戦国武将の名言集

著者:童門冬二の人生が開ける戦国武将の言葉 (単行本)より引用させて頂いています。

立花宗茂の名言

2010年02月09日 | 部下指導の心得
秘密を持たなければ、監察役など不要だ 立花宗茂(たちばな むねしげ)ウィキペディアで知る。 九州の大名細川忠興が、ある時、九州の猛将「立花宗茂」に訊いた。 「あなたは家中の運営に、まったく苦労なさらないと伺いましたが、なにか秘訣はおありですか?」 宗茂は答えた。 「寝屋で話すことも全部、部下に細大漏らさず告げています。秘密を持たなければ、目付けのような監察役はいりません。 したがって、私 . . . 本文を読む

鍋島直茂の名言

2010年02月04日 | 部下指導の心得
勝った時には褒美を、負けたときには優しい言葉を 鍋島直茂(なべしま なおしげ)ウィキペディアで知る。 鍋島直茂は、こう言った。 「勝ち戦の時には、褒美をたくさん与えるのが良い。しかし、負け戦のときは、褒美を与えても駄目だ。それよりも優しい言葉をかけるほうが効果がある。 優しい言葉というのは、お前たちはいったい何をやっていたんだ!と負け戦の犯人探しで、部下の責任を問い責めるようなことをしな . . . 本文を読む

堀秀政の名言

2010年02月02日 | 部下指導の心得
新人はまず受付に出せ 堀秀政(ほり ひでまさ)ウィキペディアで知る。 堀秀政は、新人を採用すると必ず受付に出した。そして訪ねて来る客の応対をさせる。 それを三十日ばかり行わせると、今度は行く先々の共をさせた。これはやはり約三十日ほど行う。その後、 「どうだ?勤まりそうか?」 と新人に聞く。 勤まらないと言えばすぐに転職を認めた。が、 「そっちで勤まらず、俺のところがいいと思ったらもう一 . . . 本文を読む

細川忠興の名言

2010年01月31日 | 部下指導の心得
部下は将棋の駒と思え 細川忠興(ほそかわ ただおき)ウィキペディアで知る。 細川忠興が自分の息子に向かって言った戒めだ。 息子が、 「これから私は、部下に対してどのような態度で臨めばよろしゅうございますか?」 と訊いた。 忠興は、 「部下は将棋の駒と思え」 と答えた。 将棋の駒はそれぞれの働きがある。飛車はよき補佐役、角は思い切って仕事を進める重役、金銀は忠実な中間管理職、桂馬や香車は . . . 本文を読む

加藤清正の名言

2010年01月27日 | 部下指導の心得
よその若者を誉める事は うちの若者をけなすことだ 加藤清正(かとう きよまさ)ウィキペディアで知る。 加藤清正は有名な大名だった。仕えたという人間が次々と現れ、ある時、優秀な若者が面接を受けた。 重役達は皆「この若者は優秀です。ぜひ採用しましょう」と言った。 しかし、清正は首を振って、こう言った。 「この若者は確かに優秀だ。しかし、この若者を採用するとうちの若者達が、それでは我々は優秀で . . . 本文を読む

武田信玄の名言

2010年01月25日 | 部下指導の心得
戦いに敗れたり家が亡びるのは天命ではない やり方が悪いからだ 武田信玄(たけだ しんげん)ウィキペディア 武田信玄は、 「人はよく、負けるはずのない戦に負けたり、あるいは滅びるはずのない家が亡びると、それは天の命だという。自分はそういう場合は天命ではなく、いままでのやり方が悪かったためと思っている」 と言い、とくに武田信玄が主張したのは、 「大きなことも小さなことも大切に積み重ねる事が必要 . . . 本文を読む

黒田如水の名言

2010年01月22日 | 部下指導の心得
部下を夏の火鉢やひでりの雨傘にするな 黒田如水(くろだ じょすい)ウィキペディアで知る。 黒田如水が息子の長政に言った言葉だ。 黒田如水は長政の人の使い方をみて、 「おまえは時々、部下を夏の火鉢やひでりの雨傘にしている。改めよ。」 と言った。 長政は何のことかわからない。 「どういうことでございますか?」 ときいた。黒田如水はこう答えた。 「滝材適所、あるいはその人間が持っている能力 . . . 本文を読む

徳川家光の名言

2010年01月20日 | 部下指導の心得
皆に誉められる人間は、決して立派ではない 徳川家光(とくがわ いえみつ)ウィキペディアで知る。 徳川家光は、言うまでもなく徳川三代目の将軍だ。将軍になった時、家光は全国の大名を集めて啖呵を切った。 「祖父(家康)と父(秀忠)は、あなた方の協力によって将軍になった。しかし、わたしは生まれながらの将軍だ。文句があったら、国に帰って合戦の準備をしろ」 大名達は驚いた。若造のくせに生意気なことを . . . 本文を読む

明智光秀の名言

2010年01月14日 | 部下指導の心得
問題は人を得ることです 明智光秀(あけち みつひで)ウィキペディアで知る。 朝倉義景の所に居候をしている時、義景がしきりに日本各地の要害の地のことを訊いた。もし自分がその地方へ進出したら、どこに城を築いたらいいかということである。 明智光秀は、 「それは全部お寺のある所です」 と答えたが、こう付け加えた。 「しかし、問題は人を得ることです」 そう言って、 「人は城 人は石垣 人は堀 情 . . . 本文を読む

徳川家康の名言

2010年01月11日 | 部下指導の心得
水はよく舟を浮かべ、またよく覆す 徳川家康(とくがわ いえやす)ウィキペディアで知る。 徳川家康のこの言葉は、おそろしいまでに主人と部下の関係を言い当てている。 水というのは部下の事だ。舟というのは主人のことだ。 だから家康にとっては、 「主人が部下をいつくしめば水のようによく舟を浮かべる。が、扱いをあやまると波立って覆すこともある。油断ができない。」 ということだろう。 舟に乗って . . . 本文を読む

武田信玄の名言

2010年01月09日 | 戦う者の知恵
人は城 人は石垣 人は堀 武田信玄(たけだ しんげん)ウィキペディアで知る。 この言葉は、甲府に城を造らなかった武田信玄にとって、部下が城や石垣や堀だ、と解釈されている。 が、角度を変えてみると、これは、 “分権と責任” という意味にもとれる。 つまり武田信玄が言うには、 「自分の部下は、すべてトップの権限の一部を委ねられ、同時に責任を持つ存在でなければならない」 ということだ。 現場 . . . 本文を読む

馬場信春の名言

2010年01月05日 | 戦う者の知恵
志があれば、水も酒に変わる 馬場信春(ばば のぶはる)ウィキペディアで知る。 武田家の重臣だった馬場信春は、 「武士は常に戦場にあり」 と言っていた。 常に油断をするなという意味だ。 ある合戦の時、普通なら酒で気勢をあげて出陣するのだが、たまたま山里のことなので酒が調達できなかた。 池があった。湧き清水が流れ込んでいる。馬場信春は、 「あの清水を汲んでこい」 と部下に命じた。 そしてこ . . . 本文を読む

明智光秀の名言

2010年01月03日 | 戦う者の知恵
初心を忘れるな 明智光秀(あけち みつひで)ウィキペディアで知る。 明智光秀の父が死んだ時、盛大な葬儀が営まれた。 たくさんの弔問客がやって来た。 その中にも立派な武士が一人いた。 線香の順番は三番目に指名されていた。その武士は自分の番になると、刀を脇に置いて、まるで農民のような態度で線香した。 皆が笑った。明智光秀がたしなめた。こう言った。 「あの人物は俺の重臣だが、昔は父の領内で農 . . . 本文を読む

北条早雲の名言

2009年12月30日 | 戦う者の知恵
人間は人目につかないところでの努力が大切だ 北条早雲(ほうじょう そううん)ウィキペディアで知る。 北条早雲は、「若い人に与える」と言って、二十一ヶ条にわたる教えを書いた。 その最初にこの言葉を掲げた。 二十一ヶ条では、この「人目につかないところでの努力」とはどういうものかを具体的に上げている。 朝早く起きて、勤めに出て、勤め先ではどういうふうに振る舞わなければならないか、あるいは家に戻 . . . 本文を読む

鍋島直茂の名言

2009年12月29日 | 戦う者の知恵
重大なことは軽く考えよ 鍋島直茂(なべしま なおしげ)ウィキペディアで知る。 アイロニーだろう。しかし鍋島直茂は、問題が発生する度に、大事だ。大事だと部下たちがしきりに頭を抱えて考え込むので、こういうことを言ったのである。 「大事だ、大事だと問題の重大さに気をとられると、いい判断はできない。 重要なことも鼻歌まじりでたいした事はないと考えた方がいい判断ができる。 全体に、人間の世の中で . . . 本文を読む