LiC通信

本の紹介を中心に、その時期に感じたこと思ったことを書いています。

地軸が移動しているって!

2007年01月30日 | 社会科学

お正月そうそうばらばら殺人事件というニュースが飛び込んできました。

お正月休みくらい明るいニュースで始まってほしいと思います。

ニュースは活字で読むだけで充分です。

しかしメディアはそれを益々エスカレートさせて報道します。

ドラマでもみるように犯人像を面白おかしく報道しています。

まことしやかな報道ばかり見ていると、正常な人まで意識がおかしくなってきそうです。

そんな人間の意識が地球に危機的状況を招いている原因の一つだとしたらどうしますか?

地球は過去35万年間に5回も地軸移動を起こしているそうです。

今は北極点と南極点を結ぶ軸を中心に地球は回っています。

それが例えば、日本とブラジルを軸にして回りだすようにずれるらしい。

そうなると、当然地球上の生き物はほとんど全滅の危機にあいます。

どうして地軸の移動が起こるのでしょうか?

地球には北から南へ、地磁気と言う磁気が流れています。

方位磁石で方向がわかるのもこのためです。

地磁気が0に近くなった時に、地軸が横転するらしい。

これが限りなく0に近づくと地軸がひっくり返ります。

ここ2000年で地磁気はほぼ半分になり、特にこの100年でおよそ8~7%減。

この調子で地磁気が減ると、後10年~20年の間に地軸がずれる可能性があると言われているそうです。

では、地磁気はどうして減るのでしょうか?

それは人の意識と大きく関係しています。

人間のストレスには地磁気を減少させる作用があるそうです。

 

この本は1993年に書かれていますから、それからもう14年もたっています。

地磁気がおそらくどんどん減って地軸が横転寸前なのかもしれません。

凶悪な事件が多いのもこのせいかもしれません。

人がストレスを感じなくて生きれる社会とは?

一人ひとりが意識を変えていかなければなりません。

「ツキ」を呼び込む自己改造法


あなたはなぜうまれてきたのか

2007年01月25日 | 不思議な世界

私たちはなぜ生まれてきて、いったい何の為にいろんなことを経験し、そして死んでいくのでしょうか?

誰しもが一度は考えることかもしれません。

それに対する明快な答えというものに皆さんは出会ったことがあるでしょうか?

「運命」というものがあり、これはあらかじめ決められているそうです。

そして、その上を私たちは生きていきます。

こういう答えは何度か聞いたことがあるでしょう。

そうであれば、決まった上を歩かされているだけなら、何も考えず、努力しても無駄ではないかと思ってしまいます。

「運命」は決まっているようですが、その最終目的にどのように達するかは本人しだいのようです。

このことをわかりやすく説明した文章がありました。(P.108~109)

 「ゲームソフトはそれぞれのタイプによって違うゲームソフトであり、違うゲームソフトで同種のストーリーを体験することは出来ない。

これは人それぞれの人生そのものといえる。違う人の人生は、全く違うのであって、同じ体験は出来ない。

 それでは、当の本人のゲームソフト(人生)はどうであろうか。

 ゲームソフトは、実は製作者がいて、このようにするとこうなるということが本当はわかっているのであるが、ゲームをやっているものから見ると、次なるアクション、そして進むサイトは自分の選択によっていくらでもあるように見える。

 実際、その組み合わせは数え切れないほどで、その時その時の操作(入力)によって、登場してくる人物(敵や味方)や機械、また環境が異なり、さらに移動していくサイトがことなって来る。

 人生も同じようなもので、予言はあくまでそのときを基準にした可能性としての情報を読み取るものであるから、いくらそのとき良い予言を言われても、本人がそれを実践しない、あるいはそれに反した選択(行動)をすれば、本人のシナリオ上必ず起こるようにされてあることは別として、自分の選択した方向へ人生は進んでいき、自ら選択したその結果を体験することになって、その予言は外れるのである。

 本人にすれば、素晴らしい体験をするチャンスを取り逃がしてしまうことになる。」

 

 つまり「攻略本」と呼ばれているものが「運命」でその通り進めば本当に素晴らしい未来が待っているかもしれない。

 しかし人はなぜか遠回りし、いろんなことにぶつかっていく。

             でも、だから人間なのかもしれない。

 しかし、最近この「攻略本」の中身がいろんな人によって語られ始めました。

        そう、「人としてどう生きることが一番良いのか」ということ。

あなたは運命を信じますか?

より良い生き方をしてみたいと思いませんか?

あなたはなぜ生まれてきたのか


悲鳴を上げる学校 親の”イチャモン”から”結びあいへ”

2007年01月17日 | ノンフィクション

i今学校でこんなことが起きています。

「いただあだきまーす。」給食の時間になるとみんなで手を合わせます。

これをやめてくれという親がいるそうです。

親の言い分は「ちゃんとお金払ってるんだから」だそうです。

何か勘違いしてません?

「いただきます」というのはそれぞれの命を持った食材をいただきます、それを調理してくれた人に感謝の言葉として「いただきます」だと思うのですが。

「最近気所の桜がきれいに咲かないのはお前の学校の生徒が悪いからだ。何とかしろ!」これも作り話でもなんでもないのですよ。

「仲の悪い子どもとまた同じクラスになった。クラス替えをしろ。」

言い出せばきりがないくらいです。

親が子供のことを思ってというものもあれば、まったくの言いがかりイチャモンにしか聞こえないようなものまであります。

学校という場所は地域に一番根ざし、地域では一番開放された場所です。

それがゆえに、なんでも学校へ・・・。ということのようです。

教育といっても、学校教育と、家庭教育があります。

最近は家庭教育の分野まで学校教育の範疇にあるような勘違いがまかり通っているようです。

親が子どもを思う気持ちは良くわかりますが、その気持ちにも自分の子どもだけよければよいという屈折した感情が多いようです。

もはや「自己中心的」ではなく「自中心的」です。

子どもは個人の所有物ではなく、社会的存在です。

本当の子育ては、親だけにまかされるものでもなければ、学校が全部責任をとるということでもありません。

今失われつつある地域と、学校とそして親と、この三者が協力し合って初めて子どもたちはまともに育っていけると思います。

みんなで子どもたちを見守り、しつけていけば大抵の問題は解決するのではないでしょうか。

そう問いかけてくれる1冊でした。

もう一度私達大人が考え直さなければいけないと思います。

悲鳴をあげる学校―親の“イチャモン”から“結びあい”へ


雲の上でママをみていたときのこと。

2007年01月08日 | 不思議な世界

雲の上には二人の優しい大人がいます。

神様です。

男の人と女の人と。

私たちはその人のそばで成長していきます。

そして雲の上から「どのママのお腹に入ろうかな?」と考えながら覗いています。

優しそうなママを見つけたの。

そして神様に「行ってもいいですか?」と聞くの。

「いいよ」て言われて初めてママのお腹の中に入ってこれたの、天使と一緒にね。

ママは水玉の服を着ていたよね。

こんな話が小さな子どもから聞けるそうです。

どうも子どもたちは自分で選んで今のお母さんの子どもになったようです。

雲の上ではこんな子どもたちが神様の横にずらーと並んでうまれる順番を待っているようです。

そしてうまれるのには意味を持っているそうです。

「わたしが生まれなかったら、パパとママは離婚してたよ。」

そういわれた両親はびっくりです。

確かにあの時期は夫婦の危機だったからです。

うまれて直ぐ死んでしまう子もいるけどどうして?

それは神様にまだだめって言われているのに順番を飛ばしてお腹の中に入ったからだよ。

お腹の中では、パパやママの会話や音楽なんかも聞こえていたよ。

 

人間は魂と肉体を持っています。死ぬと肉体はなくなります。

しかし魂はまた新たな命となってよみがえります。

このことの証明になるのでしょうか?

「胎内記憶」不思議ですが無視することは出来ないようです。

私の子どもはどうして私を選んでくれてたのでしょうか?

聞いてみたい気がします。

雲の上でママをみていたときのこと。


詩のこころを読む 茨木のり子

2007年01月02日 | 

小学校の頃,国語の詩の授業で苦い思い出がある。

「詩」と言われても何をどう書いていいものか全くわからなかった。

何回も何回も書き直しをさせられた。いやな思い出だ。

そして、夕焼けに飛び回る赤とんぼののことをそのまま書いた。

やっと合格した。「なんだ、思った通りを書けばいいんだ。」

 

ここに「生きるじたばた」と言う章に「便所掃除」濱口国雄の詩がある。

出だしは

扉を開けます 

頭のしんまでくさくなります

 まともに見ることが出来ません

                                 と始まります。

作者は国鉄職員。新入りは先ず便所掃除から始まります。

1950年代。衣食もままならない時代です。

当然マナーという言葉も無かったでしょう。

公衆トイレは汚いもの、だったのです。

その情景をそのまま描いています。

そして自分がそれを掃除する思いも見事に書かれています。

最後がいいです。

『便所を美しくする娘は美しい子どもを生むと言った母を思い出します

ぼくは男です 

美しい妻に会えるかもしれません』

ほんとうに美しい奥さんに出会われたでしょう。

そのままを表現することが簡単なようでとてもむつかしことです。

 

金子みすずの「わたしと小鳥とすずと」はあまりにも有名です。

私は小鳥の様に空は飛べない、でも小鳥は私のように早く走れない、・・・・・みんなちがってそれでいい。

この詩を聞いたときにスマップの「世界に一つだけの花」を思い出しました。

時代を超えて生きている詩です。

もしもみすずが今、この混沌とした時代に生きていたら、こんな詩を詠んだかもしれません。

唇は ほんのり赤くて それでいい 

ほっぺたは まあるくぷっくら それでいい 

まゆも まあるくやさしく それでいい 

みんな こんな顔をしていたら

だーれも おこりません

きっときっと 平和でしょう

 

 

どうか今年一年平和な世の中でありますように。

今年もよろしく。

詩のこころを読む