昨秋、複数の日本人にノーベル賞の物理学賞と化学賞が授与され、日本中が沸きました。
特に、物理学賞を授与された、益川敏英さんは、「私は英語が嫌いでできません」と言うなど、飾らない言動がマスコミの注目を集めました。一方、同じく物理学賞を授与された、小林誠さんは、物静かで英語も堪能で、益川さんとは対照的でした。面白かったのは、益川さんの息子さんが、ノーベル賞を受賞するに際して、「あまりしゃべりすぎないように」といった記事をネットで読んだことでした。
他方、同じく物理学賞を受賞された南部陽一郎さんと化学賞を受賞された下村脩さんですが、お二人ともアメリカに長年居住されています。しかし、マスコミの取材陣に、お二人はしっかりした日本語で対応しておられました。
さらに、南部さんは87歳、下村さんは80歳と高齢です。南部さんは高齢を理由にノーベル賞授賞式を欠席されました。アメリカに長年滞在された理由には、研究しやすい環境があったということでしょう。
私の経験からでも、その点はうなずけます。日本で、日本に関わりない分野で専門職を全うするには、非常に難しいことは私自身が今もって日常的に経験しています。日本は、地理的には地球上の孤島であることから、鎖国を可能にした閉鎖的な社会であることは、今日でも疑う余地はないでしょう。
その国が世界第二位の経済大国になったのは奇跡的です。しかしそれを可能にした最大の理由の第一は、幸か不幸か、狭い日本であるがために培われた職人意識からくる勤勉さ、第二は、アメリカという豊な市場です。
日本の代々の政権がアメリカにべったりなのは、日本の繁栄をもたらしたアメリカのご機嫌を損なうことは、保護者やお上に逆らうのと同然ですから、やむを得ないことなのでしょうか?
こういった日本の状況の中にあっても、特定の学問において、多くの日本人がノーベル賞候補者になり、また受賞もしています。閉鎖的な社会にあって国際的に認められる業績を残されておられる受賞者の方々には、本当に敬意を表したいと思います。
嫉妬とやっかみと利害が渦巻く世の中で信ずることをやりぬくことは大変なことです。「日本人は互いの足を引っ張る」という評判は、かなり国際的に知られたことです。私が帰国して日本社会に生活の拠点を移すに際して、一番気を使ったのはその一点です。この事については、いずれ書き記さなければと思っています。
やれやれ、話の本題が大幅に横道にそれてしまい申し訳ありません。
帰国後、前に述べた日米合弁の広告代理店に就職した時、アメリカから赴任したアメリカ人副社長と私は、日本の親会社で、主だった社員に紹介されました。そして新任の挨拶をすることになり、私は日本語で、副社長は英語で挨拶をしました。
自己紹介を兼ねた私の挨拶が終わって、司会者の方が述べた言葉に、私は我が耳を疑いました。「お世辞にも上手とは言えない日本語でのご挨拶ありがとうございました」。
得々として自己紹介をしたつもりでしたが、「えっ!そんなに変な日本語なの?まともな日本語で挨拶したつもりなのに…」
この私の苦い経験から、ノーベル賞受賞者、南部さんと下村さんの日本語についての話に戻ります。なぜ、長年アメリカに滞在していながら、お二人の日本語に衰えが見られなかったのか、ということです。
答えは簡単です。お二人とも奥様が日本人だからです。つまり、仕事では英語を使っていても、家庭に戻れば、ご夫妻は日本語で会話を交わされていたことは想像に難くないからです。
一方で、日本語を忘れた私の場合はどうであったかと言うと、ニューヨークに住んでいた時、私の妻はアメリカ人でした。アメリカの会社でアメリカ人と対等また同等に英語で仕事をし、空手の指導も全て英語、家庭でも英語という生活を10年以上にわたって送りました。
私は、アメリカに永住するつもりでしたから、そのことに何の疑問を感じずにいました。当時、私が日本語を使う機会は、何ヶ月ごとに、空手の昇級・昇段審査または交流試合の時、日本人の先生同士「やあやあ!」と挨拶を交わし、審査後によもやま話に興じる程度でした。
もちろん、現在のニューヨーク市やその周辺には、日本人だらけですから、日本語を話す機会はいくらでもありますが、1950年代から1960年代にかけてのニューヨーク市には、二世三世を除く日本人居住者は数える程度しかいませんでした。
言葉というものは、常に使っているかあるいは触れていないと忘れてしまう。
その好例がスポ-ツです。どんなに優秀なスポーツ選手でも、日ごろの練習を怠れば、実力はすぐに失われてしまいます。
私の英語も、アメリカ社会でもまれ、広告代理店でアメリカ人と張り合って、次第に上達し身についていきました。私がその後イタリアに居を移すころには、だれもが私をnativeと信じて疑いませんでした。
しかし、言葉を身につけるということは、上に述べたような言葉を使う技術だけではありません。『英語と日本人 なぜ英語ができない』の中で述べたように、学んでいる、あるいは使っている言語の背景、ならびにその言語を形作っている文化も身につけなければならないのです。
しかし私の場合、ほとんど触れることのない、また使う機会の減った日本語は、先に述べたように退化してしまったのです。
先ごろ、「高校学習指導要領改訂案」というものを文部科学省が公表しました。「英語の授業は英語で行うことを基本に」というのが指針だそうです。
先のブロッグでの「リニューアルオープン」と同様で、「またか!」というのが私の実感です。小学生に英語を必修させるというばかなことと同様のことを、また役人は考えだしたのです。よっぽど暇なのでしょう。
他の学科同様、いくら学習させても、使う機会がなくなったら忘れてしまう。
次回は、このことについて改めて書きたいと思います。
今回のブロッグも、すっかり日数がたっての、しかも年が明けての更新で残念です。それだけ忙しかったのですが言い訳はしません。
このブロッグの「タイトル」も「サブタイトル」もブロッグの主旨に合うように、ご覧のように変えましたのでご了承ください。