1960年代生まれ、の音楽のメモ。

あの時観た映像や好きな音楽をクリップしておくブログ。

「どうにもならないこと」と「何をしてもいいのだと考えること」。

2017-06-07 21:20:42 | その他
どうにもならないことってある。どうしても欲しいもの、どうしてもアピールしたい人(相手)、則を超えてでも、ということはありますよね。
Can't Stop Fallin' in Love
もしも雪なら

それを、“当事者”ではない“赤の他人”が非難し吊し上げる気持ちはわからない。どうにもならなかった人を“無関係の他人”が指弾することを是とする価値観もわからない。もし自分がそうなってしまったら、とは思わないのか。森羅万象、自分は絶対「安全地帯」に居ると言えるの?
なんで赤の他人が「許さない」なんて言う?

そのことと、「自分がよければ他はどうなってもいいと考える」「『自分(の感情)以外はぜんぶ無視して振る舞って良い』を前提として生きる」ことは全然違う。

「自分は嫌なことはされたら怒るけど、自分以外には何をしてもいい」という世界観は、「“当事者”に何を無理強いしてよい」という価値観である。どんな事柄についても、当事者・当人・個人は、意志を持ち、感情を持ち、尊厳を持って生き(てい)るのであって、それを侵害することを是とする価値観(前提とする世界観)は受け入れられない。と言って言い方が堅苦しければ、“当事者”は、当然に「侵害」に反発し、これを止めさせようと動く。当たり前だ(←黙って受け入れる人が居たら、その人はお人好し?悪い言い方で言うところの博愛主義者?)。
そして、反発されてうわぁ~ん!と喚く/怒る人が居たら、反発を恨む人が居たら、その人は、自分で自分がわかっていないということだ、幼児性万能感のように。幼児ならきっと、多くの人は許してくれる。子供なら、注意される。大人なら、「反撃」されるかもしれない。(ところで、子供と大人の境目はどこ?幼児と子供の境目はどこ?※)

Perspective
(他)人の意思を無視して我欲を押し付ける(強要する)行為/人
欲望や恨みを、「面倒をみるよ」と言っていない他人に押し付ける行為/人
従属物と尊厳

※ただし、子供扱いされる者は、子ども扱いされる部分において、責任も負わないかわりに、責任を負わない部分において、権利も主張出来ない(何をされても受け入れるべき、と言っているのではない。何をしてもいいわけではない、と言っている)。


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