自治基本条例を検討している戸田市において、議員・市民・行政職員によるワークショップが行われた。
自治基本条例は、自治の当事者である市民、行政、議員の3者が、その役割をきちんと踏まえて、その力を存分に発揮する仕組みをつくるものである。私は、それを野球は9人でやろうと言っている。行政と議会だけの野球から、市民も加わった9人野球である。
自治基本条例は、しばしば市民がつくるといわれる。なぜ市民がつくるのか。
�市民が主権者であるからという理由は、筋が通っているが、筋が通りすぎた話は、たいていの場合、現実と乖離して、むしろ問題のほうが目立つ結果になる。スジは固すぎるため、呑み込めないからである。そこで、スジのほかこんにゃくも入れて、よく煮込む必要がある。
自治基本条例の場合は、そもそも、この検討に集まった市民は、本当に主権者の代表なのかという疑問である。「私は、あなたたちには頼んだつもりはない」という他の市民からの反論に、適切に答えることは難しいだろう。
�むしろ、市民は主権者たるべきであるから、市民が主体となって条例をつくるのである。これまで市民の多くは、長い間、お役所依存でやってきた。この自治基本条例づくりは、市民が自治の主体であるという基本を取り戻す機会である。地方自治は民主主義の学校であるが、市民自身が学ぶ場 、機会となる。
市民自身が、自治の当事者となってもらいたいという思いを込めて、だからあえて、市民がつくるというのである。市民が、この条例づくりを通して、自治の当事者であることを、大いに発現してもらいたい。
自治基本条例は、野球の9人で、野球をするためのルールをつくるのであるから、本来ならば、市民、行政、議員の3者でつくるべきである。条例なので、条例提案、審議の過程で、行政や議会は加わるが、本来なら、つくる過程になかで、3者でつくっていくべきである。地方分権の時代にあって、いつまでも議会はチェック機関などと言っていると、議員は20人も30人もいらなくなる。監査役は3人だからである。議員も自治の共同経営者である。
このように考えていくと、自治基本条例をつくる過程になかで、今回のような議員・市民・行政職員によるワークショップが行われるのが自然になる。今回の戸田市の取り組みは、自治基本条例づくりの本道をいくものだろう。
とはいっても、このような取り組みは、簡単にできるものではない。実際、今回のワークショップに参加することに躊躇した議員さんもいるだろう。市民だって、議員さんと肩を並べて議論することに恐れをなした人もいるだろう。そんなことで、多くの場合、実現には至らないが、今回の戸田市では、それを難なくやってしまったいうことがすごいと思う。
今回の特徴のひとつは、このワークショップに、検討委員会メンバーである戸田市の若手職員も参加したことである。これがすごいことは自治体の関係者ならよく分かるだろう。でも、当然のことである。なぜならば、野球は9人でやるからである。同じ、自治の当事者が、一緒に自治を考えるのが自治基本条例である。行政職員だって、市民、議員と肩を並べて、一緒に議論する場があってよいことになる。この戸田市方式は珍しいが、しかし本道というべきものである。とはいっても、職員の人たちは随分と緊張したのではないか。
最初は、緊張気味で始まったワークショップも、あっという間にあちこちで笑いが生まれた。終わりには、記念撮影をしているグループもあった。立場やその他、いろいろあるだろうけれども、みんな自治の当事者である(これもスジ論にすぎたかもしれない)。要するに、結局、みんな大人だというなのだろう。
今回のお土産は、季乃杜竹野の、どらやきの「河童の金さん」。戸田といえば戸田の渡しであるが、この川を題材に創作したものらしい。いずれにしても、今回も戸田市に与える経済効果は極めて乏しかったことを報告しておこう。
自治基本条例は、自治の当事者である市民、行政、議員の3者が、その役割をきちんと踏まえて、その力を存分に発揮する仕組みをつくるものである。私は、それを野球は9人でやろうと言っている。行政と議会だけの野球から、市民も加わった9人野球である。
自治基本条例は、しばしば市民がつくるといわれる。なぜ市民がつくるのか。
�市民が主権者であるからという理由は、筋が通っているが、筋が通りすぎた話は、たいていの場合、現実と乖離して、むしろ問題のほうが目立つ結果になる。スジは固すぎるため、呑み込めないからである。そこで、スジのほかこんにゃくも入れて、よく煮込む必要がある。
自治基本条例の場合は、そもそも、この検討に集まった市民は、本当に主権者の代表なのかという疑問である。「私は、あなたたちには頼んだつもりはない」という他の市民からの反論に、適切に答えることは難しいだろう。
�むしろ、市民は主権者たるべきであるから、市民が主体となって条例をつくるのである。これまで市民の多くは、長い間、お役所依存でやってきた。この自治基本条例づくりは、市民が自治の主体であるという基本を取り戻す機会である。地方自治は民主主義の学校であるが、市民自身が学ぶ場 、機会となる。
市民自身が、自治の当事者となってもらいたいという思いを込めて、だからあえて、市民がつくるというのである。市民が、この条例づくりを通して、自治の当事者であることを、大いに発現してもらいたい。
自治基本条例は、野球の9人で、野球をするためのルールをつくるのであるから、本来ならば、市民、行政、議員の3者でつくるべきである。条例なので、条例提案、審議の過程で、行政や議会は加わるが、本来なら、つくる過程になかで、3者でつくっていくべきである。地方分権の時代にあって、いつまでも議会はチェック機関などと言っていると、議員は20人も30人もいらなくなる。監査役は3人だからである。議員も自治の共同経営者である。
このように考えていくと、自治基本条例をつくる過程になかで、今回のような議員・市民・行政職員によるワークショップが行われるのが自然になる。今回の戸田市の取り組みは、自治基本条例づくりの本道をいくものだろう。
とはいっても、このような取り組みは、簡単にできるものではない。実際、今回のワークショップに参加することに躊躇した議員さんもいるだろう。市民だって、議員さんと肩を並べて議論することに恐れをなした人もいるだろう。そんなことで、多くの場合、実現には至らないが、今回の戸田市では、それを難なくやってしまったいうことがすごいと思う。
今回の特徴のひとつは、このワークショップに、検討委員会メンバーである戸田市の若手職員も参加したことである。これがすごいことは自治体の関係者ならよく分かるだろう。でも、当然のことである。なぜならば、野球は9人でやるからである。同じ、自治の当事者が、一緒に自治を考えるのが自治基本条例である。行政職員だって、市民、議員と肩を並べて、一緒に議論する場があってよいことになる。この戸田市方式は珍しいが、しかし本道というべきものである。とはいっても、職員の人たちは随分と緊張したのではないか。
最初は、緊張気味で始まったワークショップも、あっという間にあちこちで笑いが生まれた。終わりには、記念撮影をしているグループもあった。立場やその他、いろいろあるだろうけれども、みんな自治の当事者である(これもスジ論にすぎたかもしれない)。要するに、結局、みんな大人だというなのだろう。
今回のお土産は、季乃杜竹野の、どらやきの「河童の金さん」。戸田といえば戸田の渡しであるが、この川を題材に創作したものらしい。いずれにしても、今回も戸田市に与える経済効果は極めて乏しかったことを報告しておこう。