のん母さんとファーチのつぶやき

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91歳 母の施設入所     平成29年3月6日(月)

2017-03-06 06:34:13 | Weblog

我が家での生活を一時は決心していた母でしたが

その後も二人の娘たちの生活や

これから産まれてくる、ひ孫の誕生を邪魔してはいけないという

本来の母親としての強い思いの中で

母自身の気持ちも揺れ動いていたのだと思います

 

65歳で夫を亡くした母の一人暮らしも26年目を迎えていました

 

そしてこのところ経験した娘たちとの同居生活も

娘たち夫婦が良くしてくれればくれるほど

申し訳なくて心苦しい・・・・・

そしていずれ施設入所するのであれば

今入所したいので施設を探してほしいと

一昨年のひ孫の誕生前に

その施設を探すために再度姉宅に戻っていました

 

所が姉たち夫婦がその母の入所施設を探している間に

突然ですが一昨日のお正月明けに

もう一人暮らしは無理だと心配する娘たち二人の思いを

まるで無視するような形で姉宅から

以前と同じ自分の家での一人暮らしの生活へと戻ってしまいました

 

ただその施設を探していた時に姉たち夫婦が見つけてくれたご縁で

これまでの利用するのには制限の多かった

利用しにくい介護保険事業所ではなく

母の住まいの極近くでの別の事業所とのご縁が出き

その後のこれまでの1年間はその新しい

場合によっては宿泊も出来る

「小規模多機能型居宅介護」の事業所に

母の見守りをお願いすることが出来ました

 

そして電話対応は自分の事を伝えるだけで一方通行で

こちらのいう事は、ほとんど聞こえない状況なので

せっかく電話があっても単純なこと以外は

事前に事業所に電話を入れて

どうしても伝えたい大切な事や

こちらの訪問日時などはその事業所のスタッフにメモ書きしてもらい

そのメモ書きを母の自宅に届けてもらうと言う生活をしてきました

(郵便物の中身の確認も、もう出来なくなっていましたので

母宅への郵便物は我が家への転送がかけてあり

私たちからの郵便物も母宅へ送ることが出来ませんでした)

 

そして困りごとがあれば見守りの時に伝えて対応して頂き

お買い物も一部助けて頂きました

そしてその事業所の専属医師もいたのですが

母がこれまで診て頂いた医師を変えることを拒んでいたので

医者通いとお買い物は自らタクシー利用して

初めてですが通常の生活上では娘たちを頼らない生活をしてくれました

 

そして自分では、まだまだ一人暮らし出来るつもりで

意気揚揚と姉宅から一人暮らしに戻っていったのは良かったのですが

順調だったのは前半の半年間だけで

後の半年間は大変さをヒシヒシと実感する生活へと変わって行きました

 

そして身近な一番大きな変化は

母の事も含めて色々な心労が重なった姉が

その後に病気になり長期入院してしまったことも

大きかったと思います

 

そしてその姉が何とか回復してきた昨年の暮れの12/23日の祝日の夕方に

体調を崩した母からの電話が我が家に入いりました

その時も全く一方的な電話で事態がほとんど把握出来ない状況だったので

大府市の救急隊とも相談して小牧市の救急隊のお世話になりました

そして熱と震えと頻尿があり本人も小牧市民病院緊急外来の

受診を望んでいるという事だったので

小牧市民病院へ救急車で緊急搬送して頂きました

 

私たちから連絡を入れた見守りをお願いしていた事業所の方も

直ぐ小牧の自宅に出向いて下さりお手伝いして頂けたのですが

急いで私たちも小牧市民病院まで車で走りました

 

ただ幸いな事にあらゆる血液検査を実施して頂きましたが

入院しなければならない程の事態ではないという検査結果が出たので

その小牧市民病院での受診後はこれまで見守りをお願いしていた

「小規模多機能型居宅介護」の施設に預けました

 

その施設での暮らしは

それまでの1年間お世話して頂いた顔見知りのスタッフも多かったので

最初こそ戸惑いもありましたが

徐々に馴染んでいって「ここで暮らしても良い」と言うまでになりました

それまでの自由気ままな一人暮らしが長かったこともありますが

ここでは健気にも母自身も集団生活においては自分勝手な行動を

慎まなければならないと努力している面も見受けられ

やっと施設に入る心の準備も整ってきたと感じることが出来ました

 

介護保険を使っていたとは言え

これまでの母の一人暮らしを長年支えてきたのが

いつも私たち娘二人だったので

安心感と共に精神的には実に穏やかな状況だったと思います

その娘たちも26年の月日の中で

小牧まで通うことが最近では大変となり

それぞれの夫がいつも車運転は引き受けてくれて

何とか繋いできた生活でした

 

このまま娘たちが母の元に通う生活では

通うのが大変で病気になってしまうと

母に訴えたのが3年前母が88歳の時でした

実家は一戸建ての集まる大きな住宅団地の中ですが

車を運転しなかった父だったので

駐車場もない不便な造りとなっています

 

その上母が長年通っていた医院は

現在の医師の亡くなったお父さんが

医師として診て下さった時からの付き合いで

大変評判の良い一家なのですが

医院を継いだ現在の医師自身が車いす利用されている

身体障害者の医師なので

午前と午後両方診ていただけるのは週1日のみ

そして後の週2日間は午前のみの診療時間の医師だったので

平日であっても何かあればどう対応したら良いかと

いつも不安を抱えているような体制の医院でした

 

そしてたまたま母の介護保険の見直し時期が

昨年の年末当たりから始まっていましたので

事業所の施設の施設長さんも母の医師との面談をして下さり

医師からの「もう一人暮らしは無理ですよ」との

母への声掛けとともに

初めて要支援ではない「要介護1」の認定も出して下さいました

 

26年前14カ月の闘病後に末期の大腸がんで

父が亡くなった時には転勤族だった姉夫婦は北海道にいました

病名を伏せていたこともあり

姉は度々小牧へも帰る事も出来ず

又介護保険利用もない時期でしたので・・・・

実際に母を助けて父の介護を手伝ったのは私たち夫婦でした

 

ですから小牧の母だけは

本来の長女である姉夫婦が今度こそは看てゆきたいと

強く望んでいたと思います

病気になる前に姉は

「妹夫婦は長年同居して苦労して両親を送っているので

今後小牧の母の老後も看させるのは余りにも忍びない

私たち夫婦は長男長女の夫婦ですが

まだ親を一人も看たことがないから母だけは看たい」と

言ってくれていました

 

ですがそれも姉が病を抱えてしまった今となると、

これも私たち夫婦の運命だと受け止めざるお得ませんでした

私たちにとっては4人目の最後の親である母の為に

私たち夫婦は姉たち夫婦に変わり

大府での母の施設探しを引き受けました

たとえ今後の介護の負担の少ない施設に入れたとしても

面会を初めとして母の家族としてのお手伝いや

面倒・手助けをしなければならないことは

結構あるのではないかと思います

 

又せっかく母が慣れてきた小牧での

「小規模多機能型居宅介護」の施設ではありますが

残念なことに長期利用は出来ない施設なので

その後は二人で精力的に施設巡りをして

夕方には保育園にいるT君を迎えに行き

その後の夕食作りも含めて夜までは娘夫婦のお手伝いを

クタクタになりながらもこなしました

又事務手続き上、小牧に出向かなければならないことも

多々抱えていましたので連日忙しくて

インフルエンザの予防接種していたのにも関わらず

私だけはインフルエンザにもかかってしまい

パッパもナカナカ治らない風邪をひき続けながら

超スピードの1カ月後の2月初旬には

無事大府への施設入所を終えました

 

何事も一気には変わらないと思いますが

母の気持ちもそんな色々な状況の中で

娘たちの家庭や身体の事を思い

徐々に変わっていってくれたのだと思います

 

姉宅から一人で小牧に帰ってしまった

この一年は私たち姉妹にとっては

母の事を思うたびに心安まることがない1年で

大変苦しい1年でしたが

母にとっても自分の残された生活力が

どの程度であるか確認する大切な時間であったのだろうと思います

 

今ようやく良い施設にも恵まれ

穏やかな母の笑顔も見られるようになって来たこと

そして私たち姉妹のそれぞれの生活も何とか

維持出来るようになったことに安堵の思いでいます

 

今は平日と休日には時々施設に出向き、ひ孫の13か月のT君を

母はもちろんの事、他の施設利用者さんも

大喜びで大歓迎してくれる事にも喜びを感じています

我が家は今1歳から91歳までの幅広い年齢層の大家族となりました

 

今後は少しでも母の老後が穏やかに

長く続いてくれることを切に願いながら

娘夫婦やT君・母と共に今日もあいち健康の森公園へ皆で出掛け

早春の暖かな日差しを浴びながらの賑やかなお散歩を楽しみました

 

ここ数年何かとバタバタ続きの我が家ですが

今日は久しぶりに穏やかな時間が流れています・・・・・

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