『自治体若者政策・愛知県新城市の挑戦』の出版を記念するセミナーがあった。若者政策の意義を実感できる会となった。
この本は、3部構成になっていて、第一部は、私の「若者政策とは何か」、第2部が、若者議会メンバーや新城市の職員による新城市の若者政策成功のヒント、第3部が、私と穂積市長さんとの対談になっている。今回の会は、第2部を書いたメンバー主催のセミナー(出版記念会)である。ゲストの姜尚中さん、まとめを話した穂積市長さん、司会をやった鈴木孝浩さん、途中ダンスを踊ったエンドレスのメンバー、それぞれのコメントが、とてもよかった。
話を聞きながら、これまでやってきた若者政策にさらに自信を深めることができた。外国の若者と比較調査を見ると、日本の若者のうち,自分自身に満足している者の割合は5割弱で、日本の若者は諸外国と比べて,自己を肯定的に捉えている者の割合が低いとされている。日本人は自信がないとされるが、それは日本人の場合、自己肯定感を自尊感情ではなく、他者からの評価、つまり自己有用感で図るからであって、自尊感情が低くても別に気にする必要はないと思う。
たとえば、「クラスで自分がピアノが一番うまい」というのは自尊感情である。これに対して、「クラスで一番うまいと、みんなに評価された。そのみんなの期待にこたえられるように頑張る」というのが自己有用感である。日本人の場合、この自己有用感が、自己肯定感の基本になっている。若者政策は、若者たちの自己有用感をてこに、自己肯定感をつくる政策であるということである。
ということは、政策論としては、若者(実は大人も同じ)が自己有用感を感じられる機会をつくればよいということになる。まちづくりや社会貢献などで、他者との関係で、自分の居場所と出番をつくれば、人は成長していくということである。若者ならば、その成長率は極めて高い。それをつくっていこうというのが、新城市の若者政策でもある。若者議会は、若者と政治の距離を一緒に縮めたが、そうした仕組みを重畳的につくっていったのが新城市の若者政策である。
これは私の体験にもぴったりする、娘は、この前、2人目の子どもを産んだが、都市のまんなかの嫁ぎ先で、三世帯同居をさらっとやり、私たち夫婦に対すると同じように、義父、義母と付き合う娘を見ていると、いつからそんなに大人になったのか、不思議に思っていたが、これは自己有用感から、生まれてきたのだと改めて、よくわかった(ピアノの例が、娘のケース)。
今回の姜尚中さん、穂積さん、鈴木さん、エンドレスのメンバーのそれぞれの話は、自己有用感をめぐる話であったと思う。それを、さまざまな体験や経験をバックに、軽妙に、あるいは事例に沿って、あるいは行動で示すから説得的なのだと思う。そんな学びのヒントがたくさん詰まった若者セミナー(出版記念会)になった。
この日は、小さな失敗をした。6月4日に大学で行う若者フォーラムの依頼、打ち合わせを兼ねて、学生たちと新城に行ったので、連れ合いには声をかけなかった。ところが、姜さん、穂積さん、萌書房の白石さんの全員が奥さん同伴で新城にやってきたのである。聞いてなかった。家に帰って、この話をしたら、「よその奥さんは、みんな大事にされている、その違いが出た」と怒られてしまったが、一緒に来ていたら、奥さん同士もほぼ同じ年代なので(推測)、気の合う、楽しいひと時になったように思う。残念だった。
もうひとつ、姜さんの奥さんが、姜さんの講演を聞いているのも、新鮮に驚いた。わが連れ合いとは、あちこちの講演会に一緒に行くが、私の話を聞くなどということ一切はなく、いつも一人で、さっさと温泉に先に行ってしまう。この日、家に帰って、「よその奥さんは、旦那の話を聞いている」と姜さんの奥さんの話をしたら、「姜さんの話なら聞くが、おとうさんの話を聞いても仕方がない」と、まるで取りつくシマがなかった。
さらについでに言うと、連れ合いは、このブログを読んだこともない。こんなことを書かれているなんて、思っても、いないだろう。
この本は、3部構成になっていて、第一部は、私の「若者政策とは何か」、第2部が、若者議会メンバーや新城市の職員による新城市の若者政策成功のヒント、第3部が、私と穂積市長さんとの対談になっている。今回の会は、第2部を書いたメンバー主催のセミナー(出版記念会)である。ゲストの姜尚中さん、まとめを話した穂積市長さん、司会をやった鈴木孝浩さん、途中ダンスを踊ったエンドレスのメンバー、それぞれのコメントが、とてもよかった。
話を聞きながら、これまでやってきた若者政策にさらに自信を深めることができた。外国の若者と比較調査を見ると、日本の若者のうち,自分自身に満足している者の割合は5割弱で、日本の若者は諸外国と比べて,自己を肯定的に捉えている者の割合が低いとされている。日本人は自信がないとされるが、それは日本人の場合、自己肯定感を自尊感情ではなく、他者からの評価、つまり自己有用感で図るからであって、自尊感情が低くても別に気にする必要はないと思う。
たとえば、「クラスで自分がピアノが一番うまい」というのは自尊感情である。これに対して、「クラスで一番うまいと、みんなに評価された。そのみんなの期待にこたえられるように頑張る」というのが自己有用感である。日本人の場合、この自己有用感が、自己肯定感の基本になっている。若者政策は、若者たちの自己有用感をてこに、自己肯定感をつくる政策であるということである。
ということは、政策論としては、若者(実は大人も同じ)が自己有用感を感じられる機会をつくればよいということになる。まちづくりや社会貢献などで、他者との関係で、自分の居場所と出番をつくれば、人は成長していくということである。若者ならば、その成長率は極めて高い。それをつくっていこうというのが、新城市の若者政策でもある。若者議会は、若者と政治の距離を一緒に縮めたが、そうした仕組みを重畳的につくっていったのが新城市の若者政策である。
これは私の体験にもぴったりする、娘は、この前、2人目の子どもを産んだが、都市のまんなかの嫁ぎ先で、三世帯同居をさらっとやり、私たち夫婦に対すると同じように、義父、義母と付き合う娘を見ていると、いつからそんなに大人になったのか、不思議に思っていたが、これは自己有用感から、生まれてきたのだと改めて、よくわかった(ピアノの例が、娘のケース)。
今回の姜尚中さん、穂積さん、鈴木さん、エンドレスのメンバーのそれぞれの話は、自己有用感をめぐる話であったと思う。それを、さまざまな体験や経験をバックに、軽妙に、あるいは事例に沿って、あるいは行動で示すから説得的なのだと思う。そんな学びのヒントがたくさん詰まった若者セミナー(出版記念会)になった。
この日は、小さな失敗をした。6月4日に大学で行う若者フォーラムの依頼、打ち合わせを兼ねて、学生たちと新城に行ったので、連れ合いには声をかけなかった。ところが、姜さん、穂積さん、萌書房の白石さんの全員が奥さん同伴で新城にやってきたのである。聞いてなかった。家に帰って、この話をしたら、「よその奥さんは、みんな大事にされている、その違いが出た」と怒られてしまったが、一緒に来ていたら、奥さん同士もほぼ同じ年代なので(推測)、気の合う、楽しいひと時になったように思う。残念だった。
もうひとつ、姜さんの奥さんが、姜さんの講演を聞いているのも、新鮮に驚いた。わが連れ合いとは、あちこちの講演会に一緒に行くが、私の話を聞くなどということ一切はなく、いつも一人で、さっさと温泉に先に行ってしまう。この日、家に帰って、「よその奥さんは、旦那の話を聞いている」と姜さんの奥さんの話をしたら、「姜さんの話なら聞くが、おとうさんの話を聞いても仕方がない」と、まるで取りつくシマがなかった。
さらについでに言うと、連れ合いは、このブログを読んだこともない。こんなことを書かれているなんて、思っても、いないだろう。