熊じぃの戯言

感じるままに、どのジャンルの話にも頭を突っ込んで書いています。

吉武監督とは・・・。

2013-11-01 07:20:49 | 日本代表


大分の人で、大概の人なら「吉武監督を知っている」はずである。

大分県サッカー界に大きく影響している人物で、永井や三浦や清武も育てた先生である。

今回のUAEでのU-17の試合をTVで見せていただいて、恐ろしく先見の明がある方で世界の最先端を行く人物だと、関心させられた。

2013大会はお疲れ様でした。 これからの発展を祈っております。



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2013年10月31日 18:59 (SOCCER KING)

U-17代表、謎の名将吉武監督は何者か…世界を驚かす吉武マジックとは







 2011年メキシコU-17ワールドカップベスト8、今回のUAE U-17W杯では史上初のグループリーグ全勝突破で、ベスト16。


 この2チームを率いたのが、吉武博文監督。若き日本代表を躍進に導いた張本人だ。


 彼は現役時代に輝かしい実績があったわけではない。元日本代表でもないし、高校サッカーのスター選手でも、日本リーグの選手でもない。しかし、そんな彼が今や育成年代をけん引する存在になっている。


 大分で生まれ育った彼は、地元の進学校でサッカーに打ち込み、インターハイに出場。しかし、「ドリブラーでパスを出せなかった。『パス出せ!』と言われてでも出せない。だから、レベルの高い選手とやると、サッカーが面白くないと感じた」という自身の経験から、「だったら、15、16歳までの間に、そういうものはすべて整っていないといけない。もっともっと宝物を持たせて、次(の指導者)に渡していかないといけない」と、自然と指導者を志すようになったという。


「ヨハン・クライフの時代のオランダに大きく影響を受けた」。


 1970年代のオランダのトータルフットボールに魅了されたことも大きく、より高い技術を全員で組み合わせて、組織的に戦うサッカーを趣向。指導者としての信念として、これまで貫いてきた。


 大分大学卒業後、地元の明野中で数学教師として教鞭をとりながら、モダンサッカーをチームに植え付けた。個にフォーカスを当てた指導で、チームを全国中学校サッカー大会で優勝させると、永井秀樹、三浦淳寛という選手を輩出した。


 そして、こうした実績が評価され、教鞭をとりながらも大分トリニータジュニアユースの立ち上げから10年間指導し、清武弘嗣らを輩出。ナショナルトレセンコーチも歴任するなど、指導者としての実績を積み上げ、2006年に教師を辞め、日本サッカー協会と契約した。


「世界に通用する選手を育てたい」。


 教師時代から変わらぬ信念を持ち、それが大分、九州から、日本全国の中学生、高校生たちが対象になっていった。だからといって、自分の価値観、コンセプトを変えることはなかった。


 コツコツと積み上げてきたからこそ、為し得た2大会連続のU-17W杯出場。ベスト8、ベスト16と結果は違えど、自分の信念を変えずにやってきた。それはこれからも変わらない。吉武スタイルは、今回の経験によりさらに深くなった。2年後、さらに進化した98ジャパンを取材することを、今から期待をしている。


文●安藤隆人



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