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織内将男の日 光 讃 歌 

世界遺産の二社一寺などの歴史、文化を育んだ、日光の自然や地域を訪ねます。

東北紀行(40)花巻 「新渡戸記念館」

2011年03月01日 11時07分08秒 | 岩手路、花巻
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 東北紀行(40)花巻 「新渡戸記念館」  ,








花巻新渡戸記念館と展示品



次に、我らは「花巻・新渡戸記念館」に向かった。

宮沢賢治記念館からいったん国道283号線へ出る。 すぐ南の平穏な地、形よく造園された庭園の一角に新装な建物があった。
宮沢賢治記念館の合わせて2館共通の入館券で入場できた。
宮沢賢治記念館では多くの人で賑わって・・?いたが、こちらは小生夫婦の他に2~3組でひっそりとしていたが。 

記念館は、新渡戸氏が二百年以上にわたって居住していた屋敷跡に建てられているという。 又、この地は新渡戸氏が江戸期の新田開発などで地域に大きく貢献したところでもある。
展示室には、「武士としての新渡戸氏」、「新渡戸氏と信仰」、「新渡戸氏と新田開発」を3本の柱として、新渡戸家の武家としての甲冑・刀・槍などの資料や、新渡戸家の信仰に関する御堂や関係品、更に新田開発の資料、映像などが展示されている。 
又、生涯を国際平和と教育に尽くした外交官・新渡戸稲造博士としても紹介展示されている。



新渡戸氏の家系  、

先ず、新渡戸氏には壮大なる家系史があった。
新渡戸氏は、房州・千葉氏の流れでそのルーツは約800年まえにさかのぼるという。
平安初期、奥州藤原氏の変において、源頼朝の命で千葉上総介常胤は陸前浜街道の一軍の大将として一族(下総、常陸)の武士を従えていた。
この時、下野国の「新渡戸」おいて常胤の孫が藤原軍の一隊を破り、その功により頼朝より下野国、新渡戸の郷一帯を賜ったとされる。
その後、新渡戸の郷に居城し、その地にちなんで姓を千葉から「新渡戸」と名乗ったという。


以来、戦国末期から江戸期の慶長年間、三十三代・新渡戸春治に至り、徳川の治世になって、岩手・南部公に仕えるようになって盛岡藩士となり、現在の花巻市高松安野に住み高松村を知行したという。
以降、230年の間、新渡戸家は花巻の地に居住し、花巻城士の文武両道にわたる指導、新田開発に情熱を傾けた。 

又、新渡戸家は信仰心も厚く、稲荷信仰、観音信仰を心の糧とし現在、新渡戸家屋敷跡に石碑や同家の氏神でもある稲荷神社も奉ってある。
そして、この地に記念館を創設、記念展示品の中に観音堂やその一部も展示されている。


稲造自身は、「盛岡」で生を受けている。
新渡戸家は代々、南部藩の藩士の家柄で、特に父は藩主・南部利剛(としひさ;盛岡藩の14代藩主)の用人(主君の用向きを伝達したり、庶務を司る役目)を勤めた新渡戸十次郎常訓であり、稲造はその三男として生まれる。
42代・常訓(つねのり)は本家・花巻城で生まれ、43代の長子が早世したため弟の稲造が44代となり新渡戸の本家を継いでいる。

尚、稲造の祖父である41代・常澄は、青森県十和田市三本木の開拓に精魂を傾け、現在十和田市の新渡戸家は分家として現在に継がれているという。 
十和田市にも「新渡戸記念館」がある。

次回、更に「稲造の人物像


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東北紀行(39)花巻 「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」

2011年02月28日 09時14分30秒 | 岩手路、花巻
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 東北紀行(39)花巻 「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」   、





宮沢賢治



『雨ニモ負ケズ』・宮沢賢治  、

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ



雨ニモマケズ

『 人間というものは、死というものが、身近なものに感じられるようになった瞬間、初めて生というものの尊さを実感として受け止められるのだなと思った。
そして賢治死後、68年経った2001年賢治がこれほど日本中の人々に愛され、新たなる国民文学とまで表されている秘密の一端が分かったような気がした。
それはあらゆる事について、彼の紡ぎ出す言葉の一語一語が、他人や世間に「こうしろ」「ああしろ」などとおこがましいことは一切言わずに、「サウイフモノニワタシハナリタイ」としてあくまで「一人称」(自分の問題)として語る賢治の心の優しさと謙虚さにあるのではないか、ということである。
このようにして、賢治個人の「諦め」は、一種の悟りの心境にまで変化を遂げ、ついには単なる諦めが「諦念」となり、日本人いや人間精神のもっとも美しい心境を描いた「雨にも負けず」の詩文として結晶したのであろう。 』

識者・佐藤氏評】   http://www.st.rim.or.jp/~success/amenimo_ye.html


見学序に、孫の土産として「風の又三郎」と「銀河鉄道の夜」の冊子を購入して記念館を退出した。

次回、「新渡戸記念館



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東北紀行(38)花巻 「宮沢賢治人物像」

2011年02月27日 10時08分11秒 | 岩手路、花巻
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 東北紀行(38)花巻 「宮沢賢治人物像」   ,




天才・宮沢賢治


宮沢賢治は1896年(明治29年)8月27日、花巻の母イチの実家で生まれている。(1896-1933)
盛岡高等農林卒業後(現岩手大学農学部)、花巻で農業指導者(花巻農業学校教師)として活躍のかたわら創作活動をして詩人・童話作家としての名を上げる。 
又、自然と農民生活で育まれた独特の感覚や宗教心に目覚め生涯、法華経を敬信したとされる。
童話「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」、詩集「春と修羅」など多くの作品を残している。

転機となったのは29歳の時に「草野心平」と巡り会ったことであり、彼の積極的な紹介により宮沢賢治の名前が世に少しずつ知られるようになっていく。
1933年(昭和8年)9月21日午後1時半、花巻の宮澤家で結核のため死去、享年37歳の若さであった。


1931年に東北砕石工場技師の技師を担当するが東京で病に倒れ、帰郷して創作に専念するようになる。同年、手帳に『雨ニモマケズ』を書き留める。 
又、鉱山会社勤務の経験や近隣を走る「岩手軽便鉄道」(現在の釜石線)に度々乗ったことで鉄道の駅舎の命名や東北地方では有名な座敷童(わらし)をモチーフした「風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」の創作が実を結んだとも云う。



宮沢賢治の数ある作品の中で、『雨ニモ負ケズ』は余りにも有名な詩であり、何行かは暗唱できる方も多いことだろう。
死後発見されたとされるが、死の2年前に書かれたものという。 
「東北砕石工場」の技師となり、夢を抱いて上京したが運命は皮肉だった。 
その時期、賢治は急に発熱をして倒れ、その症状は思いの外深刻なもので、遺書を書いたほどだったという。 
何とか花巻の実家に戻った賢治だったが、床に伏せる日が延々と続いた。
そんな時、枕元に置いていた手帳に書いたものが、この「雨にも負けず」という散文であった。

一人の農民と して生きていきたいという賢治の理想とともに、行間には生に対する渇望と死の覚悟が読みとれる。

次回、賢治 「雨にもまけず



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東北紀行(37)花巻 「蛙の詩人・草野心平」

2011年02月26日 10時44分37秒 | 岩手路、花巻
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 東北紀行(37)花巻 「蛙の詩人・草野心平」  ,



詩集「第百階級」の扉には、四行の題詞が書かれている。

蛙はでつかい自然の讃嘆者である
蛙はどぶ臭いプロレタリヤトである
蛙は明朗性なアナルシストである

そして・・、
『 蛾を食ふ蛙はそのことのみによつて蛇に食はれる。人間は誰にも殺されないことによつて人間を殺す、この定義は悪魔だ。蛙をみて人間に不信任状を出したい僕は、それ故にのみ“かへる”を慈しみ、嫉妬の如き憎む・・』、とある。

かえる」は、自然の食物連鎖の中に組み込まれ、他の生物の食料になる可能性の中にいることが、他の生物を食料とすることの正当性がある。 
人間は自然の枠外に出て、しかも食物連鎖の頂点に立つ。
もはや正当性はない。 
互いに殺しあうことによってのみ、その正当性を無理やり見出す。 
その幸、不幸を唱えるならば、悪夢を持たない「」のなんと幸福なこと・・!!
、と「蛙」を賛美しているのである。



草野心平は、1903年石城郡上小川(現いわき市小川)で生まれている。 
兄も詩人で、心平に大きな影響を与えたという。

旧制磐城中学(現、磐城高校、小生の大先輩)、慶応大学普通部の入・退学を繰り返し、中国に渡って嶺南大学(現、中山大学)で学ぶ。 
帰国後、詩を書きながら貧窮の中で各地を転々としながら、編集者、記者、宣伝部員から貸本屋、焼鳥屋、居酒屋の経営まで手がけるが、商売上手ではなかったようである。 

そんな中で、宮沢賢治と八木重吉(日本の詩人:明治31年、町田市相原町に生まれる、キリスト教徒、肺結核により29歳の若さで死去)を広く世に紹介し、高村光太郎との温かい友情は終生続いたという。
詩人としては、詩集「第百階級」「定本・蛙」などで評価を確立し、蛙を通して生命力への賛美と自然のエネルギーをうたう「蛙の詩人」と親しまれた。
それが縁で、隣の福島県川内村(天然記念物モリアオガエルの生息地)の名誉村民になって毎年村を訪れ、自分の蔵書を村に寄付しているという。

いわき市名誉市民、日本芸術院会員、文化功労者のほか、昭和62年には文化勲章受賞。 
昭和63年(1988年)11月12日、85歳で生涯を終えている。

次回、「宮沢賢治人物像」



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東北紀行(36)花巻 「賢治と草野心平」

2011年02月25日 10時54分36秒 | 岩手路、花巻
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 東北紀行(36)花巻 「賢治と草野心平」  ,



宮沢賢治を世に紹介した人物として、同じ東北出身(いわき市)のもう一人の偉大な人物がいた。 しかも、小生の大先輩でもあるから是非紹介しておきたい。 
自称他称、かえるの詩人・「草野心平」氏である。


春の歌』 詩 草野 心平

かえるは、冬のあいだは土のなかにいて、春になると地上に出てきます。
そのはじめての日のうた・・、

『 ほっ まぶしいな。
ほっ うれしいな。
みずはつるつる。
かぜはそよそよ。
ケルルン クック。
ああいいにおいだ。
ケルルン クック。
ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。
ケルルン クック。
ケルルン クック
 』


かえるのシンペイ」は・1987年の文化勲章を受章している。

1931年、東京・麻布十番で焼鳥屋台「いわき」を開店した・・、
1952年、文京区に居酒屋「火の車」を開店・・、
1957年には新宿にバー「学校」を開いている。
かえるのシンペイは、やはりかえる同様、水に縁があったようだ。

それでも貧乏神はシンペイの元を去らず、未だ面識のなかった宮沢賢治あてに「コメ1ピョウタノム」と電報を打った。 
賢治に電報を打ったのは、彼が農場を持っているのを知っていたのである。


宮沢賢治を見抜いた草野心平の凄さ・・!、

この賢治のことをシンペイは・・、

『 現在の日本詩壇に天才がいるとしたなら、私はその名誉ある天才は宮沢賢治だと言いたい。 世界の一流詩人に伍しても彼は断然異常な光を放っている。 彼の存在は私に力を与える(中略)、私は今只、世間ではほとんど無名に近い一人のすばらしい詩人の存在を大声で叫びたいのである。 (中略)今後、彼はどんな仕事をしていくか、恐るべき彼の未来を想うのは私にとって恐ろしい悦びである。 宮沢賢治の芸術は世界の第一級の芸術の一つである 』と断言している。 

そして、若き天才・宮沢賢治の死後まもない昭和8年、「日本詩壇」に載ったシンペイが送った追悼文の末尾に、『 最後に一言ドナラしてもらえるならば、日本の原始から未来への一つの貫かれた詩史線上の一つに、類まれなる大光芒が「宮沢賢治」であることはもう断じて誰の異義をもはさめない、一つのガンとした現実である』 、と書いている。   

宮沢賢治の偉大さと、又それを見抜いた草野心平の凄さがよく理解できるのである。
草野心平はただ単なる「蛙の詩人」ではなく、彼こそ原始から未来への線上で大光芒を放つ詩人であり、世界に誇る哲学的詩人である。 
宮沢賢治と並ぶ、もう一人の「東北人らしい感性豊かな人の代表」なのである。

草野心平」はただ単なる「蛙の詩人」ではない、偉大なる「蛙の詩人」なのである。

次回、更に「草野心平



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