[レポート] 5月17日(日)

2009年05月19日 | N.G.A.レッスン
New Generation Attack!レッスンレポート。
今回は「俳優としての脚本の読み方」をレクチャーする特別レッスンを行いました。

【09年度5月特別レッスン】
日時/5月17日(日)13:30~16:30
講師/久米伸明、中村達哉、田澤恭平




脚本は初めて見たときに、とりあえず斜め読みをして、
大まかなイメージを掴んだ後に、
俳優が考える特別な作業があります。

それは登場人物の関係や行動の理由、
あるいは状況と場所を明確に決めることです。

それは難解なものではなく、とても簡単なことで良いのです。
(もちろん、優れたドラマには優れた設定が潜んでいるものですが)

しかし、自分で決めなければ意味がありません。
自分で自分を納得させる作業と言ってもいいかもしれません。




今回はその「自分で決めること」のヒントをレクチャーしました。

しかし、自分で決めたことを、観客の前で演じることは、
とても勇気のいることです。
それはたとえプロの表現者になっても変わりません。

(一流の俳優ほどより緊張するものだと言われることもあるくらいです。)

今回は演技のテクニックを中心としたレッスンでしたが、
それ以上に、私達は常に「勇気」ということを、
子ども達に伝えたいと考えています。



オッカムの剃刀と演劇

2009年05月14日 | 専門的研究企画
裏ブログで前に書いた科学の記事ですが、
個人的に気に入ったので、こちらにも掲載します。

---------------------------------------

オッカムの剃刀(かみそり)という論理学・哲学の概念がある。

「ある現象を同程度にうまく説明できる仮説がいくつかあるのなら、
 より単純(シンプル)な方を選ぶべきである」
という考え方である。

つまり、私達の日常生活でも何かが起きたときに、
それをいろいろな視点で見たり、違った解釈で考えたりします。

すると、いくつかの理由で説明できることに気づきます。

その時に「より単純(シンプル)な説明を使うべきだ」ということです。
(*ただし、絶対にそれが正解であるというわけではない)

これはまさに数学の考え方である。
数学では、よりシンプルなものはより美しいものと一致する。
あるいは、科学の世界でもこの考え方は重要だ。

そして、演劇でもこの概念は使えると思う。

オッカムの剃刀」論と演劇(演出)を結び付けるのは
おそらく日本初だと思います。

それを説明するために、「オッカムの剃刀」を心理学的に拡大解釈します。
人間の心理において「オッカムの剃刀」を適応すると↓こうなります。

「ある行動がより低次の心的能力によるものと解釈できる場合は、
 その行動をより高次の心的能力によるものと解釈するべきではない。」

(※Wikipediaより引用)

やや複雑なので、さらにかみ砕くと↓こうなります。

「人間のある行動は、よりシンプルな欲求・関心が
 原因となって生じていると考えるべきである。」


これは驚くべきことに
役者が考える演技のプロセス(の一部)と同じである。

数学・科学の概念のひとつが
演技・演出のテクニックと一致しているということは実に興味深い。



[レポート] 5月10日(日)

2009年05月11日 | N.G.A.レッスン
幅広い年齢の子ども達が参加しています。
New Generation Attack!レッスンレポートです。

【09年度第一回レッスン】
日時/5月10日(日)10:00~13:00
講師/久米伸明、中村達哉




最初のレッスンのテーマは「よく見ること、よく聞くこと」です。
(あと「リアル」ということも今期のテーマです。)

表現活動の中で大切なことはたくさんありますが、
やっぱりこれが基礎であり、演技に欠かせない重要な要素だと思います。



私達にとって「見て、聞く」ということは、
ただ単に相手を見て、話を聞くということとは少し違います。

もっと細かく見て、もっと確かに聞くことです。
それは様々な演劇的レッスン(シアターゲーム)の中に組み込まれています。

その時に必要な想像力あるいは集中力が、
どの年齢の子にとっても、演技の最初の一歩になるのです。


大切なことは教えられない法則

2009年05月09日 | 情操教育・表現教育
<大切なことは教えられない法則>


夢を追いかける姿勢


勇気を出すこと


よく見ること、よく聞くこと


リラックスすること、延いては集中すること


筋を通すこと


人を信じる力と自分を信じる意志


etc...


これらは是非とも子ども達に伝えたい、とても大切な力である。

だが、これを直接教えることはできない。
と言うより、これだけを言葉で教えることは、あまり意味を成さない。

これらは、なにかを通して、人間関係や活動や課題を通して、
培われていくものだからである。


それが教育の意義だと言っても過言ではないだろう。

そして、それは(当然だが)演劇じゃなくてもいい。

でもやっぱり、演劇が一番有効だと私は思うのである。


さて、今週お送りする一曲は、
お気に入りの日本のJAZZシンガーのPOPなナンバーです。

akiko 『Around The World』



「子どもと向き合う」とは

2009年05月04日 | 情操教育・表現教育
New Generation Attack!は子どもと向き合う演劇プロジェクトです。

「子どもと向き合う」とは、どういうことでしょうか。


私は「子どもを侮らない」ということだと考えています。
いや、それ以上に「敬意を表する」ことだと言った方が正確かもしれません。

私達は子どもの心の動き(例えば不安や葛藤や高揚)を見抜くことができます。
しかし、子どももまた、私達の心の動きを純粋に見抜くことができるのです。

その点に注目すれば、子どもは大人より優れていると言えるかもしれません。


だから、まず私達が指導者あるいはアーティストとして、
十分な準備をして、対等な立場として臨まなければなりません。
(その後はケースにより様々です。)

そうすることによって、同じ志を持った仲間という関係が築かれ、
チームや創作がよりクリエイティブなものへと昇華されるのです。


(ちなみに、ドラマ教育シアター教育
New Generation Attack!では両立している理由もこの辺りにポイントがある。)


背中を押してあげる時

2009年05月01日 | 情操教育・表現教育
教師(演出家)が子ども(役者)の背中を押してあげるということがあると思います。
つまり、積極的な参加を促したり、GOサインを出す場面があります。

今回はそのタイミングについて少し考えてみたいと思います。
すなわち、その子の状態に合わせて
「背中を押すべき時」と「背中を押してはいけない時」があると思います。

「背中を押してはいけない時」というのは、
クリエイティブな活動をする場面全般に当てはまります。
表現や演技はクリエイティブな行動なので、
子どもの自主性(選択)に委ねることが大切です。


「背中を押すべき時」というのはやや複雑で、
迷いがある時に「やってもいいんだ」というOKを出してあげる場面や、
チームの雰囲気がすでにクリエイティブなテンションになっていて、
そこから高次の表現を引き出したい場面などが当てはまると思います。


少し漠然としてしまいましたが、
表現活動においてタイミングということはなかなか重要な要素だと思います。


さて、今週お送りする一曲は、
大学4年の時に、やたら聞いてた記憶のあるJAZZナンバーです。

Oscar Peterson 『Take the A-Train』