さてトゥールスレンからキリングフィールド移動します。
キリングフィールドまでは約20分、郊外なので渋滞はありませんでした。
グラブタクシーで15700リエル。
日本円にすると387円ですがボチボチしますね、この距離なら安いんだろうか。
カンボジアの最低月給は170ドル(約18000円)※1ドル107円換算
工場勤務など普通の人がこれに値します。
英語や中国語など外国語ができるレベルの人は300ドル(32100円)医者や弁護士などのエリートは1000ドル(107000円)だそうです。
そこから考えるとグラブタクシーでこの距離を走れば1日2回乗せてノルマ達成くらいですね。
客を捕まえるのが大変でしょうけど。
オートリクシャーに揺られること20分、12:50にキリングフィールドに到着。
入り口横には売店がありおばちゃんが手招きしてきます。
おばちゃんに「後でね」と言いチケットを買いに受付へ。
入り口横には売店がありおばちゃんが手招きしてきます。
おばちゃんに「後でね」と言いチケットを買いに受付へ。
入場料は3ドル、音声ガイドをつけると6ドルです、学生割引はありません。
これはビデオ上映の時間です、この日はタイミングが合わなくて見るのをやめました、多分英語かクメール語なので見てもあまりわかりそうにないし。
これはビデオ上映の時間です、この日はタイミングが合わなくて見るのをやめました、多分英語かクメール語なので見てもあまりわかりそうにないし。
ちゃんと日本語案内パンフレットもあります。
正面にはキリングフィールドのシンボルとも言えるタワー(慰霊塔)が鎮座しています。
周りに高い建物がないので目立ちます。
最初のオーディオストップ(音声ガイド)はここ。トラックストップと言われる場所で、犠牲者がトラックに運ばれてここで下されたためそのような名がつきました。
下されてる様子
以下グーグル翻訳を修正したものです。
以下グーグル翻訳を修正したものです。
建物自体はありませんでしたので看板のみご覧ください。
ここの暗い拘留所(こうりゅうじょ)はトゥールスレンから輸送された犠牲者と他の場所から運ばれてきた犠牲者が拘留された場所でした。
通常トラックが到着したとき犠牲者は即座に処刑されました。
しかし、処刑される犠牲者の数が増加し1日あたり最大300人を超えたため死刑執行をこなせなくなりました。
それが犠牲者が翌日の処刑のために拘留された理由です。 亜鉛メッキ鋼の屋根を備えた木材から作られたその壁は、2層の平らな木材で造られていました。
この死刑執行人の作業事務所は死刑執行人が統計を行った場所でした。事務所は殺害現場と同様の彼らが夜間に現場の犠牲者を名簿を読んで署名します。
ここには夜間の電力を備えていた。
※つまりここで殺害した犠牲者の名前を記入して記録していました。
この化学物質保管室は、DDTなどの化学物質が置かれている場所でした。
死刑執行後に一度犠牲者の死体の上にこれらの物質を散乱させました。
※翻訳めちゃくちゃだったので一部消去。簡単に言うとDDTという殺虫剤を死体の上に撒き腐敗臭を消していたようです。
またDDTをまぶした食料を犠牲者に食わせて墓穴に蹴落としその後上からDDTを振りかけ臭いを消していたとも。
これは砂糖ヤシの木です。
死刑執行には最初銃などが使われていましたがポルポト政権は財政難だったのでそのうち人を殺すのに銃火器を使わないよう指示が出ました。そのため殺害には殺傷能力の高い農具が使われていましたが道具も壊れて行くので最終的にはこのようなノコギリ状の枝を使って首を切ったりもしていました。
450人の遺骨が発掘された場所、この狭い範囲に450人分とは…。
この殺害道具の保管室にはナイフやクワなど殺傷能力の高い農機具(殺害用)が保管されていた場所でした。
このように犠牲者の衣類が時折顔を出しています。
雨が降ると地面からまだまだ出てくるそうです。
雨が降ると地面からまだまだ出てくるそうです。
一見平和で穏やかそうなこの草原の下には、いまだにゴロゴロと遺骨が埋まっています。
キリングフィールドの奥にある池、シーンと静まりかえっています。
裏手にはフェンスがありこちらからは入れないようになっていました。
キリングフィールドの奥にある池、シーンと静まりかえっています。
裏手にはフェンスがありこちらからは入れないようになっていました。
フェンスの外から短パン一丁の子供たちが「金くれ」みたいな事を言っていましたが、気づかないフリをすると何か文句を言って去っていきました。
よく見ると左下にその子どもが写ってますね。
ここキリングフィールドの音声ガイドもかなり細かく説明してくれるので全部聴いて回ると2時間ほどかかります。
そしてこれ朽ちた木のように見えますがこれ骨ですたぶん。
木の根っこかな?と思いましたが白すぎるし…たぶん骨。
踏んでましたすいません。通路上にあるんだもん…。
よく見ると左下にその子どもが写ってますね。
ここキリングフィールドの音声ガイドもかなり細かく説明してくれるので全部聴いて回ると2時間ほどかかります。
そしてこれ朽ちた木のように見えますがこれ骨ですたぶん。
木の根っこかな?と思いましたが白すぎるし…たぶん骨。
踏んでましたすいません。通路上にあるんだもん…。
頭のない166人の犠牲者が発掘された場所
100人を超える子供たちと、大多数が裸にされた女性の遺骨があった場所
発掘しまくったせいかあちらこちら凸凹になっています。
そしてこれが有名なキリングツリー
このキリングフィールドで殺害されたのは大人だけでなく小さい子供や赤ん坊も含まれます。
赤ん坊や小さな子どもは、死刑執行者に脚を持たれてこの木に頭から打ち付けられました。
前の記事でこの様子が描かれている絵画がありましたね、それがこのツリーです。
当時のことを想像すると、ここはまさに鬼が人間を痛めつけて殺す地獄のような場所だったのでしょう。
ベトナム軍が介入しキリングフィールドが発見された当初は、木の幹に髪の毛や脳みそがこびりついていたといいます。
遺骨が埋まっているルートには木製の歩道が整備されているのであまり直に地面を歩くことはありません。
パッと見のどかな公園のようです
こちらはマジックツリー、なぜマジック?と思いましたが下の説明をみるとなるほどなと思いました。
翻訳:この木は犠牲者が処刑されている間、犠牲者のうめき声を避けるために音を大きくするスピーカーを吊るすためのツールとして使用されました。
周りには田畑が多く農業をしている事情を知らない国民などがいたので、ここで処刑されている犠牲者の悲鳴を魔法のようにかき消すために革命歌などを大音量で流していたようです。
音声ガイドでその歌を聞くことができます。
発掘された時のままガラスケースに保管された遺骨。
所々衣類が頭を出しているのが見えます。
まだこの下には沢山の犠牲者が眠っているのでしょう。
ほんとにそこら辺にあるんです。
ほんとにそこら辺にあるんです。
ちなみにこのキリングフィールドだけで2万人が処刑されたと言われていますが、カンボジアにはキリングフィールドが100ヶ所以上あるので相当な数の犠牲者がいることがわかります。
最後に訪れるのはこの慰霊塔です、この慰霊タワーは1階から9階まで約9000人分の遺骨が納められています。
ここでは手前で靴を脱ぎ帽子を取って入場しなければなりません。
中には掘り出された犠牲者の頭蓋骨が年齢や性別ごとに整頓され並べられています。
これは頭を刺した道具ですかね。
青いシールは男性、赤いシールは女性の頭蓋骨です。
慰霊タワーの屋根についている装飾についてですが実は意味があります。
屋根の下は鳥の姿をした神様ガルーダ、屋根のへりには蛇の姿をした神様ナーガが装飾されています。
この二つは本来仲が悪くて敵対している存在なのですが、これが一つの場所にいることで平和を表していると音声ガイドで語られていました。
一通り見終わったのでこちらの建物へ行ってみました。
ここには当時の衣服や道具が飾られています。
クメールルージュの象徴とも言える民主カンプチアの国民服
掘り出された場所でしょうか?
ポルポトの遺体の写真。
病死とも毒殺とも言われています。
殺害に使われていた道具
発掘当時の現場写真
殺害に使われていた道具
発掘当時の現場写真
すごい数の遺骨です、数が多すぎて誰かを特定するのは無理でしょう。
14:20 見学終了
約1時間半で一通り回れました、ビデオを見たら2時間かかりますね。
約束通りおばちゃんのお店でドリンクを買い一休み、想像したり考えながら見学するとちょっと疲れます。
約束通りおばちゃんのお店でドリンクを買い一休み、想像したり考えながら見学するとちょっと疲れます。
ジュース1ドル(107円)
この時期は乾期で湿気もなく暑くもないのでとても過ごしやすい、その点は12月に来て正解でした。
それでは日が暮れる前にコンフォートホテルに戻ってから次のホテルへチェックインしに向かいます。
カンボジア旅19へ続く