陽の当たる場所へ

日陰を歩く者は
陽の当たる場所に辿り着くことを夢見て
思考に耽る

この道の彼方に

2006年07月15日 | 徒然なるままに
 6日夜に出発して、7日直接式場に入り、披露宴の終わった夜9時にそのまま帰る。

 披露宴でも親戚から「今日はどうするん?」と聞かれたときに、「そのまま直に金沢に帰るよ」というと呆れていた。

 正直俺も30代半ばなのによくやるよ、と思う。

 広島~金沢間、往復約1500kmの道のり。

 一体何度往復したことだろうか…
 地球を1周するぐらいは走ったと思うが。

 高速を走るとチョッと哲学的な不思議な気分に陥る。
 山の中に気づかれた止まることのない道。
 周囲に明かりなどなく、星空だけがある。
 高々時速100kmでも車に、あるいは道路、自然に溶け込むようなあの感じ。

 広大な宇宙の中で生命として誕生した生物としての人間。
 それだけでも凄いのに車という乗り物を作って移動を可能にする技術も開発した。

 ほんの数百年前、一つ山を越えて隣に行くことさへ大変だったろう。
 まして庶民にとって自分の生まれ育った所は離れて旅することは一生に一度のイベントだったと思う。

 戦国時代、日本という土地は本当に広大だったと思う。
 まだ、見ぬ未開の地を自分の領土に手に入れるため、兵を数十kmの距離進めるのにどれだけ苦労したことだろう。

 たった数百年前のことだ。

 そんな苦労した山道を俺は車という力を借りて数時間で広島から金沢へと移動する。

 人間が生み出す科学力は一体どこから来て、どこへ向かうのだろうか?

 夜の高速は人を哲学者、あるいは詩人にする魅力がある。

あのヒーローと!

2006年07月15日 | 徒然なるままに
 この式場は見晴らしの良い高台にあるので、広島市内を一望することができる。
 金沢から帰る度に変わったなぁ~と感じるが、こうして眺めると本当にそう思う。

 続いて、披露宴。

 挙式同様、披露宴の方もお決まりの進行ではなく、二人がプロデュースしたものだった。
 普段の進行と異なると、何時歓談になるのか把握できないので、新郎・新婦の席に行きたくても行きにくいというのが難点だ。
 スピーチの時は当然駄目なので、仕方なく余興をしている人が盛り上げようと頑張っているの尻目に挨拶に行く。

 朗・婦に挨拶を済ませると、俺は久しぶりに会う、オジ・オバ・イトコ・キョウダイと大はしゃぎ。
 話したいことは山ほどあったが、少ししか話せなかった。
 でも、NZから来た友達の時に書いたが、話せなくても心は満たされていた。

 この披露宴で一番のサプライズは、なんとこの披露宴の為に“ウルトラセブン”が登場したことだった!

 従弟は円谷のショーを行う会社に勤めているのは知っていたが、まさか個人の披露宴為に登場するとは思わなかった。

 しかも、花束を新郎に渡して退場かと思いきや、各テーブルを回って写真撮影までしてくれるという。 超感激!!

 俺のテーブルに来た時、新郎に「ツーショットを撮りたいなぁ~」とボソッと言うと、「別にいいよ」と言ってくれて実現。
 写真はまだ手元にないが一生の宝物だよ。

 最後の段になって、新郎・新婦が手紙を読み上げ各テーブルへ礼をしに回る。

 俺は従弟の家族の家に始終遊びに行ったり泊まりに行ったりして、ここの兄弟(3人兄弟)と仲が良かったので、席が家族席に割り当てられていた。

 二人が俺の、というより家族席のテーブルで見せた感謝の礼は他のテーブルの会釈程度のお辞儀とは全く異なるものだった。

 家族でいかに支えあってきたかが分かった。

 そういう幸せな気持ちを胸に抱いて、式場からそのまま山陽道に入り、一路金沢への帰途へついた。

人前式を馬鹿にしていたけれど…

2006年07月15日 | 徒然なるままに
 梅雨真っ只中。うだる様な暑さ。まとわりつく汗。
 貧乏な俺はクーラーと無縁な毎日。 ホント、どうにかならんもんか。
 皆さんも、厚いからといってクーラーをガンガン効かせたり、食欲不振に陥らないよう気をつけて。
 貧乏なのに食欲だけはあるんだよね、俺。

 さて先週7月7日(金)、従弟の結婚式に出席した。
 ご存知のように俺の出身は広島なので、木曜日午後21時半にノートテイクが終わるとそのまま広島に向け出発。
 前に書いたように3月の時点でもう車で広島に帰ることなんてないと思ってたんだけどね~

 挙式や披露宴の内容は一々書かないので、感じたことをチョッと。

 今回の従弟の挙式は“人前式”で行われた。
 ここ最近といっても結構前から行われてきたが、正直俺は人前式という形式は認めていなかった。

 なら“神前”ならいいのか?
 別にそうも思っていない。

 結婚という儀式を神聖化しているわけでもないし、神様を否定しているわけでもない。
 ただ、入学式、卒業式、成人式にしろ、“式”なんて所詮形式に過ぎない。
 これに参加しなかったからといって、入学・卒業・成人できないわけでもない。

 大切なのは「見ている人、参加している人の心にどのような感動を与えるか」だと思う。

 神前式は確かに形式ばってはいるけれども、「結婚おめでとう!」という状態にトランスさせてくれる時間と空間を用意させてくれている点で自分はそれなりに評価している。

 ただ、これまで自分が出席した数少ない人前式ではそれを感じたことがない。
 あっという間に始まり、あっという間に終わり、「だから何?」という印象しか残らない。

 けれど今回の従弟の人前式は本当に感動した。
 これは別に身内だからというわけではない。
 確かに小さい頃から見て遊んできたあの子がとうとう結婚するのか、という感慨深いものがあるのも事実だけれども、今回の式は評価できる。

 まず、人前式といっても、場所に式場内にある教会を使うことで日常生活の時間と空間を切り離したこと。

 普段なら神父として参加しているであろう人を“司会者”という立場で式を進行させたこと。

 人前式といっても、宣誓書、指輪の交換、誓いのキスなどの基本的なことは行い、その上で人前式らしい儀式も加えていること。

 これらの要素が、二人の挙式に参加した俺を本当に感動させ、心からおめでとうと思わせるものにした。

 友人が進行し、周囲で囃し立てて終わるというような人前式とは明らかに一線を画すものがこの式にはあった。

 おめでとう!