この前、攘夷派のお馬鹿さん、吉田松陰を紹介した。
しかし新選組のお馬鹿さんを紹介しないのは、吉田松蔭からしてみれば「新選組にだってばかはいるだろう!こうなったら名誉毀損で訴えてやる!」と思う事だろう。
まあ、一部を除くと、新選組はバカばっかりなんだけど・・・。
特にお馬鹿な人。
お馬鹿すぎて、死にかけた人。
十番隊組長、原田左之助。
そんなわけで、勝手に新選組。
名前
原田左之助(はらだ さのすけ)
生誕
1840年
死没
1868年7月6日
出身
伊予松山藩(現在の愛媛県)
流派
槍術・種田流
役職
十番隊組長
性格
お金とか出世とかには無関心。
前へ前への精神が強いけど、何かにつまづくと一気に暗くなって、いつもの勢いは無くなってしまったようだ。
あと、性格は関係ないけど大食い。
あと、子煩悩。愛妻家。
ニックネーム
参考にする画像がこれだ。
ちなみにこれは、息子の原田茂さん。(息子のは残っているが、なぜか本人のは無い)
何となくだが、半沢直樹に出てきそうだ。
と言う事で『常務』にでもしよう。
逸話
原田といえば伊東甲子太郎が「現場に落ちてた鞘は原田のものだよ!」なんて言ったり、龍馬を助けようとして現場に駆けつけた人が「こなくそ!」っていう伊予弁を聞いたっていう話から、坂本龍馬暗殺の犯人と言われている。
ただ、龍馬暗殺と原田は関係ないという説の方が強い。
そんな原田は藩最下級の生まれだったようだ。
だけれども、賢く気が利いたようで目付の附属の仕事にありつけたそうで、帯刀を許されていたようだ。
全然お馬鹿じゃない。
でも、仕事についたはいいが常に上司には反抗的。
酒で酔っぱらい、暴れる。
そんな原田を見かねた上司たちが「原田君、君はもう少し落ち着いた生活を遅れないのかね?ほら、馬鹿だと思われるだろう」と言うと、原田は「それを本気でおっしゃっているなら、あんたこそ大馬鹿ものだ!」となぜか反抗。
そんなわけで、原田は刑を受けることになる。
その刑というのが、『裸で腕を後ろに縛って水攻め』というものだったようだ。
もはや、刑というより、過激ないじめだ。
しかし、原田は全然反省しない。
その後も、ふんどし一丁でオランダ式軍楽の太鼓をドンドコドンドコ叩いたりしたらしい。
お馬鹿っていうか、ちょっと面白い。
そんなこんなで、原田は脱藩。
その後、江戸に出てくる。
そして、どこでどう知り合ったかは不明だが、近藤勇と知り合い、試衛館道場に食客として住み着き、近藤たちと京都にやって来て、新選組結成。
こんな原田だが、近藤と土方の信頼は厚く、沖田率いる一番隊と並んで、原田の十番隊は出動回数が最も多かったようで、精鋭部隊とも言われている。
そして、まささんと結婚、茂君が生まれる。
そうこうしていると、戊辰戦争が始まる。
鳥羽伏見で戦ったり、甲府で戦ったりする。
そして甲陽鎮撫隊解散後、なんやかんやで、永倉新八と一緒に新選組を離れ、靖兵隊を結成。
しかし、まささん大好き!茂君大好き!な原田は、京都で家族で暮らしたいと思い、靖兵隊を脱退。
京都に行こうとする。
ちょっと、良いやつだ。
でも残念な事に、新政府軍の取り調べが厳しくて、江戸を抜け出す事が出来なかったみたいだ。
がっかりしながら、でも仕方ないので上野章義隊に入るが、負傷。
そして、鉄砲で撃たれた傷が悪化して、死んでしまう。
そして死んでしまったのに、なぜか日露戦争で大活躍したという、伝説がある。
これは何やら当時でも話題になったようで、当時の人たちも調査したみたいだけど、結局原田を見つけ出す事は出来なかったようだ。
しかし、まあこうやって見ると、以外とお馬鹿エピソードは少ない。
頭悪い対決は吉田松陰に軍配が上がりそうだ。
しかし、吉田松陰もびっくりのエピソードがある。
美男五人衆の一人、楠某を暗殺したとき「ああ、いい気持ちだ!」と言って、アヘアヘ笑っていたらしい。
これは、お馬鹿っていうか、狂ってるエピソードだった。
というか、ちょっとしたホラーだ。
そうじゃなくて、吉田松陰もびっくりのお馬鹿エピソード。
若い頃(新選組に入る前)原田は仲間たちに「おまえは切腹の作法も知らないでしょ?馬鹿だな」と馬鹿にされ、頭にきたもんだから勢いで切腹。
馬鹿だ。
救いようの無い馬鹿だ。
そして、理解に苦しむ。
普通するかね?
「切腹の作法も知らない馬鹿」と言われただけで、普通切腹するかね?
そもそも、原田は藩最下級の生まれで武士では無かったので、切腹の作法なんて知らなくて当然なのだ。
それなのに原田は「もし、切腹をする事が出来たら、この件、土下座して詫びて貰いますよ」とか言っちゃって、仲間達も「やれるもんなら、やってみな!」とか言ったことだろう。
だからって、普通するかね?
もう、開いた口が塞がらない。
しかし原田は、運良く生き延びたのだった。
その日から、原田のチャームポイントはお腹の傷跡になったようで、ことあるごとにお腹の傷を自慢していたようだ。
まささんもお腹の傷跡を触らされたらしい。
・・・お馬鹿だ。
まささんだけでなく、毎日のように若い隊士たちを集めてこう言っていたそうだ。
「オレの腹は金物の味を知ってるんだぜ!」
と。
ああ、そうかい・・・。
なんでもいいけど、金物の味を知る前に、自分の愚かさを知りたまえ!
そうゆうわけで、頭悪い対決は引き分けだと勝手に思うのである。
しかし新選組のお馬鹿さんを紹介しないのは、吉田松蔭からしてみれば「新選組にだってばかはいるだろう!こうなったら名誉毀損で訴えてやる!」と思う事だろう。
まあ、一部を除くと、新選組はバカばっかりなんだけど・・・。
特にお馬鹿な人。
お馬鹿すぎて、死にかけた人。
十番隊組長、原田左之助。
そんなわけで、勝手に新選組。
名前
原田左之助(はらだ さのすけ)
生誕
1840年
死没
1868年7月6日
出身
伊予松山藩(現在の愛媛県)
流派
槍術・種田流
役職
十番隊組長
性格
お金とか出世とかには無関心。
前へ前への精神が強いけど、何かにつまづくと一気に暗くなって、いつもの勢いは無くなってしまったようだ。
あと、性格は関係ないけど大食い。
あと、子煩悩。愛妻家。
ニックネーム
参考にする画像がこれだ。
ちなみにこれは、息子の原田茂さん。(息子のは残っているが、なぜか本人のは無い)
何となくだが、半沢直樹に出てきそうだ。
と言う事で『常務』にでもしよう。
逸話
原田といえば伊東甲子太郎が「現場に落ちてた鞘は原田のものだよ!」なんて言ったり、龍馬を助けようとして現場に駆けつけた人が「こなくそ!」っていう伊予弁を聞いたっていう話から、坂本龍馬暗殺の犯人と言われている。
ただ、龍馬暗殺と原田は関係ないという説の方が強い。
そんな原田は藩最下級の生まれだったようだ。
だけれども、賢く気が利いたようで目付の附属の仕事にありつけたそうで、帯刀を許されていたようだ。
全然お馬鹿じゃない。
でも、仕事についたはいいが常に上司には反抗的。
酒で酔っぱらい、暴れる。
そんな原田を見かねた上司たちが「原田君、君はもう少し落ち着いた生活を遅れないのかね?ほら、馬鹿だと思われるだろう」と言うと、原田は「それを本気でおっしゃっているなら、あんたこそ大馬鹿ものだ!」となぜか反抗。
そんなわけで、原田は刑を受けることになる。
その刑というのが、『裸で腕を後ろに縛って水攻め』というものだったようだ。
もはや、刑というより、過激ないじめだ。
しかし、原田は全然反省しない。
その後も、ふんどし一丁でオランダ式軍楽の太鼓をドンドコドンドコ叩いたりしたらしい。
お馬鹿っていうか、ちょっと面白い。
そんなこんなで、原田は脱藩。
その後、江戸に出てくる。
そして、どこでどう知り合ったかは不明だが、近藤勇と知り合い、試衛館道場に食客として住み着き、近藤たちと京都にやって来て、新選組結成。
こんな原田だが、近藤と土方の信頼は厚く、沖田率いる一番隊と並んで、原田の十番隊は出動回数が最も多かったようで、精鋭部隊とも言われている。
そして、まささんと結婚、茂君が生まれる。
そうこうしていると、戊辰戦争が始まる。
鳥羽伏見で戦ったり、甲府で戦ったりする。
そして甲陽鎮撫隊解散後、なんやかんやで、永倉新八と一緒に新選組を離れ、靖兵隊を結成。
しかし、まささん大好き!茂君大好き!な原田は、京都で家族で暮らしたいと思い、靖兵隊を脱退。
京都に行こうとする。
ちょっと、良いやつだ。
でも残念な事に、新政府軍の取り調べが厳しくて、江戸を抜け出す事が出来なかったみたいだ。
がっかりしながら、でも仕方ないので上野章義隊に入るが、負傷。
そして、鉄砲で撃たれた傷が悪化して、死んでしまう。
そして死んでしまったのに、なぜか日露戦争で大活躍したという、伝説がある。
これは何やら当時でも話題になったようで、当時の人たちも調査したみたいだけど、結局原田を見つけ出す事は出来なかったようだ。
しかし、まあこうやって見ると、以外とお馬鹿エピソードは少ない。
頭悪い対決は吉田松陰に軍配が上がりそうだ。
しかし、吉田松陰もびっくりのエピソードがある。
美男五人衆の一人、楠某を暗殺したとき「ああ、いい気持ちだ!」と言って、アヘアヘ笑っていたらしい。
これは、お馬鹿っていうか、狂ってるエピソードだった。
というか、ちょっとしたホラーだ。
そうじゃなくて、吉田松陰もびっくりのお馬鹿エピソード。
若い頃(新選組に入る前)原田は仲間たちに「おまえは切腹の作法も知らないでしょ?馬鹿だな」と馬鹿にされ、頭にきたもんだから勢いで切腹。
馬鹿だ。
救いようの無い馬鹿だ。
そして、理解に苦しむ。
普通するかね?
「切腹の作法も知らない馬鹿」と言われただけで、普通切腹するかね?
そもそも、原田は藩最下級の生まれで武士では無かったので、切腹の作法なんて知らなくて当然なのだ。
それなのに原田は「もし、切腹をする事が出来たら、この件、土下座して詫びて貰いますよ」とか言っちゃって、仲間達も「やれるもんなら、やってみな!」とか言ったことだろう。
だからって、普通するかね?
もう、開いた口が塞がらない。
しかし原田は、運良く生き延びたのだった。
その日から、原田のチャームポイントはお腹の傷跡になったようで、ことあるごとにお腹の傷を自慢していたようだ。
まささんもお腹の傷跡を触らされたらしい。
・・・お馬鹿だ。
まささんだけでなく、毎日のように若い隊士たちを集めてこう言っていたそうだ。
「オレの腹は金物の味を知ってるんだぜ!」
と。
ああ、そうかい・・・。
なんでもいいけど、金物の味を知る前に、自分の愚かさを知りたまえ!
そうゆうわけで、頭悪い対決は引き分けだと勝手に思うのである。