葉書を手

半世紀も前に青春を共に過ごした友の誰かが、もう皆年をとって暇になったのだ

相手を動かそうと焦ると

2016-02-25 14:42:41 | 日記

あるところで、こんな記事に出会った。
(『ほぼ日刊イトイ新聞?大人の小論文教室』より)


―― 引用 ――  

 
 どうも、相手の非を指摘したり、相手に変われ、と
 おしつけたりしやすい。
   (中略)
 人を動かす、というとき、動かすのは言動ではなく、
 心なんだな、と思う。
   (中略)
 何を言ってもどう言ってもだめ牛熊
 それは、自分というメディアの信頼性が落ちているからだ。
 その状態は、壊れたスピーカーで叫んでいるように、
 まったく相手に届かない。
 言葉をとどけるには、まず、スピーカーを直す、
 つまり、自分という人間への信頼回復が必要だ。

―― 引用終わり ――  



重々分かっていることなのに、
我が子に対しては、どうしても甘えてしまっていたようだ。

娘も、20歳。
親のあずかり知らぬ局面で、
親の思いもよらぬ相手と、戦い、切り結んで、語言訓練
自分の人生を切り開いていくのだろう。

娘が耳を貸す存在でなければ????反省。


人が何かを見誤るとき

2016-02-03 14:41:10 | 日記


 目撃情報は数あれど、今もってなお、その存在が明らかにされていない生き物。未確認飛行物体のことをUnidentified Flying Object の頭文字をとって「UFO」というように、未確認生物はUnidentified Mysterious Animal の略で、「UMA(ユーマ)」と呼ぶのだそうです。
 この地上のどこかでひっそりと棲息しているかもしれないUMAを想うと、少年時代に置き忘れてしまっていた純粋な探求心、知的好奇心が呼び起こされて、胸が熱くなります。
 
 たとえばネッシー。
 古く、ネス湖畔で語り継がれてきた伝説のクビナガリュウ。その名を聞いただけで、自然と頭にイメージが浮かんでくるほど有名です。
 それなのに、実在するという確たる証拠が上がってきません。
 日本のツチノコ。
 懸賞金まで用意して一般に募りましたが、依然、頭風中醫
めぼしい成果は得られていないようです。
 これらは、単なる見間違えなのでしょうか? 

 地球上には、まだ人間の知らない生き物がたくさん潜んでいます。毎年、数えきれない新種の昆虫や魚、爬虫類などが発見され続けていることからも、それは明らかです。
 認知されていないからといって、完全に否定してしまうのは短絡的かもしれません。紅酒專賣店「いるかもしれない」と考えないことには、探索もできないのですから。
 何よりも、夢を見ることこそが肝心だと思うのです。

 近ごろ少なくなった気がしますが、

「緊急取材!アマゾンの奥地に巨大生物?!」

などと、スポーツ新聞の見出しのようなタイトルで、テレビ特番を放映する時があります。
 ウソくさいなぁ、と思いつつも、つい観てしまいます。
 探検ルックのバラエティ芸人がジャングルを分けいって、CMをはさみながら、さんざん引っ張ったあげく、
「かくして幻の怪物アナコンダ追跡、5日間の取材期間内でカメラに収めることできず、断念っ!」というナレーションとともに、エンド?テロップが流れて終わります。
 消化不良な気分にさせられますが、夢を見る余地を残してくれた、と考えることにしています。
 実際、トイレに立つのも惜しいほど、張琛中醫ドキドキしながら観ていたことは事実なのですから。

 UMA、とりわけ化け物じみた生き物の存在の有無はわかりません。
 言えることは、誤認であれ、事実であれ、当事者が何かを見た、あるいは見たと信じた。これだけは確かです。
 そして、間違えるからには、それなりの理由があるのです。

たいていの場合、よく知っていて、かつ見慣れたものを思い浮かべるのではないでしょうか。
 藪の奥へと逃げていく茶色い物体を見れば、
「あ、ヤマカガシかな?」と思いこそすれ、
「出たーっ、ツチノコ発見っ! 見たことはないけど、そうに決まっているっ!」などという人はいません、たぶん。

 ヤマカガシなど珍しくもなんともない地域に住む者が、
「あれは絶対、ツチノコってやつですよ。普通のヘビなんかじゃありません。ええ、確かです」と必死に主張するのです。「普通」ではない、明らかに別な、「何か」を目撃したのです。
 大学教授がプラズマだ、なんだ、と言おうとも、少なくともわたしはそう信じます。

 結局のところ、「目撃者」にしか、その瞬間の緊張も興奮も味わえないのです。
 にわかに降って湧いた非日常。これまでの自分の常識がひっくり返ってしまいそうな、異常感覚。 
 新種発見どころか、ただの枯れ尾花に過ぎなかったとしても、その時感じたことこそが、本物の体験、正真正銘の驚きなのだと、うらやましく思うのです。