【対話法で書く】演劇教育と”イノベーション”

2011年06月22日 | 専門的研究企画
N(中村): どうも、こんにちは。なんだか文体が変わってますが、これは一体どういう趣向で?

Enari : えぇ、これは「ソクラテス式対話法」と云うんですけど、会話形式で文章を書くんですね。
     文脈の間違いを減らして、意図を明確にする方法だと言われています。


N   : ということは、今回は”私”と”あなた”で会話して進めていくんですか?

Enari : そうですね。ただ、闇雲に会話するのではなく、この手法には役割が決まってるんですよ。
     基本的には”私”が話を結論に導いていきますので、”あなた”はインタビュアーのように、
     (できるだけ一般的見地から)疑問を聞いたり、別の視点から見たりするようにして下さい。


N   : なるほど。それにしても、もしこのblogを初見の人がいたら、二人で書いてるように見えますね。

Enari : えぇまぁ(笑)。でも、私、本名は「中村達哉」というので、そこから察して欲しいですね。
     ちなみに、ナビゲーターの「N」ともかけてるつもりなんですけど…。


N   : はぁ…? しばらくこの形式は続けていくつもりなんですか?

Enari : いや~まぁ試しに2,3回(笑) 夏休みまでに書きたいと思います。

N   : さて、今回のテーマは『演劇教育とイノベーション』ということですが、
     イノベーションとは一体どういう意味なのでしょうか?

Enari : イノベーション(innovation)っていうのは「革新」、普通は「技術革新」のことを指します。
     簡単に言えば、新しい技術が生まれることですね。でも「発明(invention)」とはちょっと違うんです。
     「発明」は特定の物を創り出すことで、それが社会の役に立つかどうかは、割とどうでもいいんですよ。
     でも「イノベーション」はそれをどうやって使うか考えること、
     新しい切り口を生み出すことで、人間の考え方が変容していくことなんです。


N   : 発見した後に考え方が変わるということですね。
     具体的には人類の歴史でどんなイノベーションがあったのでしょうか?

Enari : 人類ってもともとは”乗り物”を持ってなかったですよね。
     ところがある時に、馬やラクダという生き物を見つけたわけです。
     そしたら、それを貿易に使おうとか、あるいは戦争に使おうという考え方が生まれるわけです。
     さらに近代になって機関車が発明されますね。そしたら、これは便利だぞっていうことで、
     線路を町と町の間に敷くわけです。そうやって、みんなの生活の中身すら変わっていくわけです。


N   : なるべくラクチンな生活にしていきたいですからね。

Enari : その通りで、さらに二十世紀に入ったら「もう移動するのも面倒くさい」って考え方ができたんです。
     それで現代はインターネットによる情報化社会になったわけです。
     情報化社会って通信が一定規模以上の”収益”になることですからね。
     これなどはまさに人類にとって大きなパラダイム・シフト(*)であったわけです。

     (*天動説が地動説に変わったように、根本的な社会の理解そのものが転換すること。)

N   : つまり、まず最初に発明や発見があって、次にイノベーションを試みて、
     最後に人類(または社会)全体の概念の変化が起きるということですね?

Enari : そうです。この順番は絶対です。決して逆転しません。
     私は常々「日本で演劇教育によるパラダイム・シフトは起き得るのか?」という命題を持っています。
     それに関してはまったく分かりませんが、今回はそういうマクロな視点ではなく、
     もう少し局所的な視点に絞ってみようと思い立ったわけです。


N   : それでイノベーションというテーマなのですね。
     しかし、演劇教育の場面でのイノベーションとはどんなものがあるのでしょうか?

Enari : 前述の通り、イノベーションは発見したものを「どう使おうか」という思考であり、行為です。
     それは別に”機関車の発明”みたいに最先端なものじゃなくてもいいんです。
     子どもの視点になってみれば、子どもは成長するに従っていろいろな発見をしてますよね。


N   : 言葉を話せるようになるのも、個人的な視点で見れば”発見”と言えますね?

Enari : そうです。そして、言語を上手く使えるようになっていきますよね。感情だってそうなんです。
     なんか感情って最初から心の中にあるものだと思ってる人が多いんですが、
     感情が発生する前に予め発見できる人っていないですよ。感情は”見つけるもの”です。
     ちなみに、以前見つけておいたものを、後で取り出して使うのが俳優という職業なわけですね。


N   : Enariさんは感情をうまくコントロールして、コミュニケーションで使うことは
     科学におけるイノベーションに似ていると考えているのですね?

Enari : えぇ、規模や頻度は全然違いますが、子どもをトップダウンな視点で見れば非常に似ていると思います。
     この前、N.G.A.のレッスンをしている時に、ある小学生の女の子が私にこう聞いたんです。
     『”悲しそうに話すこと”と”(声を)低く話すこと”はどう違うの?』って。


N   : それは演劇人的には全然違いますね。

Enari : えぇ(笑) でも確かに尤もな質問で、その子にとってはこの二つは同じ概念なんです。
     でも、不思議に思いませんか?その子はそれまでに悲しい気持ちになったことがないのでしょうか?


N   : そんなはずはないですよね。

Enari : えぇ、発見(invention)はしているけど、概念は直結したままの状態、
     すなわち、これはイノベーション(innovation)はしてないのです。
     これが大変に重要なことで、私が遠回しに科学の話題を引用する理由もここにあるんです。
     (*敢えて発見を「invention(本来は発明)」と訳しています。)

     というのも、実はイノベーションって人が困ってないと起きないものなんです。
     例えば、ある発明家が機関車を発明しますよね。でも、もしもその時、人々が交通に
     不便を感じてなかったらどうなりますか?わざわざ線路を敷こうとはしませんよね。
     イノベーションは全然起きないんです。
     同様にその子はそれを表現する”必要性”に出会ったことがなかったんですね、きっと。


N   : ”必要性”がなければ、感情のコントロールが身に付くこともないということですね?
     では、”必要がある場面”とはどんな場合でしょうか?

Enari : それは「自分の感情が伝わってもらわないと困る」という場面に他なりません。
     そういう場面は意外と少ないんですよ。現代は現実との接点が希薄になってますからね。
     私の仮説通り、感情のコントロールがイノベーションによって作用するのだとしたら、
     それはもう子どもが”困るのを待つ”しかないんです。
     でも、人が困る時って悪いことばっかりじゃないですよ。
     どうやって楽しもうか困るってこともあるじゃないですか。演劇って疑似体験ですから、
     ウソの世界の中で”必要性”をつくることができるんですよ、楽しみながらね。 
   
   
N   : なるほど。発見するだけなら、日常生活でも起き得るけれども、
     イノベーション・・・それを如何に使おうか考えることは劇体験の中にこそ多いと?

Enari : 劇体験ってお芝居をつくることだけではないですからね。
     最初に話した通り、なにかを発見すること自体は、役に立つかどうかなんて関係ないんです。
     役に立つか分からんものを見つけるのも、とても大切なことですけどね。
     というか、子どもは大人に言われなくても、それは勝手にやっていますよ(笑)
     問題はそれを表現する場が要るんじゃないかってことなんです。


N   : 話をまとめると演劇教育の役割のひとつにイノベーションがあるということですね。

Enari : 新しい概念って言葉を名付けないと理解されないんですよ、普通。
     今、私が言っているイノベーションに代わる言葉が演劇の世界にはないんです。
     「想像(imagination)から創造(creativity)へ」と言われることはあるんですけど、
     どういう過程を経てそうなるのか、その間になにが作用してるのか、
     実はあんまりハッキリしてないんじゃないかと思うんですよ。

     子どもが成長するってことは、その子の中の個人的な「革新」なんですね。
     今回はそれを心理学じゃない方向から解明することを試みてみました。


N   : ありがとうございました。最後に↓こちらは6月5日のN.G.A.レッスンの様子です。