公開政策討論会の意義を現時点でまとめておこう。
1.全国で、市長や議員の選挙の投票率が落ちている。市政の何が問題なのかよくわからない。候補者の主張もよくわからない。結局、だれがなっても変わらない。だから選挙に行っても仕方がない。こんな悪循環で投票率が30%を切ることも珍しくなくなった。
この市民の無関心は、市長や議員に対する不信に転化し、その中で、候補者は、口当たりの良い公約を掲げ、ポピュリズムに走り、他方では、議員になろうという人がいなくなってきた。
私たちの代表者を選び、私たちの思いを託すという間接民主主義の基本が、土台から崩れ始めている
2.これまでの選挙は、名前の連呼、裏付けのない一方的な自己主張、相手の悪口、そんなものばかりで、多くの人が辟易している。いい加減にしてくれと思っている。それが声にならずに内向し、ちっとも改善する動きにならないから、ますます市民の政治への無関心や不信は蓄積していくことになる。
3.公開政策討論会は、立候補予定者が、一堂に会して、自らの政策を語り、市民は、それをよく聞き、比較し、自ら考え、そして判断する機会である。民主主義には、市民自身が自ら考え、判断する仕組みが必要になる。その意味で、公開政策討論会は、民主主義を支える仕組みである。
4.公開政策討論会は、閉塞感を変えるのではないか。その期待からだろう、たくさんの人から、今の動きは、とても楽しみというメッセージをいただいた。ようやく、活路というか、目の前が少し明るくなったような気がする。これを大事に育てていきたい。
5.むろん、選挙の方法は、多様である。一人ひとりひざを突き合わせて政策を語る方法もあるし、ネットで自分の主張を精細に論じる方法もある。それらも重要な方法であり、否定するものではない。公開政策討論会は、もう一つの選択肢(市民の希望が多い)をつくるものである。
5.公開政策討論会の理念を制度に落とし、適切に運用するのは容易ではない。その際に忘れてはいけないのは、公開政策討論会は、伝えたい人(候補者)のための制度ではなく、聞きたい人(市民)のための制度ということである。
考えてみれば、これまでは候補者のための選挙だった。これを原点に戻そうという仕組みである。制度設計で迷ったら、この原点に戻ってくればよい。
6.例えば、公開政策討論会の会場をどこにするかである。立候補予定者側から立論すれば、市の中央会場に、市民に来てほしいということになるが、市民の側から立論すれば、ちょっと時間を作れば行くことができる、地域の会館に、立候補予定者のほうから、出向いてきてほしいということになる。これだと、開催回数も、全市で1回ではなくて、複数回、開催されることになる。
7.公開政策討論会の実施、運営には、多くの市民の協力が必要になる。分かりやすい例では、討論会会場で、だれがイスを並べるのかといったことである。公開政策討論会は、立候補予定者だけではとてもできず、多くの市民の協力、受け入れ体制等があってできることになる。
8.本当ならば、どんな公開政策討論会がいいか、市民を交えたワークショップを行うなど、多様な思いを取り入れた制度づくりを行うべきだろう。市民が参加して作り上げたら、さらに優れたものになる。次の時は、そうしたらよい。
9.公開政策討論会とその周辺を含めた一連の活動は、市民一人ひとりに、自分たちのまちについて、自分たちで考える機会を与えることになる。会場設定を手伝った人は、政治が急に身近に感じられることだろう。こうしたさまざまな活動が、政治を身近にし、無関心や不信を少しでも解消するきっかけになる。
政治への無関心や不信を一掃する代打満塁ホームランは、期待できないし、そんなものはむしろ危なっかしいから、こうした地道なヒットを重ねていく中で、ひとつずつ、今よりも、良くしていく。それが民主主義の学校である地方自治の役割である。
10.関係者の人たちは、多くの人が注視し、期待していることに心し、より一層の奮闘をお願いしたい。
1.全国で、市長や議員の選挙の投票率が落ちている。市政の何が問題なのかよくわからない。候補者の主張もよくわからない。結局、だれがなっても変わらない。だから選挙に行っても仕方がない。こんな悪循環で投票率が30%を切ることも珍しくなくなった。
この市民の無関心は、市長や議員に対する不信に転化し、その中で、候補者は、口当たりの良い公約を掲げ、ポピュリズムに走り、他方では、議員になろうという人がいなくなってきた。
私たちの代表者を選び、私たちの思いを託すという間接民主主義の基本が、土台から崩れ始めている
2.これまでの選挙は、名前の連呼、裏付けのない一方的な自己主張、相手の悪口、そんなものばかりで、多くの人が辟易している。いい加減にしてくれと思っている。それが声にならずに内向し、ちっとも改善する動きにならないから、ますます市民の政治への無関心や不信は蓄積していくことになる。
3.公開政策討論会は、立候補予定者が、一堂に会して、自らの政策を語り、市民は、それをよく聞き、比較し、自ら考え、そして判断する機会である。民主主義には、市民自身が自ら考え、判断する仕組みが必要になる。その意味で、公開政策討論会は、民主主義を支える仕組みである。
4.公開政策討論会は、閉塞感を変えるのではないか。その期待からだろう、たくさんの人から、今の動きは、とても楽しみというメッセージをいただいた。ようやく、活路というか、目の前が少し明るくなったような気がする。これを大事に育てていきたい。
5.むろん、選挙の方法は、多様である。一人ひとりひざを突き合わせて政策を語る方法もあるし、ネットで自分の主張を精細に論じる方法もある。それらも重要な方法であり、否定するものではない。公開政策討論会は、もう一つの選択肢(市民の希望が多い)をつくるものである。
5.公開政策討論会の理念を制度に落とし、適切に運用するのは容易ではない。その際に忘れてはいけないのは、公開政策討論会は、伝えたい人(候補者)のための制度ではなく、聞きたい人(市民)のための制度ということである。
考えてみれば、これまでは候補者のための選挙だった。これを原点に戻そうという仕組みである。制度設計で迷ったら、この原点に戻ってくればよい。
6.例えば、公開政策討論会の会場をどこにするかである。立候補予定者側から立論すれば、市の中央会場に、市民に来てほしいということになるが、市民の側から立論すれば、ちょっと時間を作れば行くことができる、地域の会館に、立候補予定者のほうから、出向いてきてほしいということになる。これだと、開催回数も、全市で1回ではなくて、複数回、開催されることになる。
7.公開政策討論会の実施、運営には、多くの市民の協力が必要になる。分かりやすい例では、討論会会場で、だれがイスを並べるのかといったことである。公開政策討論会は、立候補予定者だけではとてもできず、多くの市民の協力、受け入れ体制等があってできることになる。
8.本当ならば、どんな公開政策討論会がいいか、市民を交えたワークショップを行うなど、多様な思いを取り入れた制度づくりを行うべきだろう。市民が参加して作り上げたら、さらに優れたものになる。次の時は、そうしたらよい。
9.公開政策討論会とその周辺を含めた一連の活動は、市民一人ひとりに、自分たちのまちについて、自分たちで考える機会を与えることになる。会場設定を手伝った人は、政治が急に身近に感じられることだろう。こうしたさまざまな活動が、政治を身近にし、無関心や不信を少しでも解消するきっかけになる。
政治への無関心や不信を一掃する代打満塁ホームランは、期待できないし、そんなものはむしろ危なっかしいから、こうした地道なヒットを重ねていく中で、ひとつずつ、今よりも、良くしていく。それが民主主義の学校である地方自治の役割である。
10.関係者の人たちは、多くの人が注視し、期待していることに心し、より一層の奮闘をお願いしたい。