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織内将男の日 光 讃 歌 

世界遺産の二社一寺などの歴史、文化を育んだ、日光の自然や地域を訪ねます。

東北紀行(59)角館 「石黒家」

2011年03月25日 11時23分06秒 | 乳頭温泉、角館
『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 
微少、微力ながら援助は惜しみませんので、一日も早い安らぎと回復をお祈りいたします。

周辺の温泉地において、被災者に温かい温泉を提供してやって下さい。 所謂弱者・・?、高齢者所帯、乳幼児のいる所帯には短期間でもいいから極力空部屋(特に公共宿泊施設)を貸してやって下さい。 政府、官公庁、地方の公の機関はこれらを調整、斡旋、資金等のバックアップしてやって下さい。  
東北の温泉愛好者、東北出身(いわき)の小生




 東北紀行(59)角館 「石黒家」  ,




石黒家薬医門


石黒家屋敷と庭園



最初に訪れた石黒家は町名が表町下丁にあたり、武家屋敷通りの北の端に位置する。
何れのお屋敷もそうであったが、先ず黒塀に接続している「薬医門」を潜ることになる。

薬医門には文化6年(江戸末期の1809年)4月27日と書かれた矢板があり、道路側にはのぞき窓も付けられている。
薬医門というのは民家の大きな屋敷や武家屋敷、小寺の入り口に立つ重厚な門のことを指しているようだ。 
そのいわれは、一説には矢の攻撃を食い止める「矢食い(やくい)」からきたという説と、又、かつて医者が優先的に通された門として使用したからとも云われる。 
建物様式は、しっかりした四本以上の柱を建て、切妻型の屋根を乗せた門のことを言うようである。


門を入ると直ぐに主家があって正玄関と脇玄関の二つが並んでいる。
こような玄関を持つのは当然ながら、身分の高い武士の家だという。 
玄関より主屋に通されると、いきなり座敷(部屋)の中でお客に向かって案内説明(ガイド)をしてくれている、これは有難い。 
特に予約が無くても随時、係員が丁寧に5分ほど行っているようだ。


床の間や書院、火灯窓(上部が曲線状になっている形の窓で、禅宗の建築様式とも言われる)、大台所がいかにも格式を表す。 
玄関に垂れる「枝垂れ桜」も風情があっていいが、奥庭の年輪を伺わせる樹木の配置も美的である。



石黒家は、財政勘定方の関係の役職で藩(佐竹北家)に仕えた家柄で、武家屋敷のなかでは現存する最も古いものという。 
モミや枝垂れ桜など樹齢250年を超える深い木立ちのなかに、江戸時代そのままの姿で主屋、門、塀、土蔵などが保存されている。

主屋の建築年代は、18世紀から19世紀にかけての頃と推定されていて、屋根は萱葺きで、庭には水に見立てた苔が緑にしたたり、簡素なたたずまいが歴史を感じさせる。

次回、「青柳家



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東北紀行(58)角館 「武家屋敷群」

2011年03月24日 10時24分18秒 | 乳頭温泉、角館
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 東北紀行(58)角館 「武家屋敷群」  ,






江戸期の武家屋敷群の黒塀としだれ桜(観光協会)


角館武家屋敷略図(提供者に感謝)



間もなく国道341号線に出て、更に生保内にて盛岡からの国道46号線にて角館へ向かった。
ご存知、角館は「江戸期の武家屋敷群」で有名なところで、特に、屋敷群もそうだが名物・枝垂れ桜の咲く春たけなわの頃は大勢の人々で賑わうところである。

玉川沿いに大きな駐車場があり、駐車場の中にお土産やが軒を並べる珍しい光景が見られた。
これより町並み、屋敷群に向かうが、この位置からだと広い道路が左右に広がり、道端は緑の大木が被さっていてシットリとしているが、何といっても秋枯れの風情で大きく枝を垂らした名物の「シダレザクラ」が特徴ある姿で覆っている。 


各家敷のシダレザクラは今から350年前、京都から迎えた「お姫さま」の道具の中にあった3本の苗木が最初で、それが元となって長い年月を経て、今日まで残る「角館のしだれ桜」になったと言われている。


幅を大きく取った左右の通路は北方向、そして南方向へ延びていて、更に、道路と屋敷群との境には「粋な黒塀」が施してあり、これが何ともいい風情をなしているのである。
北方向には歴史的な建物で、石黒家、青柳家、そして南方角には岩橋家、河原田、小野田家、そしてやや離れて松本家などの武家屋敷群が並んでいる。

先ず、北の「石黒家」から訪ねてみた。

次回、角館・「石黒家



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東北紀行(57)田沢湖 「クニマス」

2011年03月23日 10時44分26秒 | 乳頭温泉、角館
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東北の温泉愛好者、東北出身(いわき)の小生





 東北紀行(57)田沢湖 「クニマス」   、




体長凡そ20cmの「クニマス」(動物図鑑)




ところで、クニマス(国鱒)の語源は、江戸時代に田沢湖を訪れた秋田藩主がクニマスを食べ、純粋な国産種の鱒ということから「国の鱒」と名付けられたといわれる。
先にも記したが、江戸初期に秋田藩主・佐竹義隆公が藩主としては最初に乳頭温泉・鶴の湯に入浴した記録が残されていて、その後も秋田藩・佐竹氏や佐竹北家(角館)の御用湯治場となっていた。 

温泉遊山の道々、田沢湖の秀麗な風景を堪能し、田沢湖産の魚類を食したことは当然でもあるが、その時、具体的に国鱒と命名したのは何代の藩主かは定かでない。 
しかし、これより以前に「クニマス」は「キノシリマス」(木の尻鱒;の語源は、辰子伝説の一つで、木の尻(松明)を田沢湖に投げたところ魚の姿になったという伝承から名付けられた)とも呼ばれて、時期になるとこの魚を塩引きにして秋田の御屋形様へ献上し、更には飛脚で江戸藩邸へ移送していたらしい。

クニマス」は殿様の食膳にも上る御品で、下々では「ぜいたく品」であり「もったいない」とあってなかなか口にできないものであったらしい。 
湖岸の漁民も換金魚として大切に扱い、豊漁の年でも冠婚といった特別のとき以外は食べなかったという。 
大半は城下・角館町に売りに出されていて、 その角館でも買う家は地主、上級武士、豪商など決まっており、一般の民が口にするのは大変なことで妊産婦か病人に限られていたという。


【追記】
このような絶滅した貴重な魚、70年前に完全に絶滅したとされたクニマスが、2010年に山梨県の西湖にて生存個体が確認されたという。
西湖の漁師は、この発見以前から「クロマス」と呼ばれて存在自体は知られていたが、「ヒメマスの黒い変種」程度にしか認識されていなかったらしい。 
このため、西湖周辺では普通に漁獲されていたほか、一般の釣り客も10匹に1匹程度の割合で比較的簡単に釣り上げており、2010年以前にも「西湖でクニマスを釣り上げた」などと再発見説を唱える者がいたという。

きっかけは、京都大学の教授と我らが「さかなクン」のコンビネーションで、クニマスを見出しや発端となったらしい。 
イラストを書きながら「さかなクン」が妙に思って教授に話し、専門家に依頼して解剖や遺伝子解析を実施したところ、その結果が西湖の個体であるクニマスであることが判明し、70年ぶりに生存が確認されたという。


以前に、田沢湖では人工孵化の実験をするため、1935年ころであるが本栖湖、西湖、他にも琵琶湖に送ったという記録があるらしい。 
又、近年になって田沢湖町の観光協会では100万円、次には500万円の懸賞金を懸けてクニマスを捜し、全国から14尾が寄せられたが、鑑定の結果いずれも「クニマス」とは認定されず、発見には至らなかったという。


クニマスの再発見の知らせを受けた秋田県の仙北市と田沢湖観光協会は、早速、「クニマス里帰りプロジェクト」を正発足させ、国や県と協力して田沢湖の水質改善を進めるなど、将来的にクニマスを田沢湖に戻すことを前提とした諸活動を計画開始しているとのこと。

しかし、現在でも田沢湖の水は依然として強い酸性を保っており、単にクニマスを田沢湖に戻すには程遠い状況にあるとされ、当面はクニマスの生態調査に力を注ぐと同時に、県内の他の場所でもクニマスを養殖できないか、山梨県とも協力しながら検討を続けていく方針という。


今年(2010年)の今上天皇の誕生日(12月23日)にあたって、このたびの「クニマス」発見のニュースを聞いて、特別に「さかなクン」など関係者に対し、お言葉があった。

『 この生物多様性年も終わりに近い頃、日本の淡水魚が1種増えました。それは、最近新聞などでも報じられたクニマスのことです。クニマスは田沢湖にだけ生息していましたが、昭和の10年代、田沢湖の水を発電に利用するとき、水量を多くするため、酸性の強い川の水を田沢湖に流入させたため、絶滅してしまいました。ところがこのクニマスの卵がそれ以前に山梨県の西湖に移植されており、そこで繁殖して、今日まで生き延びていたことが今年に入り確認されたのです。本当に奇跡の魚(うお)と言ってもよいように思います。クニマスについては、私には12歳の時の思い出があります。この年に、私は、大島正満博士の著書「少年科学物語」の中に、田沢湖のクニマスは酸性の水の流入により、やがて絶滅するであろうということが書かれてあるのを読みました。そしてそのことは私の心に深く残るものでした。それから65年、クニマス生存の朗報に接したわけです。このクニマス発見に大きく貢献され、近くクニマスについての論文を発表される京都大学中坊教授の業績に深く敬意を表するとともに、この度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授「さかなクン」はじめ多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います。クニマスの今後については、これまで西湖漁業協同組合が西湖を管理して、クニマスが今日まで守られてきたことを考えると、現在の状況のままクニマスを見守り続けていくことが望ましいように思われます。その一方、クニマスが今後絶滅することがないよう危険分散を図ることはぜひ必要です 』

次回、「角館



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東北紀行(56)田沢湖 「田沢湖」

2011年03月22日 10時44分48秒 | 乳頭温泉、角館
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東北紀行(56)田沢湖 「田沢湖」 ,






田沢湖の展望地 (2枚、tga85 tga86)




乳頭温泉からの帰路、暫く進むうちに、来るときは気が付かなかったが田沢湖高原の一角に田沢湖を望む「黒森」という園地兼展望地があった。 
秋色濃い湖沼周辺も合わせて明美な風景が望まれた。
観光地でもある「田沢湖」は先般の東北旅行で立寄っているので今回は遠慮することにしている。

ところで田沢湖を著名ににしている一つに、田沢湖畔に佇む「たつこ像」の像が立っている。 チョッと艶っぽい全裸の像で、最近では“金ピカ“に輝いているという。

『 北方の海沿いに、「八郎潟」という湖がある。 ここには人間から龍へと姿を変えられた八郎という龍が棲んでいた。しかし八郎は、いつしか山の田沢湖の主・辰子に惹かれ、辰子もその想いを受け容れた。それ以来八郎は辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主のいなくなった八郎潟(現在大半は干拓で農地化されている;大潟村)は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという 』

田沢湖の最大深度は423.4mで日本第一位であることは周知である。 
第二位は支笏湖、第三位は十和田湖で、世界では17番目に深い湖である。(世界で最も深い湖はバイカル湖)。
この深さゆえに、真冬でも湖面が凍り付くことはない。 そのためか日本のバイカル湖と呼ばれていた。


田沢湖には、ロマンチックな辰子姫の伝説物語の他に、悲劇的な現実のストリーがあった。
田沢湖の上流に有名な「玉川温泉」があり、強酸性泉としても知られる。 
戦前の昭和15年頃に発電及び農業振興の目的で、玉川温泉の温泉水が混じる玉川の水を田沢湖へ導水するというものであった。 
玉川温泉は源泉でのPH(酸、アルカリを示す指数、中性は7.0)は何と1.0というものであり、まさに塩酸そのもので、しかも97℃の水温で毎分4800Lという湧出量であった。 
その強酸性の温泉排水が流れる水は自然へ対して「玉川悪水」とよばれ、まさに生物の生存しない水であった。

発電事業のため玉川の水(温泉水)を田沢湖へ導水し、結果として湖水は酸性と化し、魚類はほぼ生存不可能となっていて、勿論、田沢湖固有の清流魚・『クニマス』(陸封魚の珍種)も絶滅したと言われている。
現在では、玉川温泉排水部分に中和処理施設が設置され、田沢湖の水質は以前よりは回復してきているが深度が余りに深い為、2000年の調査でも湖全体の回復には至っていないという。 現在、生息魚種はウグイ・ギンブナ・コイの三種類のみに限られていて、清流魚は生息していない。

次回、田沢湖の珍魚・「クニマス」



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東北紀行(55)乳頭温泉 「乳頭温泉郷の秘湯」

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 東北紀行(55)乳頭温泉 「乳頭温泉郷の秘湯」   、




乳頭温泉郷の概要地図  (tga80)



秘湯;乳頭温泉郷の一角には七つの一軒宿の温泉、すなわち孫六、黒湯、蟹場、鶴の湯、妙乃湯、大釜温泉など野趣満点の温泉がある。
尚、この温泉場は次回に訪問を予定にしているが、その内、温泉や建物等を比較して、秘湯中の秘湯といわれる二軒の温泉宿を紹介しておこう。 


「黒湯温泉」




乳頭温泉郷の「黒湯温泉」の様子  (tga81 tga82)


乳頭温泉郷の中では最も奥にあり、秘湯の代表として雑誌に紹介されることの多い宿である。
歴史も古く江戸時代から人々に親しまれてきた萱葺き屋根の湯治場で、その歴史も古く鶴の湯と同じく秋田藩主の湯治場として、又、地元の人々や山に入るマタギ達の、疲労回復や持病治療のための温泉として親しまれてきたという。

特に、黒湯温泉は打たせ湯が有名で、その様子がしばしばテレビや雑誌で紹介されている。
乳頭温泉の中ではもちろん、全国的にも人気が高い宿のようだ。
乳頭温泉の中では、鶴の湯が一番人気だが、かつては、ここ黒湯温泉が一番人気だったらしい。

建物の脇を通りぬけると、硫黄の噴出す河原の中に露天風呂があり、他にも屋根は茅葺きで柵も曲がった木でできていて、このワイルド(野性味)さがとても絵になっている。
浴槽は内風呂、露天風呂、女性専用露天風呂、打たせ湯なので、泉質は主に「単純硫化水素泉」  

但し、11月中旬~5月中句までの冬季積雪期間は休業らしい。


「孫六温泉」




乳頭温泉郷の「孫六温泉」の様子  (tga83 tga84)


当地を整備したのは自ら湯治に来た「田口久吉」という人物で、生来病弱だった彼が、江戸期の慶応末期に自ら温泉療法を始めて体質改善を果たし、広く世の患者に恩恵をもたらしたという。 
そして、その効能を知った田口は1906年(明治39年)に湯治場を開き、その後長く湯治場として営業してきたという。

現在も、山小屋風の一軒宿はひっそりと茂る林の中に在り、雰囲気がとても野趣満点でいかにも湯治場といった素朴な佇まいを有している。
泉質の違うラジウム含有泉をはじめ四ッの浴場と露天風呂がある湯治場で、乳頭温泉ではここが1番湯治と言う言葉が似合う宿とされ、別名、「山の薬湯」とも言われて湯治客も多くいる。

孫六温泉は、黒湯温泉または大釜温泉に車をおいて、ここから其々10分、15分歩いていくことになる。
簡素な宿舎や湯小屋が立ち並び、客室は15室、他に20名を収容できる自炊部がある。 
風呂は先達川の河畔に並び、全部で6ヵ所の内湯・露天風呂がある。

次回、「田沢湖


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