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織内将男の日 光 讃 歌 

世界遺産の二社一寺などの歴史、文化を育んだ、日光の自然や地域を訪ねます。

日光讃歌(4) 「日光の歴史」

2012年11月28日 13時35分03秒 | 日光の歴史
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日光讃歌(4) 「日光の歴史」 .




「日光」という単純明快な名称は、既に、明治期には日光町として存在していて、昭和29年には日光市が発足している。

現在の日光市は、平成18年の合併で旧今市市、旧日光市、旧藤原町、旧足尾町、旧栗山村の2市2町1村の合併により誕生している。
その広域面積は、国内でも有数の面積を有し、国内では高山市と浜松市に次いで全国第三位になっている。

この2市2町1村の地域でのエリアは、大別して足尾地区(足尾銅山)、旧今市エリア、旧藤原地区(鬼怒川・川治エリア)、旧栗山地区(湯西川・川俣・奥鬼怒エリア)、それに旧日光エリアとして大別しているようだ。

何れも、豊かな自然環境と貴重な歴史的・文化的遺産、随所に湧出する豊富な温泉など、恵まれた観光資源を基盤として、其々、特徴ある地域でもある。



元より、日光の名前の出発点は、8世紀の奈良期に遡るといわれる。

空海の書したといわれる勝道上人(後ほど解説)の碑文には、男体山を「補陀洛山」と記していて、平野から彼方に見える男体山を観音菩薩の現れる浄土として付けられたとされている。

弘法大師・空海は、弘仁11年(820年)に補陀洛山に入山し、補陀洛から「二荒」の字を当て 音読して「にこう」になり、日光と改称したとされている。


補陀落(ふたら)→二荒(ふたら)→二荒(にこう)→日光 . 


その他幾つかの説があるようだが、一つに、「日光」の字の初見は保延4年(1138)清滝寺の大般若経の奥書(文書の左末尾:奥に、原則として異筆で書かれた記事のことで、記録・著述・経文などの巻末にその伝来、書写の年月、経緯を記したもの)に記されているという。



小生が勝手に解釈するなら、勝道上人は霊山・二荒山(男体山)に幾たびも挑戦して、その後、10数年後になって、やっと山頂に到達するのである。
上人は、この時山頂において霊験なる御来光を拝し、「これぞ天井天下を照らす、日の光、当地は正に『日光』の地である」と、思ったに違いない・・!?。


次回も 「日光の歴史・2






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