きんいろなみだ

大森静佳

佐伯裕子『感傷生活』

2019年03月14日 | 短歌
佐伯裕子『感傷生活』(2018年)

◎10首選

風が吹き額にさーっといくつかの短い傷のつきし夏あり

この風は上州生まれの祖母の息わたしが吹けば祖母も吹きくる

「好きになる」その淵源の手力を失いにつつ日のうつりゆく

海底より競り上がりくる島を見てだれの苦しき愛かと思う

夕雲の滲める窓にもたれるに昔のきれいな涙が出ない

夕ぐれの薄くれないの橋上をとろけて飛べり春はカラスも

雪やなぎの無数の枝が感情の弱いところに触れてくるなり

暴風の芯に一瞬またたけばドストエフスキー消えてしまいぬ

大き月の真下に灯るバーガー店子が入りゆけばこんもりとする

すでに老いは太陽の芯に棲みいるがその前に来るわたしどもの老い



***


佐伯裕子の「母」の歌のおそろしさが、ずっと前から気になっています。


すもも咲く天のいずこの華やぎぞつたなく父が母押し倒す 『春の旋律』(1985)

夜に濡れ母がわたしを産みにくる産めば気持ちがよくなるという 『寂しい門』(1999)

塗りこめる母のまなぶた青すぎて蛍が流れているのかと思う 『流れ』(2013)

頭のうえを風荒びゆき母さんが吹き抜けてゆく 怒っているね



ほとんど禁忌の領域にまで踏み込んでしまっている感じ。
『感傷生活』では、こうしてうたわれてきた「母」に死が訪れます。



日当たりに乱反射する遺品たち母は何かになったのだろう



「母は何かになったのだろう」。「何か」という大づかみな言い放ち方に驚く。
これまでの歌集で、あんなにも「母」という存在に喰い込んでうたっていたのに。
その落差が凄まじくて、かえって「何か」という漠然とした言葉が心に残る。
いまは「何か」としか言えないのだ。