私はもう人生の半ばを過ぎているのに未だに母との関係で悩んでいる。
「あわない」の一言にすぎてしまう。
何が合わないのか?
よくわからないが、物の言い方、気に入らないとすぐふくれる癖、いつも文句ばかり言っているところ、人の悪口が多いところ、など等。
悪いところばかりが目立ってしまう。
もち論いいところもたくさんある。
品があるし、料理も裁縫も上手だし、きれい好きでいつもピカピカ。
お弁当などいつもみんながうらやましがるほどきれいでおいしくて。
しかし私は母に抱きしめられたり、一緒に手をつないで歩いた記憶がない。
子供のころはホームドラマを見ては、「あんな家庭に生まれたかった!よそのおうち
はみんはたのしいんだろうな。」と思っていた。
しかしこの本を読むとそうでもなさそうだ。
著者も私と同じようなことを思っていた一人である。
読めば読むほど自分の母のことが書かれているようで不思議な感覚に襲われた。
そして著者も私と同じく、そんな母を愛せない自分に罪悪感を感じながらもやさしくできない日々に悶々としている。
老人ホームへ母を入れたことが、「私はお金で親を捨てたんだ」という自戒の念に悩まされ続ける。
その気持ちが痛いほどわかる。
いくら科学が進歩しようと、ロケットで宇宙旅行できる時代になっても、
「母と娘」「嫁と姑」という単純だが複雑な関係は人類の永遠のテーマかもしれない。
好きになれない母を見て、私は絶対あんな母親にはならないと思っていたが、
DNAのいたずらだろうか、娘との関係でやはり悩んでいるのが実情である。
娘も私が母に抱いているのと同じようなことを感じているのかもしれない。
しかし、忘れたころに第二子が誕生した。
今度は異性、男の子である。
すると如何だろう、娘との間で悩んでいたような角質はまったく起きない。
すこぶるいい関係が続いている。
人は必ず死を迎える。しかし人は必ず生まれてくるとは限らない。
この世に、そしてこの母の子供として生を受けたということ自体が奇跡的なことなのかもしれない。
みんな本当は暖かくて楽しい家族関係を望んでいるはずである。
しかし、どこかで何かの歯車が狂い始めていろんないたずらをするのかもしれない。
それも人生にとっては必然で必要なことなのかもしれない。
親子とは、人生とは、特に母と娘の関係についてとても考えさせられる本であった。
老いてぼけてしまった母を前に著者は始めて最後に「ありがとう」と言う。