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折登ひろしのGRAFFITI

日本人と英語と国際社会と、ちょっぴり料理について考える

「10年一昔」、「20年は二昔」以上でした

2013年12月20日 | Weblog

アメリカへ出かける前に、期限の切れた古い旅券、「...今はパスポートと言わないと通じないのかな...」 をめくって、最後に海外に出国したのは何年前か調べました。すると、何と1981年なのです。「えっ、何でだ!」 今式に言えば 「えっ、うっそ!」 と、自問を繰り返し、何度も旅券をめくり税関の出入国印を調べました。私の感覚では、10数年とちょっとなのに、20年以上もたっているのです。つまり、これまでの20年は、あっという間に過ぎてしまったのです。

  日本では、自民党から民主党に政権が移り2大政党時代が到来するかと思いましたが、「宇宙人的な首相」「総理になりたかっただけの首相」どじょうならぬたにしだった首相」を輩出した後、民主党は、たった3年で崩壊、自民党が昨年復帰して新政権が誕生しました。その間 「失われた20年」 という言葉が盛んにマスコミの間で報道されました。今回、古い旅券取り出すことでその 「失われた20年」 を改めて実感したのでした!

失われたどころか大損失した話し

  この 「失われた20年」 は、私にとっては 「損失の20年」 でした。20年以上も海外に出なかったことと、「失われた20年」 とが見事に合致しているのです。20年前までは、毎年2~4回は海外に出掛けて英気を養ってきました。閉鎖社会の日本で生活していると、どうしても視野が狭くなります。海外生活を経験した者にとっては、苦痛でもあり、警告とも受け止めていました。しかし 「損失の20年」 間は、海外旅行どころか生き残るだけで精一杯でした。

  実際、インターネットの普及などで、これほど情報の収集が容易であるにもかかわらず、四方を海に囲まれた地理的な現実から、安全と引き換えに内向きになるのは日本人が抱える宿命です。この宿命を感じ取って、日本人が国外にもっと目を向けるようになると良いのですが、これまでは国外よりも国内ばかりに目を向けさせ、中央集権を助長する政治家や政治屋ばかりで、私が育った戦時中を思わせる現実に事欠きません。それが高じると、黒船が、例えば、今話題のTPP(Trans-Pacific Partnership/Trans-Pacific Economic Partnership Agreement=環太平洋戦略的経済連携協定 )とかが海外からやって来て、扉をこじ開けられることになるのがこれまでの常です。

日銀総裁の暴挙の話

  なぜ、20年も日本経済は低迷したのでしょうか。経済の低迷だけではなく、デフレーションにも悩まされることになりました。それには、1989年までにさかのぼらなければなりません。昨年亡くなった元日銀総裁の三重野康氏の任期中に執った無謀な政策に起因しているのです。彼は、東大法学部卒業後1947年に日本銀行に入行しています。その後、私の手元にある資料によると、彼は日銀一筋に総裁まで上り詰めました。

  彼が日銀総裁に就任した1989年には、日本はバブル経済の真っ最中でした。何がそこまで彼を駆りたてのか、これまでにいろいろ言われていますが、彼はバブルつぶしに精力を傾注しました。私は、ちょうどその時、銀行から借金をして、東京都文京区本郷にあった英友社のプレハブの社屋を取り払い、4階建ての新社屋の建設に取り掛かっていました。それが完成する直前に、バブルつぶしの日銀による何回にもわたる公定歩合の引き上げが始まったのです。

  何千万円という借金を背負った私に、出版社の売り上げに反比例するこの急激な公定歩合の引き上げは、こたえました。借入金に加え、次から次へと上る公定歩合と連動する利息の返済に追われ、苦難の連続を経験することになりました。

実体経済に無知な日本の官僚と政治家の話

  バブル経済に限らず経済を急速に冷やすとどういうことになるか、それが日本経済にどういう悪影響をもたらすか、もし、会社などを経営または商売を経験した者には、自明の理であるはずが、当時の三重野総裁という人物には、理解の範囲を超えていたのでした。実体経済については素人でしかなかったのです。その彼が、日本経済・金融の中枢である中央銀行の総裁の地位にあったことは、日本にとって大変不幸なことでした。

  それによって何が起きたかと言うと、まず、1989年には4万円近くあった株価が下がり続け、とうとう1992年には1万5000円を割り込むことになりました。バブルをはじけさせず経済の過熱を下げるには、いわゆる軟着陸(ソフト・ランディング)の道を探り、様子を見るのが常識であるのに、三重野総裁は、膨れあがったバブルを一気に破裂させました。さらに、それに先駆ける1990年には、当時の大蔵省は「不動産融資総量規制」を全国の金融機関に発し、その結果、株価に限らず地価の下落や投資や消費を冷やし、不良債権の山を築き、20年間にわたり日本の経済を低迷させることになったのです。これは私から言えば、経済犯罪に匹敵する事態です。老後の安定を考えて、出版社の他に不動産賃貸業も営んでいた私には命取りとなりました。

日本の大マスコミは大企業を偏重する話

   こんな無謀なことを仕出かし、日本の企業の90%以上を占めると言われる中小零細企業が不況に苦しんでいても、実体経済に無知な、世襲による政治家(「地盤、看板、カバン」〈2009年3月29日〉参照)は有効な対策を打てず、片や大マスコミは、大企業と時の政権におもねるだけで役に立たず、郵政改革民営化が経済回復につながるとうそぶく小泉政権において、株価は一時7000円台までに下がったのは、そんなに昔の事ではありません。

  アメリカのサブプラム・ローンに端を発した金融危機問題(2007年~2009年)に、当時のアメリカのFRB(Federal Reserve Board=連邦準備制度理事会)のグリーンスパン(Alan Greenspan)議長(中央銀行総裁に当たる)は、この日本の失敗に学んだとされ、素早い対応によって株価の暴落を免れたとされます

  民主党から自民党に政権が交代し、安倍晋三氏が総理大臣に再就任し、いわゆる「アベノミックス」と言われる経済政策を、新日銀総裁の黒田東彦氏(上述の三重野元総裁とは異なり「デフレーションの責任は日銀にある」と批判してきた)と協調して脱デフレを掲げ、株価も1万4000円~1万5000円台にやっと戻しました。それでも 「失われた20年」 前の半分でしかありません。「アベノミックス」については、評価が分かれていますが、私は 「もっと大胆にやれ」 と言いたいです。とにかく日本の男性は内向きで臆病ですから、失敗を恐れて冒険することを怖がります。思いきったことをやれません。今は女性の方が大胆です。話はそれますが、英語が苦手なのも失敗を恐れるからです。しかし、バブルを一個人の思い込みで、ぶっ潰し、長い間日本経済を不況におとしめるようなことは、過去も現在も絶対にあってはならないことです。

ニューヨーク市長の話し

  前回述べたように、ニューヨ-ク市を訪問することにしたのは、二つの理由からでした。だが、空手の元生徒達には、会えませんでしたが、市内で精神科医をしているアメリカ人の元妻に、こちらも20年余ぶりに再会することができ、旧交(離婚後も友人として交流)を温めるとともに、今のアメリカならびにニューヨーク市についていろいろ話を聞くことができました。彼女は、私のために一日割いてくれ、その中の会話で、私にとって最も興味深かったのは、前ニューヨーク市長、マイケル・ブルバーグ(Michael Bloomberg)氏の功績でした。

  私がニューヨークに行ったのは、今年の6月でしたから、市長は、まだ、ブルンバーグ氏でした。この11月に市長選挙が行われ、新市長は、民主党の ビル・デ・ブラシオ(Bill de Blasio)氏です。氏は新年からその職務に就くことになります。

  民主党の市長の登場は、20年ぶりだそうで、ブルンバーグ氏も、その前のルドルフ・ジュリアー二(Rudolph Giuliani)氏も共和党に所属していました。ただ、ブルンバーグ氏は、元々は民主党に所属していましたが、市長選では共和党から立候補して周囲を驚かしたといういきさつがあります。現在は、共和党を離党し無所属になっているそうです。

  ブルンバーグ氏は、以前にも述べましたが、大富豪で、全米で8位、世界で23位(2010年)に選ばれています。ジュリアー二氏は、9/11の「同時多発テロ」時の市長で、その対応と指導力が称賛されたことを記憶されている方もおられるかもしれません。

  一方、新市長のビル・デ・ブラシオ氏の夫人は、黒人で詩人、息子は巨大なアフロヘアを売り物にするという異色の一家で、娘を含む一家の写真が選挙戦中に選挙公報に使用され、氏の政策とは別に、支持率を急増させたそうです。彼の政治家としての実力は未知数ですが、一つ言えることは、アメリカがいかに変化したか(前々回の「オバマ大統領の再選で分かるアメリカの今」〈2012年12月11日〉参照)が実感されます。その主因となるものは、ヒスパニック系の人口増加にあります。

  この項については補足することも有り、改めて、書きたいと思います。とにかく、このブロッグを早く更新しないと、年1回の投稿になるという不名誉なことになるので、もろもろの書きたい事項は後回しにしました。

上は、かの有名なThe Plaza。現在は改装されて、ホテルに コンドミニアムが併合されている。下は5番街(Fifth Avenue)midtown から downtown 方面を望む。奥にエンパイア・ステートビル(Empire State Bldg.)がかすかに見える。

The Plaza の反対側にある、アップルのニューヨーク5番街店。エレベータのある入口はガラス張りで、店舗は地下にある。

ブロードウェイ(Broadway)と西34丁目通り(W.34th St.)が交差しているヘラルド・スクエア(Herald Square)で憩う人々。

 

チャイナ・タウン(China Town)側からイタリア人街(Little Italy)を望む。

 

ゲイのパレード。アメリカ全土やカナダからゲイが集合。朝早くから交通が規制された3番街(Third Ave.)をさまざまに飾った山車で移動し気勢を上げる。

 前記、ヘラルド・スクエア前にある世界最大と称するメイシーズ百貨店(Macy's)。

5番街と42丁目(Fifth Ave. at 42nd St.)に建つニューヨーク公立図書館正面入口。ライオンの像が見える。季節が季節だけに旅行者が多い。

 

グランド・セントラル駅(Grand Central Station)の中央広場(Main Concourse)。この下に列車が発着する何十本ものプラットホームがある。今年、駅舎が建設されて100年目に当たるので、前方の巨大な窓に記念の100の数字の一部が見える。

  これを書いている最中に、猪瀬直樹東京都知事が、5千万円の借入金の問題で辞任するという報道がありました。この件は次回のブロッグ更新の際に触れたいと思います。さらに、ちょうど1年前、私は、「英友社ランゲージ・スクール」の開校準備について触れました。とうとう1年遅れになりましたが、来年の春には何とか物にしたいと決めました。