陽の当たる場所へ

日陰を歩く者は
陽の当たる場所に辿り着くことを夢見て
思考に耽る

次の幸せはいつに

2006年04月29日 | 徒然なるままに
 昔読んだ漫画に忘れなれない言葉がある。

 “幸福の量は常に一定”というものだ。

 それは幸せな人もいれば、不幸せな人もいるという意味ではなく、一人の人間が人生の中で感じる幸福の量が一定なんだというもの。

 昨年度、修論作成と父さんの病気の心配、実家の土木の苦労で修了という幸せが訪れたのか。
 それとも修了という幸せが俺にあったから、こういう不幸せが俺にきたのか。

 両親も俺がやっていけてるのかどうかを心配しているだろうから、会社に入ったことを母にメールで伝えた。
 母さんから喜んで「俺に頑張っていきんさい」という返事が返ってきた。

 これでうまくいくと思った。
 その矢先でこれだ。

 当然、親に伝えることなんかできるわけがない。
 これ以上、俺のことで心配をかけるようなことをしたくない。

 ただ、姉ちゃんにだけは会社を辞めたこと伝えた。
 姉は俺がそうやって決めたんならもう仕方ないけど、どうして理由を説明して休ませてもらわんかったんか、なんで我慢して続けんかったんか、その方が俺にとって良かったと思うよと言った。

 「これからどうしたいんかゆっくり休んで考えんさい」と約1時間ぐらい話して終わった。

 話し終えると大分気が楽になった。

 この度仕事を辞めることになったことを昨日ハローワークの知人とサークルの友人、大学院の先輩・先生に話した。
 皆、自分のことを心配してくれて本当に申し訳なくかんじた。
 その一方で1週間も経たん内に辞めたという事実が、実際にそう思っているかどうかは別として、俺のことを“情けない奴だ”と思われてるかもしれないという気にもさせた。
 それが嫌だった。

 どんなに俺のことを親身になって心配してくれる人じゃっていうても、やっぱり肉親の持つ安心感には超えられんもんがある。

 立ったり、座ったり、寝たりと休みながら入力しとるけど、自分の身体的な状態と精神的な状態はこんな感じです。

情けない

2006年04月29日 | 仕事日記
 この1週間は展開が速すぎて本当に大変でした。
 結果から言うと、情けないですが会社を辞めてしまいました。
 そうなるまでの経過を綴っていきます。

21日(金)
 今日から仕事。朝7時までに会社に行くため、5時起き。
 そのため早くに布団に入るが緊張して眠れず、寝不足のまま仕事に。
 フラフラになりながら、何もかもが新しい仕事の内容を一生懸命覚えようとするが、最初から全てうまくいくわけもなく疲労だけが溜まる。

 22、24、25日ときて、利用者の状況や仕事の大まかな流れを把握できるようになってきた。
 職場も自分と割りと近い年代の人が多いので楽しい。

 介護の仕事も正直自分にできるんかいなと思っていたけど、ボランティアではなく“仕事”である以上どんなことであろうとするというのを、これまでの仕事で叩き込まれたせいか別段問題もなくこなすことができた。

 ただ、土木にしろ、講師だったにしろ、すればするだけ何かを作り上げる、成長させることができるという喜びがここにはなく、今ある能力をできるだけ残そうとする努力に少しばかりの虚しさを感じたのは事実だ。

 達成感としては同じなのかもしれないが、自分の中ではそこは入って初めて気づいたがっかりした部分であった。

26日(火)
 朝食のために利用者さんを車椅子に乗せようとして、いきなりだった。
 背中に激痛が走り、痛みが襲う。
 シップを張ってもらいその日は我慢してなんとか仕事を続ける。
 仕事中は気が張っていたのでどうにかなったが、車で帰る時は凄く痛かった。
 帰りに寄った店で買い物をする時も足に力が入らない。
 明日は仕事が休みなんで一日様子をみることにする。

27日(水)
 朝起きても身体の痛みはとれない。
 お金がないから正直病院にかかりたくない。
 でも、ここであいまいにやり過ごしてうやむやで仕事を続けたら、父さんのようにいつか取り返しのつかんことになるかもしれんので病院にいく。

 整形→形成→循環器→内科とたらい回しにされ、血液、心電図、レントゲン、CT、胃カメラといろんな検査をすることになった。

 自分としては健康に気を使って他の人とは違い、壮健なんだと言い聞かせてきたが、俺の知らない内に身体の歪は大きくなり、ホンのチョッとしたきっかけで爆発した。

 出された結果は最悪。マジで悩む。
 入ってまだ4日しか経っていない。しかもトライアルだから身分はバイトに近い。
 正規ならチョッと休養ということもできるが、入って4日でいきなり身体を痛めたから休ませてとは言いづらい。

 また、会社として病人を抱えることがどれだけ面倒なことなのかということをよく知ってる。
 ここは実家と違い大きな組織だから別に問題ないのかもしれないが、会社に迷惑をかけるということに対して染み付いた心根がそういう状況に自分を追いやることを許せない。

 また、腰は普通の病気とは違い、完治して終わりというものではない。
 どんなに気をつけても元には戻らない。
 土木という職業柄、腰を痛めて酷い状態の人をたくさん見てきた。
 今無理をして騙し騙し仕事を続けてたしても、自分もそうなるかもしれないという危険性が高い確率で付きまとう。

 福祉でやっていきたい。でも身体も大事だ。
 悩んだ末、将来的なことを考え、今後約30年働くこと以上身体をとることにした。

 夕方、会社にそういう事情なんで「ここあがりたい」という旨を伝える。
 行きの車中でもそうだったが、帰りの車中でも自分が凄い情けなかった。
 たった4日で仕事を辞める。惨めだった。
 俺に合う仕事を探してくれたハローワークの知人の努力を無駄にする行為だった。

 そういうことなんで現状として、今なにもすることができず、ひたすら身体が回復するのを待つ状態。

450円の幸せ

2006年04月20日 | 食べ物日記
 皆さんもご存知の通り、介護職の給与はかなり厳しい。

 自分が就職したところは金沢でも割りと条件が良い方だが、それでもこれまで以上に出費を抑える必要がある。

 だからといって、日々の生活を味気ないものにする必要はない。

 高いものが美味しいのは確かに事実ではあるけれども、安くても美味しいものもある。

 ツタヤ金沢店に寄ると“das bitte”という出店が来ていた。
(曜日によって方々回っているらしい)

 朝にチコッと食べただけで、お腹も減っていたし“バーベキューピタサンド”というものを注文することにした。

 そしたら豚肉とキャベツをバーベキュー味で炒めたものが詰まりに詰まった具沢山のサンドが出てきた。

 味も美味しい。

 これで450円というのなら納得の値段だ。

 安くても“口福”は得られるし、口福は“幸福”につながるということだ。

この道はどこまで続くのか…

2006年04月20日 | 徒然なるままに
 『フライ、ダディ、フライ』に影響されたのかどうかはわからないが、ジョギングを始めた。

 今日はあいにくの雨のなのでできそうもないが、一応3日間は続いた。

 約30分を目処に行って帰れる距離を走って(途中歩くことも)いる。
 正直、足はパンパンで走り出してお腹が痛くなり、ヘロヘロだ。

 まだ、犀川沿いにある桜は満開だし、散った花びらが道を桜色に染めているので、ジョギングにはもってこいだ。

 体に負担をかけずに全身運動をするのには水泳が良いといわれているけれども、四季折々の景色を楽しめるという点ではジョギングも満更ではない。

 いつまで続くかどうかはわからないが無理せずゆっくりすることにしよう。

自分に合う職

2006年04月20日 | 仕事日記
 漸く仕事が決まった。
 なんか決まる時はアッという間だった。

 ハローワークで自分の担当だった人が電話の感触で「ここは大丈夫なんじゃない」と言っていたが、実際その通りになった。

 決まった職業は“介護職”で特別養護老人ホーム。

 最近、景気が回復、雇用状況も変わり売り手市場らしい。
 自分が「職がなかなか見つからなくて」というと、上の理由を根拠に大丈夫だと言われた。

 確かに20代の新卒ならばそうかもしれない。
 しかし、30代という年齢の壁は厚い。

 それに初職というわけではない。
 また、これまでの活動や経験、人間関係が邪魔をする。

 特に「他者から見られている自分」というものを意識することによって、行為に及ぼす影響は非常に強い。

 自分としては「もっと違う職業を」と考えていても、他者からの眼差しがそれを許さない。

 夫のサラリーが下がり経済的には困窮しているのに、生活水準を下げることを恐れサラ金に走る主婦と同じだ。
 他者からの評価が下がることがもっとも怖いのだ。

 ヘルパー2級を取得し、修論のテーマも障害者だった。
 作業職は親の元から出て弟に任せた手前、選択肢から強制的に除外された。
 介護だけに的を絞って探したわけではないけれども、必然的にメインは介護になっていった。

 でも、「本当に介護をメインにしていいのか?」と朝起きるといつも不安だった。
 「これは俺に本当に向いているのか?」と自問自答した。
 その都度、もっと他の職がないのかとネット検索で調べた。

 いざ、ここに職が決まった後もそうだった。

 正直言って、介護が自分に合っているのかどうかは実際にやってみなければわからない。
 けど、やるしかない。

 これから職を探そうと思っている人は、「自分が一体何をしたいのか」深く考えてほしい。

今年もまた咲いたよ

2006年04月16日 | 徒然なるままに
 花見をした。

 まぁ、花見という名の飲み会じゃけど、ここ最近の職探して鬱屈した気分を晴らすことはできた。

 ただ、金沢は生憎の雨。
 かなり鬱陶しい。

 待ち合わせの石川門に行き、予約した店に行くまで兼六園の中を通って行く。

 桜の咲くこの時期兼六園は無料開放し、ライトアップされている。

 雨だというにも関わらず、園内は人でいっぱい。

 全国各地に桜の名所はあるけど、兼六園もなかなか。

 何万本も桜が連なっとってそれに圧巻されるんもええけど、兼六園のようにポツポツとあってそこをライトで照らしだすというのも、その一本を見入ることができていいね。

 桜は本当に不思議じゃね。

 ごっつい無骨な幹や枝にどうしてあんな花が咲くんかという感じで。

 でも、この非対称じゃけん、心に惹かれるんかも。

早よせんと!

2006年04月16日 | 仕事日記
 一昨年、大学院の学費や生活費を稼ぐために、やっぱり仕事を探したわけじゃけど、今回もやっぱり同じじゃね。
 なんかエラいエネルギー使う。

 なかなか決まらんと本当に精神衛生上よくないよ。

 折角、良い条件だと思って、ここにアポを取ってもらおうとお願いしても、電話の応対で面接すらしてくれんというやり取りを見るのはかなり凹む。
 まだ、自分で電話せん分、気が楽ではあるけど。

 せめて断る理由ぐらい教えてほしい。
 でないとどんなんが実質的に俺の問題点なんかがわからんし、同じような職種と条件の場合、次の戦略もたてづらい。

 職を探すにあたって、一番の問題は俺が「一つの職場の面接が終わって、結果がでるまで次の面接にいこうとせん」こと。

 別に、どんどん受けて、採用された所に行けばいいような気もするけど、複数受かってたらということを考えるとなかなか踏ん切りがつかん。

 折角面接してくれて採用してくれたのに、断るっていうのは向こうに申し訳ない気がするし。
 そこに義理があるわけじゃないけど、俺を認めて採ってくれたという恩を感じるんかな。

 採用の結果が即日にでるわけじゃないんで、その間待っとくしかない。
 そうするとどんどん日にちは過ぎてってアッという間に4月も半ば。

 本当に早く決めんと、焦る気持ちがどんどん湧いてくる。

大切なものを守りたいんだろ…

2006年04月11日 | 映画日記
 映画『フライ、ダディー、フライ』をDVDで観る。

 最初のモノクロは正直映像としてかなりイライラさせる。
 それ以外は親子愛、学校、夏、お祭り事、スポコン等々いろんな要素が入っているんで、客観的な評価としてはイマイチかもしれないが、自分的にはかなり感動できる面白いモノだった。

 主演の岡田は、この映画の少し前に『東京タワー』に出てたわけだが、この映画の役どころもピッタリという感じだった。

 岡田の演じる朴が時折言う深いセリフがいくつも胸に突き刺さり、印象深く残る。

 「恐怖の先にあるものを見たくないのか?」
 「早く強くって俺を守ってくれ」
 「勝つのは簡単だ、大切なのはその先にあるものだ」

 朴の突き付ける問いかけに自分ならどんな答えを出すのか…

 他にも、アホなことばっかしとった学生時代と、落ち着き始めた今。
 これからどんな大人になっくのやら。

The West Wing 2-① 

2006年04月11日 | TV日記
 ビデオ屋に行くと、いつの間にでたのやら『ホワイトハウス』のセカンドシーズンがでていたので、早速1巻だけ借りた。

 内容はファーストのラストの続きからでその後の一日を描いたモノだった。

 この卷の見どころは二つ。
 一つは、大統領選に出馬しているバートレットが支持者から、「自分たちの利益を削減する政策に投票したのか?」問われたことに対して返答するシーン。

 この演説を聞いて、まだ対立候補の選挙スタッフだったジョシュはバートレットの下に行く決心をする。

 二つ目は、ジョシュがサムを呼びに行くシーン。

 特に二つ目のシーンは感動。
 弁護士として自分の仕事に疑問を抱いていたサムが大事な会議の最中に現れたジョシュの顔を見て、職をほっぽりだしてジョシュとバートレットに行くのは爽快な気持ちにさせてくれる。

 このドラマはいつもいろんな意味で考えさせられる。

 前の記事でも書いたように組織の運営というのはなかなか難しい。
 特にそこに対して自分が納得できなければ、さらに辛くなる。

 そんな時に、バートレットのように人を引きつけるトップがいてくれればいいのにと思う。
 そんな人がいてくれたら、自分も全力を尽くして組織運営に取り組むんだが。

 でも、結局そんなヒーローは現れはしないんで現状で我慢するしかない。

 あるいは、もう一つの道として、「俺自身がバートレットになる」という選択もあるわけだが、なかなかねぇ~

組織と活動の間で

2006年04月11日 | 活動日記
 要約筆記サークルの定期総会があり、自分は司会と議長を担当することになった。

 小さいサークルだからといって、皆がまとまっているかというそうでもない。
 皆が皆、個人的な考えに基づいてよりサークルをよくしようという思いがあるので、議事はもめにもめた。

 特に普通の議事とは異なり、難聴者も参加しているので、彼らに情報保障をしながらの進行を心掛けないといけない。
 そのため、皆が好き勝手に意見を言うのではなく、一人一人順番を待って意見を言うようにさせなければならない。

 また、とりとめもなく出された意見を、皆が理解できるようにまとめたり、採決をしたりと、苦労も並大抵のモノではない。

 どうにかこうにう成立し、無事に終わったわけだがなかなか…

 これじゃ新しく入った部員が続かないわけだ。
 聴覚障害者の為に活動をしようと思っても、わざわざこんな複雑な組織や人間関係の中に入ろうなんて物好きはおらんて。

 帰りに寄った本屋で知り合いのろう男性がいた。
 どうやら娘さんのお守りらしい。
 最初は本を買って帰るつもりだったのだが、ゲーム機の順番待ちをしている娘さんの後ろで暇そうにしている彼を見て、話をすることにした。

 2週間前にも、借りていたビデオを返したついでにカレー屋に寄ると、後から別のろう男性がやってきた。
 夜の7時台だったので、客が多く、彼はお店の人に注文をし辛そうだったので代わりにすることにした。

 手話ができるできないに関わらず、聴覚障害というものがどんなものなのか知っているということが、こういう日常の何気ない場面で発揮する。

 自分たちがしていこうとすることは、こんな日常生活で彼らとともに歩んでいくことなのに、そこに組織が絡んでくると途端にことは複雑になり、やる気をなくし、消えていく。

 障害者のために…なんて耳障りの良い綺麗なフレーズで障害者運動を促進しているが、実際はなかなか。

 よっぽどの覚悟がないとできん世界じゃわいね。