トミーの想い パート2

一日一日を精一杯楽しくね!

ムべなるかな!

2011年10月31日 | 日記


先日近江八幡市奥島山に自生する不老長寿の実として知られるムべを、王室に献上された記事が載っていました.ムべはアケビ科の果実で鶏卵よりも一回りおおきく熟すと赤紫いろになるという、天智天皇が蒲生野に立ち寄られた際老父婦に長寿の秘訣を尋ねられた際ムべを食べているからと聞かれ賞味した天皇がむべなかな(もっつとも)答えたのは周知のことですね。友達のところには庭に2メートルぐらいの木があり紫色に熟していたので、話には聞いていたけど始めて実物をみた感動しました。

アクトパル宇治

2011年10月08日 | 日記
南郷洗堰を越え京滋パイパス笠取入り口の掲示板を右折してしばらく行くと又笠取インターの入り口につくが入り口を右折して少しゆくとアクトパル宇治に到着。田園風景で静かなたたずまいで秋の風情がいっぱい収穫時で稲刈りの真っ最中。友達がいいところがあるよと教えてくれたので早速いってみた。野外活動のキャンプ場や体育館などがあり地元笠取の人を雇用し第3セクターとしてやっておられる様子でした。4人でグランドゴルフを楽しむ。お天気も良くフリープレーで用具ともで800円で1日遊ばしてもらえる。お弁当持参で機嫌よく遊んだ。ホールインワン↓友達にコーヒをおごっていただいてアクトパル入場者100万人記念にタオルをいただいて帰ってくる。学校行事や各種団体の練習に合宿所などもありやすくて泊まれるようす。昨日からグランドゴルフの男女も宿泊つきですよと言ってられた。いいとこ見っ付けた ~。

石見銀山

2011年10月07日 | 日記
              石見銀山  龍源寺抗道の入り口付近                                     

             此処より坑道に入る 
坑道のことを間歩といって3〇〇メートルに及ぶ坑道内をあるく、学生らしい一同とともに照明はされているが薄暗い道を進む。まだ銀があるぞーなんていいながら脇道の奥を覗き込んだり、懐中電灯を照らしながら楽しそうにしていた。。狭い坑道を掘って土砂を運んだり過酷な労働に耐えていた工夫たちも大変だったでしょう。閉山は昭和18年で、228年間掘りつずけたようです。


五百羅漢
                                       
 石見銀山の石工技術を信仰遺跡にし、石窟内に五百羅漢を収め中央に石造の釈迦三尊仏左右にそれぞれ二五〇体ずつ収められた。石見銀山は室町時代博多の商人が開発。銀をめぐって度々戦いがあった。徳川時代に幕府の管轄になった。銀山の入り口には厳重に見張りが置かれ町には代官屋敷の跡が数多く残っている。女子供たちは掘り出された砂利や土砂の屑から金のくずを拾って銀を探した。
  
 大森銀で栄えた町の散策はレンタルの電動自転車で回った。久しぶりに自転車に乗った。                                                    

金子みすずのふるさと仙崎

2011年10月07日 | 日記
   
鯨館 対岸からの鯨館の写真   昔捕鯨が盛んな港であり鯨のお墓もあった鯨の胎児700体埋葬された 


海上レストラン残念ながらいい雰囲気のお店で釣堀もありましたが現在営業されてません.惜しいですねえ!

長門で宿泊して青海島を訪れた、途中金子みすずの生家のところに記念館が建てられていた。26歳の若さで子供
を残しての自殺、その後に大ブレークして一躍有名に、まさに海辺で育ったようすなど詩情豊かな詩がたくさんあります。旅館にも彼女の詩が大きく掲げられていた。
 大漁 朝焼け 小焼けだ
    大漁だ 
    浜は祭のようだけど
    海の中では何万の
    いわしの  とむらいするだろう。  私の好きな詩のひとつ

おいでました山口

2011年10月06日 | 日記
翌日津和野を散策。津和野に明治維新後長崎浦上のかくれキリシタンの殉教者がたくさん拷問にあってなくなっているのを知った。写真のは昭和6年にキリシタン迫害の悲劇を繰り返さないために昭和6年ドイツ人により建築された。


 津和野の町の風景
森鴎外の旧宅



津和野はslや山口号の終着駅で、slが入る時間は観光ガイドがさア~早くってみんなを引き連れてくるので早くからカメラの用意をしていたのに押し出されてしまいました。