ボランティア論では、災害ボランティアを取り上げた。
1995年の阪神淡路大震災の年が、ボランティア元年といわれる。なぜそのように言われるのか。もちろん、多くの人がボランティアとして、参加したということもあるが、それは、この時がボランティアの意味が変わったときだからである。
それまでボランティアといえば「奉仕活動」で、生活の余裕のある人が、高い慈悲の気持ちに基づく行為とされてきた。ボランティアというと、上から・・・してあげるという性格で、それゆえ、ボランティアができるのは、ほんの一部の人であった。それを変えたのが、この災害ボランティアである。
私もその現場をこの目で見た。地震が起こってから、10日くらい後に、神戸の街に行ったが、そこでは、多くの人が、言葉は悪いが、イキイキとボランティアをやっていた。そこから学んだことは、いくつかの本にも書いた。何よりも、大きなことは、「公共」とは何かを考えなおしたことである。新しい公共論であるが、それが、私が、大学に移る転機ともなった。
なぜ、ボランティアの意味が変わったのか。それは災害ボランティアという性質が大きく影響している。多くの人が、神戸にかけつけたが、その動機は、この災害を他人事ではなく、我がことと感じたところにある。これによって、ボランティアの本質が、上から何かをしてあげるという関係ではなく、水平の関係で、他者に思いをはせること、他者のことを我がことのように感じることになった。これによって、ボランティアが、普通の人のものになった。だれでもボランティアができるということが分かった。
地震等の災害現場では、被災者のニーズは、時とともに変わっていく。発災直後は、ともかく命が助かり、安全な場所に避難することが重要である。3日目以降は、避難所における暮らしにニーズが、変わってくる。一週間たてば、ニーズは、さらに個別化、多様化する。こうしたニーズの変化に応じて、ボランティアの担い手も、地元ボランティア、一般ボランティア、専門ボランティアと比重が移っていく。
とりたてて特技のない人だって、一般ボランティアとして、家の片づけ、救援物資の配布等の仕事ができる。子どものサポートができる、高齢者の介護ができる、家の再建が専門といった得意分野を持つ人がたくさんいるが、こうした得意分野を活かすことができる場面もある。つまり、災害ボランティアは、誰でも出番があるということであるが、大きな被害を与えた大震災が、ボランティアの意味を変え、新しい社会のあり方を創っていったというのは、興味深い。