トミーの想い パート2

一日一日を精一杯楽しくね!

綾部梅林

2010年02月25日 | 日記
海の見える梅林のキャッチフレーズにつられて、綾部梅林へ行く。石山から山崎に入り中国自動車道の龍野西で降りて後は播磨路を走る。梅林は紅白入り混じって2万本あるとか~。
鹿島や小豆島や工業地帯が見渡せるところの茶店で甘酒を頂いて休憩する、早咲きの8分咲き程度で少し早かったかなあ・・その後あと少し車を走らせて室津港へより、牡蠣(焼きたてを食べる)牡蠣と干物を買って、又もう少し足(車を走らせ)を伸ばして相生港に着く。相生はペーロンの町で海の駅と道の駅と一緒で、日帰り温泉もあった。相生の道の駅で食事をした。レストランの男の支配人(嫁と喧嘩でもしたんかい)4人で思わず苦笑愛想悪うーーもう来るか~なんて。早めに帰宅の途に着く。大阪へ出るときはドル箱コースー土、日曜1000円とは行かない、割引料金だけです。くだり方面もたまにはいいかと慰めて。又高速料金も変更されるようだし、安いうちに暖かくなったらおでかけしよう。 

朱蒙(チュモン)が面白い

2010年02月24日 | 日記
又友達から朱蒙(チュモン)の全巻八十一話を借りてくる.見始めたら限が無くなく長い~長い長編物を1月ほどで見てしまう。多い日は三話ぐらい~辞められないとまらない。という感じ。古朝鮮を取り戻し高句麗を建国するチュモンの一代をドラマにしたものです。チュモンの清潔感ある演技と周りの義兄弟のかっとうや、ストーリがうまくできています。王妃も憎らしいのや、綺麗なチュモンの母役の王妃、商人ソソノもまたいい役者です。韓国での視聴率のナンバー1だそうです。こればかり見ていると世間の動きに鈍くなるのでこれで打ち止め~と思ったらkbsで火曜日から再放送で今二十八話目、うちのだんな 、まではまってどうするんや~・・?又再度見ています。最後に八十一話の終わりにテレビの出演者の素顔に迫るというのがあってチュモン役の俳優がまたこうかんどあっぷです。ラジオ聞いてたらトミーズのマサさんが昨日3時間はまってた言ってました。それから全巻字幕で韓国語で話されている方が喜怒哀楽が伝わってきて字幕読みながらだけどいいと思う。kbsは日本語で吹き替えはいまいち迫力が無いと思う。それぞれの考えはあると思うけどね。

着信御礼(携帯大喜利)が面白い

2010年02月21日 | 日記
土曜日(日付けが変わる)12時から携帯大喜りが始まる。お題にもとずいて視聴者から携帯で回答が寄せられる.因みに昨日のは御題は(アホアホド-ナツ店オープンどんな店)回答者が
店内のbgm ドーはドーナツノドー という風に回答があるこれが坂尾さんの得点がアンテナ三本にときまる.という仕組み。初段がルーキーで回答者もペンネームで視聴者参加番組で好評らしい。因みに昨日の応募者は33万件だとか~みながんばってとうこうしてるねえ。

滋賀のあれこれ

2010年02月15日 | 日記
  昨日の女子モーグル12位滋賀県日野町出身の伊藤みき選手(中京大)日野公民館には400にんあまりおうえんだんで観戦したと言うことです。入賞は逸したけど世界のレベルで肩を並べていけるのは、立派なことですね。今後の活躍を期待したいですね。
   
 (瀬田のから橋)古くから滋賀の要塞として注目されてきた橋が修復をめぐって議論されています。色をめぐってクリーム色のほか青や緑灰色など9色に塗り分けた写真から選んでいく形式。本来の木造に戻すという選択肢の賛否を問うのがホームページ~投票できるらしい。ちなみに錦帯橋綺麗木造に作りかえられていて感動したから私的には木造がすきで~す。

平山郁夫(追悼展)

2010年02月14日 | お出かけ
平山郁夫平和の祈り展昨年12月になくなられた彼の追悼展が佐川美術展で開かれています。
広島の(現尾道)生口島に生まれ被爆の後遺症白血球が不足して苦しい中での旺盛な創作 かつどうだったそうです。薬師寺の壁画や壁画の中の玄奨ゆかりの7場面やシルクロードを題材にした数々を改めてみてきました。文化遺産の破壊や修復に貢献されホント早く逝去されたのがざんねんですね。佐川美術館の創設にも尽力されたとか~常設展にも沢山遺品が残ってます。佐川美術館も琵琶湖の波に模してさざなみ(人工的)立って見晴らしもよく食事も、お茶もくつろぎのひと時によいところです。

アンネの日記余話

2010年02月13日 | 日記
2月8日の毎日新聞の夕刊のコラムに小川洋子さん(作家)にめをとめる。アンネの日記の作者の父の会社の従業員であるミープ、ヒースさんがなくなったと~彼女は第2次大戦中フランク一家が隠れ家に住んだ際
、食料品から周囲の気配りや密告の恐怖から一家の生活を守り隠れ家の生活をエンジョした。1944年秘密警察によって一家が連行された後ミープさんは床に散らばったアンネの日記を拾い集め父親のオットーが帰るまで厳重にほかんしていた。その後取材のため小川洋子さんは知り合ったので彼女の死も知りえたらしい。父の従業員である彼女が日記を、保存していなっかたら有名なアンネの日記も父親の手に渡らず日の目もみなっかたでしょう。
5年前オランダのアステルダムを観光したとき、ガイドさんが隠れ家を案内してくださりに隠れ家になっていた所をみてきました。
アンネの日記もそうした背景があったんですね。

信貴山へと車で出かける

2010年02月12日 | お出かけ
はじめまして~。じゃなかった。no2今日からはじめます。初めてのブログを義弟の力を借りて小冊子に仕上げてうまくできたので、又gooで再開しますよろしく~。
混雑を避けて、節分過ぎの好天の一日信貴山へと車で出かける。今年は私の年(虎)で大いに期待したいところです。山門を入ると大きな張子の虎がおでむかえしてくれます。朝護孫子山といい、聖徳太子が戦勝を祈願したのと醍醐天皇の病気平癒のご加護をお祈りしたとか~聖徳太子が祈願されたのが寅年虎日虎の刻だったとか。大きな張子の虎のおなかに12年後への手紙を入れるイベントがあったのでちょうど12年後の私のメールを一番年上の孫にしました。果たして12年後はどうなっているでしょうね。