きんいろなみだ

大森静佳

カミーユ・クローデルの旅

2019年11月13日 | その他
10月、カミーユ・クローデル(1864-1943)の足跡を追って念願のフランスへ行ってきました。

ノジャン・シュル・セーヌ編

カミーユが10代前半を過ごし、彫刻に出会った、パリから電車で1時間ほどの村。製粉所、工場、原子力発電所があります。

◯村の風景








◯カミーユや弟で詩人のポールが暮らしたクローデル家のすぐそばのサン・ローラン教会(15〜16世紀)。カミーユの最初の師アルフレッド・ブーシェの「ピエタ」があります。のちにカミーユをロダンに紹介したのもこのブーシェという人物です。







◯クローデル家を増改築して、2017年にカミーユ・クローデル美術館が誕生。












パリ編

① 1882年: 彫刻家をこころざしてパリに出てきたカミーユ。ジェシー・リップスコムら友人たちとノートルダムデシャン通り(117, rue Notre-Dame-des-Champs)にアトリエを借りる。同通りの111番地がクローデル家のアパートだった。ロダンに出会ったころ。








② 1885年:クローデル家の引越し。31, boulevard de Port-Royal の六階 に住む (日本式の数え方では5階)。

今回は行けず。

③ 1888-1892年:ロダン、カミーユと共同でパイヤン館のフォリ・ルプレス・ドゥ・ヌブールを借りる。オーギュスト・ブランキ大通り68番地(68, boulevard Auguste-Blanqui)現在は一階にすてきな時計屋さん。







パイヤン館の跡で拾った葉っぱ。


④ 1892年:ブルドネ大通り(11, avenue de La Bourdonnais)に個人制作のためのアトリエを借りる。カミーユ、このとき28歳。代表作「ワルツ」もここで制作。エッフェル塔のすぐ近く。








⑤ 1898年:ロダンとの関係が破綻し、チュレンヌ通り(63, rue de Turenne)にアトリエを借りる。「分別盛り」(L'Age mûr)などを制作。

今回は行けず。

⑥ 1899-1913年:サン=ルイ島のブルボン河岸(19, quai Bourbon)に引越し。精神病院に収監される1913年までの間、住居兼アトリエ。中庭側の0階に住む。記念碑の最後に刻んであるロダンへの手紙(1886)の引用は「何か空虚なものがつねに私を悩ませる」。







ブルボン河岸のアパート前で拾った葉っぱ。



以上、特にパリ編は日本語の文献やインターネットでは詳しい住所などに辿りつけず、パリ在住で「八雁」「パリ短歌」所属の工藤貴響さんにご教示いただきました。ありがとうございました!

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