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遺品を整理中に発見した母の自分史 (そのⅢ)

2012-11-18 04:48:35 | 日記
母にとってこのお雛道具は、宝物であった。

81歳になるまで鮮明な思い出として残ったこの大箱に収められたお雛様の記憶は、私が小学生の頃に母からよく聞いた話と全く変わらないものでした。


いくちゃんの七五三とお雛様③

茶箪笥の上にぴったりの新しい御殿。

二間つづきの御殿は畳敷きで暖簾がかかげられ、上の間に一対の内裏様、次の間には三人官女と五人囃子。

黒漆に金蒔絵のピカピカの御殿に、右近の橘も、左近の桜も、全部の雛人形も小造りで、桧扇も笏もお雛様の手にくっついていて、勿論小さな太刀も型ばかりで抜けもしない。

お道具一式も小さくて、形の如くならんでいるがお膳部のお椀類も動かぬようにくっつけられていて、まるで味もそっけもない代物だった。

小ぢんまりしたお雛様に買い替えた母親が一人悦に入っているところに、三年生のいくちゃんが帰ってきた。

「あらお帰り。いくちゃん、このお雛さまをみてごらん。立派な御殿に入ったお雛さまだよ。小さくて可愛いだろう、よーく見てごらん」と、得意そうに声をかけた。

びっくりしたいくちゃんは、そのお雛様の方をチラリと見ただけで、「いくちゃんのお雛さまは?」とたずねた。

「あらっ、これがいくちゃんの新しいお雛様じゃないの、古い方のは大きくて邪魔になるので、今日売ってしまったのよ」

その一言を聞きながら、いつもの場所にあるべき筈の、あの大箱が吊ってないのを見て、いくちゃんの心は忽(タチマチ)真っ暗闇に突き落とされてしまった。

いくちゃんは黙って通学用の海老茶のセルの袴をいつものように丁寧にたたむと、こみあげてくる涙をかくすように、下駄をつっかけて戸外へ出ていってしまった。

そんな様子も、家族や従業員達の夕食の準備で忙しい母親は、気にもとめなかった。  

いくちゃんは大声で泣き叫びたかったのだ。

地団駄踏んで「いやだっ、いやだっ」とわめきたかったのである。

だが普段からおとなしい子として扱われている女の子に、そんな真似はどうしても出来なかった。

家の中で泣くことさえ憚(ハバカ)られて、さりとて戸外に立って泣いたりして、人に怪しまれるのもいやだった。

いくちゃんはすすり泣きながら町内の道を歩き回っていたのだった。

泣いて、泣いて、やっと涙のおさまる頃に知らぬ顔で家に戻ってきた。

新しいお雛さまなんて見たくもない。

「私には一言も言わずに、あの私のお雛様、私の宝物のお雛様を売り払ってしまうなんて」と思うと、またどっと涙が溢れそうになるのでじっと堪えていた。

いくちゃんもそれとなくお雛様の出し入れの大変なこと、雛祭りの中の家の手狭なことも子供心に感じてはいたのだが、いくちゃんに一言の相談もなく買い替えてしまったことは、どうしても許せなかった。

その口惜しさも口に出せず、態度で拗ねて見せることも出来ない。

本当に内気な人形のような子供だったのである。

多忙な母親は、深く傷ついた子供心をついに気づかなかったのだった。

その後東京は大震災に見舞われて、いくちゃんの家ももちろん焼け落ちてしまったのだった。

でもいくちゃんは、あの美術の香り高いお雛様は、きっとどこか遠くの異国の美術館にでも大切に保存されていて、今もあの臈たけたお顔で、静かに微笑んでいられるに違いないと思っているのである。   (完)

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