熊じぃの戯言

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高梨沙羅 初代女王を目指して

2014-01-24 18:58:51 | サッカー全般


まもなくソチオリンピックが開催される。 その中で一番金メダルに近い所にいるのが女子ジャンプの高梨沙羅選手である。

その高梨選手の最大のライバルが米国のサラ・ヘンドリクソン(19)選手であり、彼女が故障から復帰してオリンピックに合わせてきている。

そのサラ選手を高梨は復帰を歓迎しているのが素晴らしい。


以下、関係する記事を見ていただきたい。



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 ◇沙羅の“最大のライバル”サラ、米国代表に選出!/ジャンプ


 昨季のノルディックスキー世界選手権女子ジャンプ金メダリストで、W杯通算13勝のサラ・ヘンドリクソン(19)=米国=が22日(日本時間23日)、ソチ五輪の米国代表に選出された。金メダルが期待される日本のエース、高梨沙羅(17)=クラレ=との五輪での対決が現実のものとなった。

 ヘンドリクソンは昨年8月、練習中に転倒して右膝の前十字靱帯(じんたい)などを損傷。修復手術を受け、1日6~8時間のリハビリを行ってきた。今月中旬からコーチ、医療スタッフの指導の下で練習を再開。「心配はなくなった。膝の状態はとてもいい」と手応えを見せていた。

 「モチベーションが上がる。同じ舞台で同じ試合に出られるのは幸せ」。高梨もヘンドリクソンの復帰を大いに歓迎。女子ジャンプが初採用となったソチ五輪。初代女王の座をかけ、トップ2が大舞台で激突する。

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 ◇女子ジャンプの歴史を背負って 高梨沙羅  Number より


開幕まで僅かとなったソチ五輪。新種目、スキー・ジャンプ女子で
金メダル候補として期待を集める17歳の天才少女・高梨沙羅。
エース誕生の背景には、女子ジャンプの苦難の歴史があった。


今回はNumber843号に掲載した高梨選手の記事を全文公開します。


 待ちに待った日が、1日、1日と近づいている。そしてその日を待っていたのは、彼女だけではない――。

 2014年2月7日に開幕するソチ五輪では、いくつかの新種目が採用される。中でも、スキー・ジャンプの女子は、今日、日本で注目を集めつつある。その中心にいるのが、17歳の高梨沙羅である。

 これまでの成績を考えれば、不思議はない。

 中学1年生にして日本代表となった高梨は、中学3年生だった2011-2012年のシーズンにはワールドカップで初優勝。2012-2013年にはワールドカップで総合優勝を飾る。しかも、計17大会中、優勝は8回、表彰台に上がった回数は実に14回を数えた。さらに世界選手権でも銀メダルを獲得している。

 どの大会でも、と言っていいほど他を圧倒する飛距離をマークすることが生むインパクトの強さと、日本ジャンプ界にあって突出した存在感。必然、ひとつの質問を呼ぶ。


浮ついたところを見せず、基本を大切にし続けた。



高梨沙羅 Sara Takanashi
1996年10月8日、北海道生まれ。上川小2年でジャンプを始める。'12年3月のW杯蔵王大会で日本史上最年少で優勝。昨季は1月の世界ジュニア選手権個人で2連覇。W杯では8勝で史上最年少の個人総合優勝。152cm、45kg。

――なぜそんなに飛べるのか?

「基本を大切にしてきたからだと思います。やっぱり基本をずっと頭に置いて練習してきたので、ちょっと悪くなったら、その基本に戻ればいいということです」

 多くの指導者が語るように、技術の高さはむろん、小学2年生でジャンプを始めてからの足取りをつぶさに見れば、強さを裏付ける事実には事欠かない。

 例えば、2011年、ソチ五輪での採用が決まって以降、高梨には、ことあるごとにこんな質問が飛んだ。

「ソチの目標は?」

 そのたびに、答えた。

「オリンピックよりも、まずは目の前の大会を頑張ります」

 将来の目標を思い描くよりも、ひとつひとつを大切にしていきたいという姿勢がそこにうかがえる。決して浮ついたところを見せてこなかった。


インターナショナルスクールで発揮した類希な集中力。

 中学を卒業後、高梨は旭川市内にある「グレースマウンテンインターナショナルスクール」に進学した。数々の海外遠征の中で英語の重要性を感じたことから、英語教育で定評のある同スクールを選んだという。

 そこにも高梨の着実さが感じられるが、驚くべきは、その後のことだ。入学して4カ月後の8月28日、高校卒業程度認定試験に合格したのである。この試験は、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があるかどうかを認定するための試験である。合格者には大学・短大・専門学校の受験資格が与えられる。

 このインターナショナルスクールは、卒業しても大学を受験する資格は得られないために必要だった資格だが、わずか4カ月で高校3年間で習得すべき学業のレベルに達したことを意味する。

 しかも、入学してから試験のあった8月の初旬まで毎日学校に通うことができたわけではない。遠征に出ている日も少なからずある中で合格したのである。


「朝5時半に家を出て、1日11時間くらい勉強しました」

「11月にも試験があったから、8月に落ちた教科はそこで受けようと思っていたのに、全部受かってしまってびっくりでした」

 自ら驚きを見せつつ、勉強方法について明かした。

「朝の5時半には家を出て始発電車に乗って、電車の中でも勉強をやったりして、1日11時間くらいは勉強していました」

 淡々と語るが、その集中力の高さは、勉強のみならず、練習への姿勢をも支えている。

 金メダル最有力候補と期待が集まる高梨の実力はこういった集中力に支えられている。


選手と関係者の思いに込められた女子ジャンプの歴史。

 世界のトップを争う選手となった高梨は、一歩一歩階段を上がり、オリンピックシーズンを迎えた。いよいよ目の前に、オリンピックが捉えられたのである。

 その晴れ舞台を待っているのは、高梨だけではない。女子の選手や関係者の誰もが、特別な思いをもって、ソチを迎えようとしている。その思いには、女子ジャンプの歴史が込められている。

 実は20年と少し前まで、日本に女子選手は皆無だった。誰一人いなかったのである。


「子どもができなくなる」と言われた偏見を乗り越えて。

 その中で、一人の中学生が、伝統ある大会のひとつから許可を得て、出場を果たした。山田いずみという。女性ジャンパーの第1号が誕生したのである。

 しかし山田は、多くの困難を味わうことになる。今日からすれば考えにくいが、女性が飛ぶことなど思いもよらない時代だったからだ。当時の目線は、山田の次の言葉が象徴している。

「『女の子がジャンプなんかしていたら、将来、子どもができなくなる』とか平気で言っているような時代でしたから」

 山田に続くように、少しずつ女子選手が現れ始めた。しかし彼女たちは苦しみ続けた。容易に消えない偏見、その結果、出場を許される大会は少なく、競技を続けることへの理解もなければ環境もみつからない……。その中にあって、山田を筆頭に“フライングガールズ”は競技を続けてきた。

 中には首を骨折しながら復帰した選手がいれば、居酒屋でアルバイトしながらほぼ徹夜で国際大会に臨まなければいけない選手もいた。そんな頑張りが、少しずつ支援を増やしてきた。彼女たちが望んでいたのは、五輪種目への採用であった。大きな目標ができる意味はむろん、注目を集めることは競技の地位を引き上げる機会にもなる。


第一人者の山田いずみは挫折を糧に指導者の道へ。

 だからこそ、ソチ五輪は、女子ジャンプに携わるすべての人々にとって、待ち続けていた日でもある。

 高梨が、これまでに何度も口にしてきた言葉がある。

「先輩の方々のおかげで」

 年長の選手たちがどのように競技の基盤を築いていったかを知るからこそだった。

 2009年に引退した山田いずみは、今シーズン、コーチとしてナショナルチームに戻ってきた。また、高梨のプライベートコーチにも就任した。山田は、メダルを期待された'09年の世界選手権で不振に終わったことに触れつつ、こう語る。

「今はあそこで失敗してよかったなと。いろいろな挫折はありましたけれど、要所要所でいい成績を残し続けてきたので、最後もかっこよく終わっていたら、こうして指導者になったとき、うまく教えられなかったんじゃないかなと。大きく考えると、あのときの失敗は必要だったんじゃないかと思います」


重圧を誰よりも理解する山田とともに、世界一へ。 

 思い入れが強すぎたのが失敗だったという。だからこそ、五輪の大舞台に挑む選手のためになるのは、どんなに周囲が浮き足立っても、「自分が変わらないでいること」と考えている。

 高梨にもきっとプレッシャーはかかるだろう。その重圧を誰よりも理解できる山田がコーチになったのは強力なバックアップとなる。

 パイオニアと呼ぶにふさわしい山田を筆頭とする多くの選手たちの足跡は、これからも語り継がれていく歴史であり、これから積み重ねられていく未来への土台でもある。

 シーズン開幕に向けて、高梨はこう語っていた。

「2012年はジャンプスーツとか、スキー板の長さのルールがかわって、飛ぶこと自体にけっこう変化があったんですけど、2013年はそういう変化はないですし、しっかり自分がレベルをあげていけばいいことだと思います」

 この言葉の通り、2013年夏の国際大会では総合優勝を果たすなど、着実に進んできた高梨沙羅、そして日本代表の選手たちは、競技が行なわれる2月11日、どのようなジャンプを世界に見せるだろうか。

 それは日本の女子ジャンプの明日への第一歩でもある。

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今回のソチから女子のジャンプが採用される関係から、男子はノーマルヒル個人、ラージヒル個人、ラージヒル団体の3種目があるが、女子はノーマルヒル個人しかない。
それだけにたった1個の金メダルを掛けての戦いである。そのための準備はやってきた。

あとは2月11日の試合で優勝することのみである。高梨選手には最高のコーチ山田いずみがついており、酸いも甘いも知り尽くしたコーチである。

関係者の期待を胸に思い切ってジャンプしてもらいたい。


高梨沙羅選手 期待しています。 




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