京都上賀茂では、冬のお漬物の代表の「すぐき」の漬け込みが
各農家で早朝から一家総出で、すぐき菜の皮むき、樽詰に追われているこの時期ですが、
暇な私は久しぶりに加茂川の堤防をを歩いていると、紅葉の木に
キツツキの仲間のコゲラを見ることが出来ました、
最近は地域の公園でもよく見かけるそうで、人間を見てもあまり気にもせず、
巣穴作りに精を出しているようです。
12月に入ればすぐきの注文をしなければ。
京都上賀茂では、冬のお漬物の代表の「すぐき」の漬け込みが
各農家で早朝から一家総出で、すぐき菜の皮むき、樽詰に追われているこの時期ですが、
暇な私は久しぶりに加茂川の堤防をを歩いていると、紅葉の木に
キツツキの仲間のコゲラを見ることが出来ました、
最近は地域の公園でもよく見かけるそうで、人間を見てもあまり気にもせず、
巣穴作りに精を出しているようです。
12月に入ればすぐきの注文をしなければ。
元大同マルタ染工社長の中山久英さんが他界されました。
中山さんは去る10月9日94歳で永眠なされました。
中山さんは
大正11(1922)年 7月13日奈良県天理市(旧・丹波市町)生まれ(享年94歳)
昭和15(1940)年 奈良商業学校卒業
昭和17(1942)年 9月名古屋商業学校卒業
昭和17(1942)年 10月旧・東京商科大学(現・一橋大学)入学
昭和18(1943)年 学徒出陣(海軍第14期飛行予備学生)・マニラ勤務
昭和20(1945)年終戦・捕虜収容所へ
昭和21(1946)年復員・復学
昭和22(1947)年旧・東京商科大学(現・一橋大学)卒業
昭和23(1948)年東洋染色(株)入社・その後(S.24)東洋紡績(株)に吸収合併
昭和和53(1958)年同社常務取締役
昭和56(1981)年大同マルタ染工(株)顧問・翌年同社取締役社長・その後会長
平成4年(1990)年日本染色協会会長
中山さんは若い時からいろいろ御苦労なされ、最後の会社勤めも大同マルタの再建という全く予期もせぬ苦難と闘い、大変だったと思います。その様子は中山さんの著書「渇仰」・「返照」・「私の風景」に詳しく書かれております。
私たちは中山さんが大同マルタの中興の祖と心に刻んで欲しいと思います。それと同時に、折角中山さんが立て直した大同マルタを失ったことに心からお詫びをしなければならないと思います。
中山久英さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 合掌
この稿 座敷童子でした。