オーマイセレクション

オーマイニュースアーカイブ 一時避難サイト

児童雑誌「赤い鳥」復刻版の愉しみ 90年前のメディア・ムーブメントへの再評価

2009-04-22 23:12:01 | カルチャーnews
2009-04-02
 
 かつて、新しいムーブメントを日本で起こそうとした男がいた。その男とは、児童雑誌「赤い鳥」を創刊した鈴木三重吉である。

 彼は「世俗的な下卑た子どもの読み物を排除して、子どもの純性を保全開発する」という理想を掲げ、損得抜きでその思いを形にするために半生をかけて奮闘した。

 最近、そんな雑誌「赤い鳥」の復刻版を手にする機会があり、はまってしまった。復刻版は、当時と同じように再現するため、印刷方法や紙質までこだわって製本されている。これは当時のデータがすべて残っていたからできたことだろう。「赤い鳥」をよみがえらせようとした人たちの熱い思いも感じられる。

 雑誌「赤い鳥」は、大正デモクラシーの気運と印刷技術の発達、教育向上による識字率の高まりの中、1918(大正7)年に生まれた。ちなみに夏目漱石の門下生だった鈴木三重吉が私財を投じて作った「赤い鳥」の雑誌社は、ベンチャービジネスのはしりともいえるだろう。

 創刊当初は、有名な作家の賛同を得て、芸術性の高い新しい雑誌を子どもたちのために送り出そうと試みていた。かかわった作家は、芥川龍之介や有島武郎、泉鏡花、野上弥生子、菊池寛、谷崎潤一郎、小川未明、北原白秋などなど、そうそうたるメンバーだった。

「赤い鳥」の中から生まれた作品の代表作といえば、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」「杜子春」や新美南吉の「ごんぎつね」、有島武郎の「一房の葡萄」などが有名である。

実をいうと私は学生時代、「赤い鳥」が好きではなかった。子どもに対する理想ばかりが高く、高尚すぎるのではないか、という先入観が強かったからだ。

 実際のところ、「赤い鳥」世代の祖母に話を聞いても、子どものころ楽しんで読んでいた雑誌といえば、三重吉が俗っぽいと非難していた人気雑誌「少年倶楽部」(講談社)だったという。調べてみると雑誌「赤い鳥」は、当時のほかの雑誌に比べると発行部数も読者数も少なかったそうだ。

 また「赤い鳥」は、採算度外視の経営だったので、常に火の車状態だった。最初のころは、鳴り物入りの作家の作品が多く掲載されて注目されていたものの、後半は三重吉が作品を何本も書き、子どもたちによる「綴り方」(生活の中で体験したことを作文にしたもの)や「自由詩」などの読者投稿へ重点を置いていった。

 1929(昭和4)年には、関東大震災から続く昭和恐慌をうけてついに休刊となる。しかし、2年後の1932(昭和6)年には復活、そして、三重吉の亡くなる1936(昭和11)年まで、トータルすると16年間の間に196冊を発行した。ただし、最後まで雑誌経営は厳しかったようだ。

 雑誌「赤い鳥」の復刻版を手にすると、当時の人たちの息遣いまでもが感じられてくる。私をとりこにした魅力はそこにあった。

 雑誌「赤い鳥」の中から抜粋され書籍になった作品も多くあるが、そんな作品でも、雑誌形態の中で読むのと独立した書籍の形で読むのとでは印象がまったく違った。点ではなく集合体としてみることで初めて気づいた面白さ、そして深さを知った。これは時代を反映する総合的なメディアならではなのだろう。

 雑誌「赤い鳥」は、作品のみならず「編集後記」での三重吉のコメントや読者からのお便り、童話の挿絵やレイアウト、デザイン、広告なども興味深い。三重吉が力を入れていた「綴り方」では、子どもたちが書いた作文により、当時の子どもたちの生活の様子から当時の子どもの文章力なども知ることができる。

 雑誌「赤い鳥」は、今や貴重な文化遺産だ。

 鈴木三重吉がなしえた雑誌「赤い鳥」というムーブメントの評価は、時代とともに変遷し、今もなお新たに読み解こうとされ続けている。思えば、歴史的評価とは、その時代の価値観により左右され「形」として残れば永続的に評価され続けるものなのだ。90年たった今でも「赤い鳥」の時代的意味は断言されていない。

 なお「赤い鳥」復刻版は、大きな図書館や専門図書館である大阪府立国際図書館や国際子ども図書館 などで見ることができる。チャンスがあったら、ぜひ、手にして欲しい。

■関連リンク
大阪府立国際図書館
国際子ども図書館

2009-04-02 Life  消え行くものへむけて


8月6日「ひろしま」が遺したもの 失われた時間を込めて

2009-04-22 22:10:52 | カルチャーnews
写真集のタイトルがひらがなの「ひろしま」であるところに石内都さんの思いが込められている気がする

 

 美しいは、悲しい。かわいいは、せつない。こんな「広島」の切り取り方もあったのかと、石内都さんの写真集「ひろしま」(集英社)を手にして思った。

 ギンガムチェックのワンピース、花柄のフレアースカート、水玉のブラウス。セーラーの制服に足袋、草履、眼鏡。ライトボックスのやわらかな光の中で透過され、または太陽の光に包まれて、ひとつずつ丁寧に撮られている。45点にもわたるこれらの写真は、広島平和記念資料館にある1万9000点の被爆死した人の遺品と、被爆した品物のほんの一部だ。石内さんの手により、肌身に直接触れたものを中心として撮影された。

 戦時中というと、「ぜいたくは敵だ」と言われた時代だったので、当時の若い女性はみな絣(かすり)のモンペ姿なのだと思い込んでいた。けれど、戦火の下にあってもつつましい喜びとして、装っていた少女はいたのだと写真集を通して知る。浴衣を仕立て直したハンドメイドの服、花柄や葡萄の蔓(つる)のテキスタイルデザインの洋服、真っ赤な胡桃ボタン、フリルに白い糸でステッチをした手袋、薔薇の模様のついた防空頭巾(ずきん)。持ち主の思いも感じられる。

 とてもおしゃれだ。もしも今の時代に売られていたら、私も身に着けてみたくなっただろう。でもよく見ると、布には引きちぎられた跡がある。原形をとどめない個所もある。遺骨は見つからなかったが、上着だけがボロボロになって橋に引っかかっていたという服の一部もある。黒い雨に染められた下着も放射線で黒い模様だけが焼け抜けているブラウスもある。

 だから…… 事実とは裏腹に写真は、あまりにもけなげで美しく、かわいいから、心の底からこんこんとせつなさがわく。8月6日午前8時15分。その瞬間に途絶えてしまったかもしれない、服の持ち主のことを思わずにはいられない。

 今までも、原爆をテーマとした写真を見たことはあった。ただ、ほとんどがモノクロ写真で、時には目を覆いたくなるような悲惨な写真が多かった。

 けれど、この「ひろしま」の写真は、かつて見た「広島」の写真とは違った。これほどまでに親近感を持ち、その反面、悲しみを募らせる写真はなかった。

 石内都さんの写真は、いつも「時間」が見える。ある時は何重にも塗り込められた建物のペンキのはがれや、人間の足裏の皮膚、体に残る傷跡など「時間」を感じさせる写真が多い。今回も、「原爆資料」となってしまったモノたちの失われた時間と、持ち主をなくし、本来の意味からそれて「資料」として存在し続けてきた時間までもが、映し出されているようだった。

もうひとつの「ひろしま」

 写真集「ひろしま」を手にしたころ、私はシンガーソングライター沢知恵さんのアルバム「一期一会」(コスモスレコーズ)の中の「一本の鉛筆」という曲を聴いた。きれいな曲だな、となにげなく聴いていると、「戦争」「8月6日の朝」「命」という言葉が出てきた。歌詞にはほとんど説明的な文章は出てこない。けれど、断片的な言葉からこの曲は、広島の原爆投下から生き残った女性の思いだということが推測できた。

 どういういきさつのある曲なのか、興味を持って、調べていくと、「一本の鉛筆」(作詞松山善三 作曲佐藤勝)は、美空ひばりさんのオリジナル曲だったことが判明する。この「一本の鉛筆」は、1974年8月、広島テレビが主催した第1回広島平和音楽祭でうたうために作られた。1988年第15回の広島平和音楽祭でも美空ひばりさんは体調の悪さを押して出演し、「一本の鉛筆」をうたっている。美空ひばりさんの亡くなる10ヶ月前の話だ。

 なにかしらの表現ツールがあれば、たとえ一本の鉛筆だとしても反戦へのメッセージは送れる。戦争をリアルタイムに知らなくても心にじんわりと響いてくる歌だ。美空ひばりさんも好きな持ち歌ベスト10に入れるほど思い入れのある曲だったらしい。偶然にも今年の8月6日の午後に、広島市の原爆ドームの平和記念公園内で「一本の鉛筆」をうたうコンサート(広島ホームテレビ主催)が開かれるそうだ。再び、この歌が広島から発信される。

 原爆が落とされた朝、たくさんの人の時間は奪われた。そして、残された人たちにとって新たな時間が始まった。その時間の層は、今を生きる私たちの時間へとつながっている。

 2008年8月6日、広島に原爆が落とされてから63回目の夏がくる。

2008-08-04


「バードハウス展」に感動 小鳥を呼ぶ家を作ってみたい

2009-04-22 00:53:20 | カルチャーnews

2008-02-20  

 東京は京橋にある「INAXギャラリー」は、フリースポットながら毎回、独自性のある展示をしている。

 「小鳥を呼ぶ家 バードハウス展」(~2月23日まで)が、とても面白かった。

今展覧会のカタログ。読み物としても面白い

 

日本では「巣箱」というのが一般的だけれど、アメリカでは「バードハウス」と呼んでいる。それは「フェザードフレンド=羽の生えた友人のゲストハウス」という意味から、名づけられた。

 アメリカで、自宅の庭に野鳥を招く人は、バードハウス店の調査によると5千2百万人もいるそうだ。

 さらに、アメリカ農務省森林局のデータによると、2004年のアメリカ人のバーダー(バードウオッチングなどを楽しむ人)の数は、総人口(約3億人弱)の34パーセントにも上る。アメリカでは、野鳥を身近な友達として親しむ人が多いのだ。

 ギャラリーには、バードハウスの歴史や、世界各国の個性的なバードハウスの実物が展示されていた。とくに私の目を惹いたのは、現代建築家の作ったバードハウスの精巧な作りと、バードコール(鳥寄せの笛)のコレクションだ。バードコールは、どんな鳴き声がするのか、出来ることなら、音色を聞いてみたかった。

 樹の穴(ウロ)に巣を作る鳥たちにとって、バードハウスは、樹の穴の代替になる場所でもある。バードハウスは、産卵や子育て、台風や豪雨、寒冷期をしのぐ場所として利用される。動物に有用な樹木が、伐採などで失われてしまう今、バードハウスは行き場をなくした鳥たちのシェルターでもあるのだ。

 バードハウスの作り方のキャプションをギャラリーで見て、私も、家にバードハウスを置いてみたくなってしまった。ただし、バードハウスを設置したからといって、すぐに小鳥を呼べる家になるとは限らない。羽の生えた友人と友達になるには、愛情、忍耐、継続が大切なようだ。

 いつか私の家も小鳥の呼べる家になれたらいいだろうな、と思う。羽の生えた友人とバードハウスを通して、共生していけたら、素敵だろうな。

参考サイト INAXギャラリー

2008-02-20

 


知られざる葛飾北斎の画業 「赤富士」ばかりが北斎ではない

2009-04-22 00:06:09 | カルチャーnews

 2008-01-07

 江戸東京博物館で開催されている特別展「北斎 ヨーロッパを魅了した江戸の絵師」を見にいってきた。

 私は、浮世絵が好きで、葛飾北斎の作品もかなりの数を見てきたと自負している。けれど、今回の北斎展は、初めて観る作品も多く、発見の多い展覧会となった。

 展覧会のコンセプトは「知らなかった北斎」と、「知っている北斎」の作品展示にある。なんといっても今回の目玉は、「知らなかった北斎」であろう。展示の冒頭から、北斎の絵のイメージとはだいぶ違う肉筆画(版画ではなく直接、紙や絹に描いた1点もの)が並んでいた。怪しげな、光を意識したような色合いには、違和感を覚えるほどだった。実は、この「知らなかった北斎」の作品には、こんな背景があった。

北斎の「凱風快晴(通称・赤富士)」の年賀状は届いてないですか?

 江戸時代、長崎の出島に滞在していたオランダ商館長たちは、江戸城へ表敬訪問をするために、4年ごとに江戸へ出向いていた。そのときに、彼らは、江戸に住む北斎に肉筆画を依頼し、北斎工房の作品を祖国に持ち帰ったと言われている(その中には、ドイツ人医師・シーボルトもいた)。

 それらの作品は、現在、オランダ国立民族博物館とパリのフランス国立図書館に分蔵されており、今回、それらは初めて一緒に日本へ里帰りをし、「第一部 北斎とシーボルト」に展示された。だから、知らないのも無理はない。

 作品の中で、特に私が気になったのは、フランス国立図書館所蔵の4枚の肖像画であった。これらの作品は、浮世絵に見られる役者や花魁(おいらん)を描いたブロマイド風の絵とは違い、西洋画のタッチである。

 特に「町娘」(女優 高島礼子さんにそっくり)の絵は、背筋がぞくっとするほどリアルで妖艶(ようえん)だった。

 また、当時の人たちの日常を描いた風俗画でもあるので、江戸の生活を知ることもできる。季節がら江戸時代の凧(たこ)揚げを描いた作品に目がいった。かわいらしいデザインの凧も描かれていて、観ていると楽しい。

北斎の多彩なエネルギー

 「第2部 多彩な北斎の芸術世界」では、おなじみの北斎の作品が並ぶ。「凱風快晴(通称・「赤富士(ふじ)」)」や「神奈川沖浪裏」などの「富嶽36景」や、「諸国瀧廻り」、「諸国名橋奇覧」など有名なシリーズも展示されていた。

 「凱風快晴(通称・赤富士)」は、郵便局の出している2008年の年賀状にもなっているので特にオススメだ。「赤富士」は、夏の朝焼けを描いたもので、その作品意図からすれば富士山の色は、薄いオレンジ色のものが作風にあっている。ただし、この作品は、版画なので、何度も刷られているうちに赤みを増したと言われ、同じ「赤富士」でもものによって色味が違っているのだ。そういうことを踏まえて、作品を観ると、ライブでしか味わえない魅力を感じる。

 また、今回、「神奈川沖浪裏」で描かれている波の祖型となる作品「おしおくりはとうせんのず」も観られるので、ぜひ、見比べてほしい。「おしおくりはとうせんのず」を観ると、「神奈川沖浪裏」の、波が砕け散る表現に至るまでの過程を感じることができる。「神奈川沖浪裏」は、海外では「ビックウエーブ」と呼ばれ、ドビッシーも交響曲「海」を作るときにインスパイアされた作品だ。

 それにしても、今回の展覧会は、かなりの作品量で、第2部の終盤にもなると、かなり疲れてしまい、実は、一番観るのを楽しみにしていた「北斎漫画」まで集中力が持たなくなってしまった。北斎の作品を観ていると絵のパワーに、かなりのエネルギーが消耗される。特に生々しい肉筆画や迫力のある版画、緻密(ちみつ)な読み本や、刷り物などの作品に引き込まれる。やはり、北斎の魅力は、1つのジャンルに収まらない、古いけれども前衛的で不変な画力にあると思う。

 展覧会の副題に「ヨーロッパを魅力した江戸の絵師」とあるけれど、「ヨーロッパにこれほどまでにサービスしていた北斎」、「多作なアーティスト 葛飾北斎」という印象を受けた展覧会だった。また、「浮世絵がジャポニズムに影響を与えた」というコンセプトの企画展示はよく見られるけれど、今回の作品を観ると、逆に、「西洋画の遠近法や陰影の画法も浮世絵に影響を与えていた」という切り口からも展示できたのではないかと思う。

 特別展「北斎 ヨーロッパを魅了した江戸の絵師」は1月27日まで開催。ほか、名古屋市美術館、山口県立萩(はぎ)美術館などにも巡回予定。なお、浮世絵は、長期展示ができないので、会期中でも期間によって作品の展示が変わることもある。問い合わせてからお出掛けを。

【巡回予定】
◆名古屋市美術館: 2008年2月9日(土)~3月23日(日)
◆山口県立萩美術館・浦上記念館: 2008年4月5日(土)~5月18日(日)

■関連リンク
江戸東京博物館

2008-01-07


「香り」と「恋心」に酔う バルビエのイラストレーションと香水瓶展

2009-04-21 22:03:12 | カルチャーnews

2008-04-03

好きな人の香りというものは、よく覚えているものだ。特別につけている香りではなくても、使っているシャンプーや洗剤の香り、タバコのにおいなど、その人ならではの香りは忘れられない。香りによって、その人のことが、ふとよみがえってくることもある。

メセナ活動に力を入れている資生堂らしく、ハウス・オブ・シセイドウは入館無料
 
 

東京・銀座にあるハウス・オブ・シセイドウで3月下旬まで行われていた「香りと恋心 バルビエのイラストレーションと香水瓶展」は、そんな「香り」と「恋心」にスポットを当てた展覧会だった。

フランス学者の鹿島茂さんのコレクションの中から、20世紀を代表するイラストレーターのジョルジュ・バルビエの作品が展示されていた。モダンで洗練された男女の恋模様が描かれているバルビエのイラストは、ジャポニズム、シノワズリ(中国趣味)の影響を感じさせた。

驚くことに、これらのイラストは、ポショワールというステンシルのような技法の版画であった。その手の込んだ技法により、浮世絵のような微妙なニュアンスや色彩を生み出していた。イラストを見ていると、当時の時代の雰囲気が伝わってくるようだ。どういった恋物語が隠されているのか、想像するのも楽しかった。

私は、ジョルジュ・バルビエのことは、まったく知らなかったが、鹿島氏によると「アールデコからバルビエを引いてしまったら、アールヌーボーから(アルフォンス)ミューシャを引くようなもので、その魅力の大半が失われるに違いない」そうである。私も今回の展覧会で、ファンになってしまった。

バルビエのイラストと一緒に、ルネ・ラリックやバカラ社の香水瓶も展示されていた。香水瓶のデザインを美術作品として見るのは、新鮮でいろいろな発見があった。持ち主はどんな人だったのか、どんな場面でつけていたのか、考えるのもまた楽しい。クレオパトラやマリーアントワネットなど歴史上の人物が使っていた香りの展示もあった。それらを見ていると、昔のほうが、香りを大切にしていたような気がした。香りは恋愛の重要な小道具であったのだろう。

資生堂が、大正時代に作った「香水 月見草」も再現されていて、実際に香りを嗅(か)ぐこともできた。これは、見草がぱっと咲く「イメージ」を調合して作られた香水だった。当時としては画期的なことだったらしい。

嗅覚(きゅうかく)と想像力をフル稼働しているうちに、「香り」と「恋心」にすっかりと酔いしれてしまった。たまには、「香り」と「恋心」について思いをはせるのもいい。

2008-04-03

■関連リンク
HOUSE OF SHISEIDO