陽の当たる場所へ

日陰を歩く者は
陽の当たる場所に辿り着くことを夢見て
思考に耽る

進め、ノートテイカー!

2006年06月22日 | 活動日記
 最近、というか前からだが大学で生協が主催する公務員講座が開かれている。

 大学側としてもこういうサービスをしなければ生き残れない時代になったのだろう。

 今年度、この公務員講座に聴覚障害者の学生が受講することになり、自分もノートテイクに行ってきた。

 ノートテイカーの対象は現役生に限るものであったが、自分はこれまでの活動経験を買われ卒業生であるにも関わらず参加することになった。

 このノートテイクだが、これまで普通の授業でノートテイクによる情報保障を行うことはあった。
 だが、公務員講座に聴覚障害者が受講するのは初めてのことであり、生協は急遽この学生に情報保障をするためノートテイクを行うことに決めた。

 しかし、講師の側からの反対の意見もあったらしかった。

 というのも、短い期間で受験に合格するための膨大の情報を受講生に伝達するので、聴覚障害学生一人のためにゆっくり話すことはできないという類のことを生協は言われたらしい。

 ゆっくり話せば情報量が少なくなり、今まで80%を誇ってきた合格率が下がることになる。だから、そんなことはできない。

 つまり、婉曲的に「そんな学生は受けるな」と言っているわけだ。

 でも、彼らの根拠は果たして正しいのだろうか?

 確かに彼らの有する受験ノウハウに従って効率的に勉強すれば合格率は上がるだろう。
 しかし、高い合格率をたたきだせるほどの知識と学力をもともと備えていた学生だから、80%もの合格率を出せたともいえる。

 ウチの大学はランク的にも上位の部類に入るから、この要因は無視できない。

 それを「80%もの合格率が出せるのは俺たちの教え方のおかげだ」と居丈高に構える講師は、教育者という資質としてあまりいただけない。

 これから来年の3月まで講座は開かれ、その間ノートテイカーとして参加していくことになるが、講師に限らず、これから公務員になるかもしれない受講生に対してもノートテイクのように聴覚障害者には何らかの形で情報保障が必要であるということを啓蒙できればと思う。

やっと終わった

2006年06月18日 | 活動日記
 昨日人工内耳友の会全国大会-金沢が行われた。
 これへの情報保障のために4月から毎日1時間欠かさず入力練習を重ねてきた。

 その成果を昨日遺憾なく発揮しようとしたのだが、撃沈…

 やっぱり一朝一夕で早くなるもんでもない。

 それに改めて自分のIMEを使いこなしていないことを思い知らされる。

 入力速度の鍵はやはり正確なタッチタイピングと辞書登録によって決まる。

 理想の要約筆記者への道は険しい~!

 この大会に森前総理と橋本聖子議員が来ていた。
 持ち場で前ロールを作成していると、覗き込む人がいるので誰かと思ったら、森先生だった。

 よく「テレビで見るのと実際に見るとでは違う」と言うけれど、森先生に関しては本当にあのまんまで、全く同じ。

 橋本議員はテレビでみるよりも少しガッチリしていた。
 やはりもとスポーツ選手だけのことはあった。

 でも、テレビの中の人を実際に見ると緊張するかと思ったけど、まったくせんかったね。

 オーラというか威厳というか、そんなんを特に感じんかったような気がする。
 実際に面と向かって話してないけんかな?

 そんな両先生を招いての全国大会なのに客席はまばらというより、ガラガラに近い。

 よく来てくれたよ。
 どういうつながりなんじゃろ? 不思議…

入力練習は一日にしてならず

2006年05月24日 | 活動日記
 6月に人工内耳友の会全国大会が金沢で開催される。
 もう一ヶ月を切った。

 そのため、パソコン部員は練習日を設けて連係入力を訓練してるし、各個人も入力練習に余念がない。

 自分もIPTalkのGシリーズを使って一人入力で練習しているが、なかなか。
 一朝一夕で早くなるはずもない。

 そんなんだけれども最初の頃よりかは少し変わった。

 始めたばかりのころは、一回(約5分)終えただけで腕がパンパンに張って連続して練習することが難しかったけど、今は何回連続でしようとも大丈夫にはなった。

 後は入力ミス、変換ミスをどうやって減らすかだ。
 こればっかりはなかなか…

 この前、松本幸四郎がテレビで言っていた。
  一日練習を休むと自分がわかる。
  二日練習を休むと相手がわかる。
  三日練習を休むと観客がわかる。

 まさにその通りだろう。
 達人への道のりは長く果てしない。

組織と活動の間で

2006年04月11日 | 活動日記
 要約筆記サークルの定期総会があり、自分は司会と議長を担当することになった。

 小さいサークルだからといって、皆がまとまっているかというそうでもない。
 皆が皆、個人的な考えに基づいてよりサークルをよくしようという思いがあるので、議事はもめにもめた。

 特に普通の議事とは異なり、難聴者も参加しているので、彼らに情報保障をしながらの進行を心掛けないといけない。
 そのため、皆が好き勝手に意見を言うのではなく、一人一人順番を待って意見を言うようにさせなければならない。

 また、とりとめもなく出された意見を、皆が理解できるようにまとめたり、採決をしたりと、苦労も並大抵のモノではない。

 どうにかこうにう成立し、無事に終わったわけだがなかなか…

 これじゃ新しく入った部員が続かないわけだ。
 聴覚障害者の為に活動をしようと思っても、わざわざこんな複雑な組織や人間関係の中に入ろうなんて物好きはおらんて。

 帰りに寄った本屋で知り合いのろう男性がいた。
 どうやら娘さんのお守りらしい。
 最初は本を買って帰るつもりだったのだが、ゲーム機の順番待ちをしている娘さんの後ろで暇そうにしている彼を見て、話をすることにした。

 2週間前にも、借りていたビデオを返したついでにカレー屋に寄ると、後から別のろう男性がやってきた。
 夜の7時台だったので、客が多く、彼はお店の人に注文をし辛そうだったので代わりにすることにした。

 手話ができるできないに関わらず、聴覚障害というものがどんなものなのか知っているということが、こういう日常の何気ない場面で発揮する。

 自分たちがしていこうとすることは、こんな日常生活で彼らとともに歩んでいくことなのに、そこに組織が絡んでくると途端にことは複雑になり、やる気をなくし、消えていく。

 障害者のために…なんて耳障りの良い綺麗なフレーズで障害者運動を促進しているが、実際はなかなか。

 よっぽどの覚悟がないとできん世界じゃわいね。

前ロール上がんね~

2005年11月13日 | 活動日記
 今日はパソコン要約筆記が関わり始めて4回目の活動に行く。

 最初の頃は一つ一つが緊張の連続だったけど、今ではすっかり慣れ、その代わり、さらに質の高い情報保障をどうすべきかということを考えるようになった。

 でもこの大会、何か最初の1年目と比べると回を重ねるごとに段々活気がなくなっているような気がするのは俺だけなんだろうか?

 マンネリ化するとこうなってしまうのかな…

やれやれ

2005年10月21日 | 活動日記
 講座を修了した新人を初めて迎えた定例会が行われた。

 そこで私は失態をやらかした。

 今回の定例会は、もともと新人を担当する定例会担当という担当者に全て任せ、私を含む他の部員は、それをサポートする役割だった。そこに私がいつの間にか出張っていたというわけだ。

 自分が想定していることと違う状況に陥ると、前に出ずにはいられない。
 でしゃばりとも几帳面とも違う独特の感じ。

 広島弁(のさらに地元語じゃないんかな?)でこういう人のことを“イラ”という。
 ウチの父さんがまさにこれだ。

 これってやられた人にとっては「立つ瀬がない」って感じでホントに辛いんだよね。自分でも身に沁みてわかってたんだけど、ホントにいつの間にかって感じだ。

 定例会担当の人に「IPTalkのCD-ROM貸して」とお願いした瞬間、「しまった~!」と思ったが、後の祭り。 _| ̄|○ハァ~

 なんか段々父さんに似てくるよ、俺…

 来てくれた新人は修了者の約半数。来月も併せて考慮しないとなんともいえないけど、まぁ順当な数だと思う。
 しかも早速サークルに入ってくれた(^-^)
 後はこの新人が定着してくれれば。

相手を知り、己を知れば…

2005年10月17日 | 活動日記
 前に書いた通り要約筆記基礎講座は無事終わったわけだが、この時チョット印象に残った感想を書く。

 それは講座を終えた感想を受講生から聞いている時に出たものなのだが、この受講生はどうも“パソコン”に過大な期待を抱いているようだ。
 つまり、「“情報量”は多ければ多いほど良い」というものだ。

 このことに別に否定はしないけれど、それはあまりに手前勝手な言い分、あるいは解釈だと思う。

 確かに話の内容の全文を知りたい聴覚障害者はいる。
 手書きとパソコンの違いが伝えられる情報量にあるというのならば(勿論それで気ではないけれども)、手書きで1分間約60~70字の情報量を上回ればパソコンとしての面目躍如は保たれるといえるだろう。

 しかし、気をつけなければならないことは、情報量が必ずしも伝達量とは直結しないということだ。

 個人の意向を繁栄できるノートテイクと異なり、予め聞いておいた平均的な落とし所で情報量を設定する要約筆記では個人個人のの意向を完全に繁栄できるとはいえない。
 けれども、それを無視していいということでは絶対ない!!

 俺が“親指シフト”に転向したのは、確かに情報量の多さに惹かれたわけだが、それは1分間に多く打てれば打てるほど、心理的な余裕ができ、落ち着いてより聴覚障害者に伝わりやすい要約した文章ができると思ったからで、別に全文入力を目指したかったわけではない。
(勿論聴覚障害者が全文入力を望めば当然こちらとしてもそれに対応しなければならないわけだが)

 ローマ字入力より親指の方がたくさん打てると聞けば転向しそうな人だが、この受講生の真意を聞いていないのでなんとも判断し辛いが、もし単純に「情報量は多い方がいいんだ」と思っているのであれば、正直親指をして欲しいとは思わない。

 というより「もっと聴覚障害者と交流しろ」と言いたい。
 この点が金沢では手話よりチョット劣っているような気がする、残念!!

 「一体自分が誰のためにしているのか」ということをを見失ってしまうようでは、正直要約筆記の存在意義はないだろう。

どれだけ残ることやら…

2005年10月15日 | 活動日記
 要約筆記の基礎講座が終了した。

 受講生もこれから自分たちと同じ立場に立つことになる。

 「やる人は言わなくてもやるし、消える人は消える」と一種諦念の気持ちで構えることはできるければ、それでもヤッパリこれからも続けて欲しいと願う。

 て言うか、俺の方も早くなれよって気もするが…

 でも、なんだかんだ言って、月に一度の定例会だけの練習じゃ少ないよな~
 県外からの講師や、他県の実情を聞いてそう思う。

 ミンナ忙しいと言うのはわかるけど、それを理由にしちゃいかんでしょう。

 なんとかなんね~もんだろうか?
 悩みが尽きないよ、全く。 やれやれ

口下手な俺

2005年10月14日 | 活動日記
 昨日、サークルの定例会があった。

 いよいよ講座を終えて、入ってくるだろう新入部員の対処をどのようにするのかということを議件にして練習そっちのけで話し合った。

 その時、「新人にMLのマナーをどのよう説明するのか?」という件に関して説明を求められたので、前に出て、図まで書いて一生懸命説明したつもりだったが、なかなか伝わらなかった。

 他の人からの応援説明も加わって漸く納得してもらったのだが…

 文献研究会の報告を明日に控えていた俺は帰りの車中で、このことを考えていた。

 つまり、「自分が理解していることが、必ずしも他者が共有しているわけではない」。
 より詳しく述べるなら、「自分が理解したのと同じ過程を、他者に説明しても必ずしもその人が自分と同じように理解してくれるとは限らない」ということか。

 当たり前言われれば、当たり前のような気がするが、その時は正直どうしてわかってもらえないのかが分からなかった。
 また、問題としてるところも微妙にズレてたし。
 まぁ、これは明らかに自分のミスなわけだけれども。

 結局、今日の報告は流れたわけだけど、それまでにより皆に説得できる説明能力のアップがどのようにすればできるのか、今後の課題だ。

 言わなくてもわかってくれるよね~じゃ、これから通用しないんだよ(^-^)

どうすれば?

2005年10月10日 | 活動日記
 講座の実践としては今日でいよいよ終わりだ。
 来週は軽い講義と修了式、懇談会で受講生もいよいよ実践の場に飛び込むことになる(サークルに入ってくれればの話だけど…)。

 正直な感想、「即戦力でいける!」という人は何人かいる。
 俺より入力速度が速い! ていうより俺が遅いだけか…

 今年に入って入力方法を「ローマ字」から「親指シフト」に変えた。
 「要約筆記で入力が速いと言われている人は、皆この親指を使っているから」と聞いたので、変えたのに全然早くなんね~
 最低1分間に約110字ぐらいほしいのに、約30字ぐらい。
 話になんね~よ。

 逆に練習してないローマ字の方が早くなってる。でも普段が親指だからミスタッチも以前と比べて増えてるわけだけど、これってどういうこと? こんなんありえるんか?

 親指だとホントにキーを叩いてて、長時間すると手と肩がガチガチになる。
 入力に余計な力がかかってる証拠だ。
 ホントはキーを滑るようにしなくちゃいけないんだが、これがなかなか、フ~