擬き」と書き、「似せた物」の意。

  しかし私からすれば、どう首をひねっても雁の肉に似た味がしません。子供のころ一時疎開した九州で雁の肉をよく食べ、おいしかったのを覚えていますが、「がんもどき」とは似ても似つかぬ味でした。

  前置きが長くなりましたが、「英語もどき」とは、「英語に似てはいるが、英語ではない」、「ましてや日本語ではない」ということを私が言いたかったのです。今、日本中にまん延する「英語もどき」は、「がんもどき」の「雁の肉」同様、英語とは似ても似つかぬものです。

  「英語もどき」の代表的なものは、「カタカナ英語」です。既にたびたび述べてきたことですが、いくらコンピューター英語を、日本語に「訳せない」「訳さない」からカタカナに置き換えるご時世であっても、開始、始め」「開店、開場」「獲得、取得」「地域、区域」「支援、支持」「上昇、向上」「特別などなどを、スタート」「オープン」「ゲット」「エリア」「サポート」「アップ」「スペシャルなどのように「カタカナ英語」に言い換える必要がどこにあるのでしょうか?

  「アルバイト」は、ドイツ語で 「Arbeit=仕事、労働」の意味ですが、どういう訳か、英語の「part-time=非常勤」に取って代わっています。昔は、日本の学生は、英語やドイツ語やフランス語を学び、戦後のように英語一辺倒ではありませんでしたから、英語の「part-time」の入る余地がなかったのかもしれません。

  だが、私が帰国したときに、「休暇」を、フランス語の「vacance」が使われているのには首をかしげました。まあ、これらはご愛嬌としても、「カタカナ英語」のはんらんは看過できない状況にある…と私には思えるのです。

  英語ができない日本人が、なぜ、「カタカナ英語」に飛びつくのでしょうか?英語ができない腹いせに、「英語もどき」で我慢する?つまり、雁の肉は手に入りにくいから、「がんもどき」で代用するのと同じ感覚なのでしょうか?

  少し話題は変わりますが、某有名大学の先生が、「カタカナ英語」ならぬ英語の「カタカナ発音」でも「工夫することで通じるようになる」という持論を半年くらい前に、某新聞に書いていました。この題材での著書もあります。脳科学などを専門とされておられるようで、「日本人が日本語を使っているときと、アメリカ人が英語を使っているときで、脳の働き方に違いがある」、といったことなど興味深い事も書かれていましたが、「カタカナ発音でも工夫することで通じるようになる」というのはかなり無理がある論です。

  例えば、「パール=pearl」「ミルク=milk」は、それぞれ「真珠」「牛乳」の意味ですが、「カタカナ発音」で、日本での生活経験のない、英語国の native speaker に、「パール」「ミルク」と言ってみてください。通じたら奇跡です。

  かつて、ニューヨークの China Town で、私の空手の生徒、四、五人と練習の後、よく行きつけの料理店で食事をしました。中国人の waiter は、常連の私たちに中国語なまりで、行く度に「ヴォシタスゥプ、ヴォシタスゥプ」のように発音して、ある料理を勧めるのです。何度聞き返しても意味が分からないので注文しなかったのですが、あまりにも勧めるので一度注文してみようということで、持ってきてもらったら、何と vegitable soup でした。カタカナで書けば、「ベジタブル・スープ」です。

  「カタカナ英語」に戻って、つい最近、都内の山手線に乗って出入り口の上に設置された、「車内テレビ?」に映し出される画像を漫然と眺めていたら、明日の天気予報が映されたので、これは便利と見たら、「エリアの天気」とありました。どういう意味かと思ったら、何のことはない、「各地の天気」でした!ちなみに、天気予報での「エリア」は、英語では area ではなく region。「エリアの」は regional です。

  また、地上波テレビの天気予報で、気象予報士が、「6月のスタートは…」と言っていました。 「カタカナ英語」もここまで来ると、もう手の付けようがないとしか言いようがありません。

  次回も「英語もどき」にかかわる話です。