5年ほど前、私がお芝居の理論について学んでいるのと同じ時期、
「モダン・ジャズ」というものの存在を知りました。
「モダン・ジャズ」は基本的に楽譜のようなものはなくて、
それぞれの楽器がアドリブ(即興)で演奏して、ひとつの音楽になります。
音楽に疎い私は最初、どうしてそんな方法で曲が成立するのか
さっぱり理解できませんでした。
しばらくして音楽には、「コード進行」とか「モード」と呼ばれるものがあって、
それに沿って演奏していることを知りました。
そういうやり方のジャズだからこそ、
「JAZZには名曲はない。あるのは名演だけだ。」
という言葉が生まれたのだと分かったのです。
次に私が考えたことは、もしお芝居も
「名作より名演」であるのだとしたら、
音楽でいうところの「コード進行」に類するものがあるに違いないということでした。
そして、脚本の登場人物には「なにをしようとしているのか」という目的があって、
それがドラマの基本的な要素になっていることに気付いたのです。
(後にエナリはそれを「フォーカス」と名付けることになる。)
演技の考える際に、「なにをしようとしているのか」ということを
問いかけることは、とても重要な演出であると今でも思っています。
「モダン・ジャズ」というものの存在を知りました。
「モダン・ジャズ」は基本的に楽譜のようなものはなくて、
それぞれの楽器がアドリブ(即興)で演奏して、ひとつの音楽になります。
音楽に疎い私は最初、どうしてそんな方法で曲が成立するのか
さっぱり理解できませんでした。
しばらくして音楽には、「コード進行」とか「モード」と呼ばれるものがあって、
それに沿って演奏していることを知りました。
そういうやり方のジャズだからこそ、
「JAZZには名曲はない。あるのは名演だけだ。」
という言葉が生まれたのだと分かったのです。
次に私が考えたことは、もしお芝居も
「名作より名演」であるのだとしたら、
音楽でいうところの「コード進行」に類するものがあるに違いないということでした。
そして、脚本の登場人物には「なにをしようとしているのか」という目的があって、
それがドラマの基本的な要素になっていることに気付いたのです。
(後にエナリはそれを「フォーカス」と名付けることになる。)
演技の考える際に、「なにをしようとしているのか」ということを
問いかけることは、とても重要な演出であると今でも思っています。