松下啓一 自治・政策・まちづくり

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◇代官山へ行く

2013-04-25 | 5.同行二人
 連れ合いと代官山へ行った。
 娘の結婚式で、連れ合いがドレスを着ることになり、貸衣装を探すことになった。買おうかとも考えたが、わが家の場合、パーティのお誘いを受けることもないし、豪華客船の船旅なら、着る機会もあるかもしれないが、連れ合いの見立てでは、「あなたは、豪華客船のなかでも、結局、本を読んでいる」と言われているので、話は出るが、結局、船旅には行きそうにない。そんなわけで、ドレスを借りることになったが、中年女性が着るドレスを貸してくれるお店というのは、意外と少なく、そこで仕方なく渋谷・代官山となったわけである。
 代官山は、渋谷の一つ手前であるが、東急東横線の代官山駅から、裏口(東口)に出ると、その裏道り沿いには、しゃれたブティックやレストランなどがポツポツと並び、同時に、高そうなマンションができていた。もとからあった、個人の住宅は、すっかり駆逐され、街全体も、すっかり、おしゃれなまちに変わっている。ガイドブックを持つ若い女性ともすれ違った。
 
 変わったといえば、私は、原宿竹下通りの昔を知っている。もはやかすかな記憶となってしまったが、私にとっては、竹下通りは、個人の住宅と商店が混じる普通の通りだった。それ以後、もう何十年と竹下通りには近づかないが、今は、きっとすごいのだろう。
 
 横浜の伊勢佐木町も大きく変貌した。実は、代官山へ行く前に、横浜でドレスを見に行った際に、伊勢佐木町を歩いてみたからである。伊勢佐木町といえば、市役所への通勤ルートであったので、私は毎日歩いていたが、大学に変わってからは、ほとんど行くことがない。
 伊勢佐木町といえば、かつては伊勢ブラといって、私たち世代には東京の銀座のような街であった。松坂屋があり、有隣堂本店で本を買い、不二家レストランで、ハンバーグを食べた。その伊勢佐木町は、今では、すっかりアジアのまちになっていた。この前行った台北の夜市のミニ版のようである。派手な色彩のお店と、そして食事といえばラーメン店。イタリアンをゆっくり食べようと、店を探して歩いたので、改めて、街の変化に気がついたのだった。

 みなとみらいができて、伊勢佐木町の衰退は目を覆うばかりだった。そこで、経済局や都市計画局が中心となって、商店主と協力して、商店街を復活する事業をたくさん行ったが、多くは功を奏さず、結局、後ろに福富町という歓楽街を抱え、そこに働くアジアの女性たちによって、この街は復活した。ここでも、市民の内発的なエネルギーの重要さが見て取れる。
 連れ合いは、昔の伊勢佐木町をよく知っているので、街の変化に残念がっていたが、おしゃれなまちを期待するのならば、みなとみらいへ行けばよく、伊勢佐木町は、もう一つの生き方を模索していくのだろう。
 
 ドレスに合わせて、連れ合いは高い靴を履くことになった。私は、布施明や野口五郎が履いていたというシークレットブーツを注文しないといけないのだろうか。 
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