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シモクレン(紫木蓮) 二つの角度で見比べてみる

2009-04-22 23:50:30 | 日常の中のnews

2008-03-30

 花の形がハスに似ているので「モクレン(木蓮)」と呼ばれる。また、ランの花にも似ているので「モクラン(木蘭)」とも言う。どうしてオリジナルな名前をつけてもらえなかったのだろう、と思う。

 春にはこんなに存在感があるのに、モクレン科のコブシ(辛夷)には、ちゃんと独自の名前があるのになぁ……。

 シモクレン(紫木蓮)は、上から見ると、花びらの内側の白さが目立つ。花びらを広げて、とても華やかだ。

 下から見上げると、紫色の花の質感がビロードのポケットチーフのように見える。花の色も形も、上と下で見比べると、ちょっと面白い。

(3月18日、東京・市ヶ谷で)


森のトリュフチョコ? 自然の造形美に感心する

2009-04-22 23:46:07 | 日常の中のnews

2008-03-21

チョコレートのトリュフみたいだな、といつも思います。これはモミジバフウの実。いたずらで、お皿の上に置いておいたら、本当にチョコと間違えて手を伸ばしたひとがいました。

それにしても、見れば見るほど「どうしてこんな形をしているのだろう」と思います。自然の神秘ですね。

(2月25日、都内で)


まんさくの花 控えめだけど、惹かれる

2009-04-22 23:38:24 | 日常の中のnews

2008-02-28

まんさくの花は地味な花である。けれど、じっくりと細部まで見たくなる不思議な花でもある。

 黄色い紙を細長く切ってくっつけたかのような花びらの質感は面白い。咲き始めなのか、くるん、くるんとカールしていた。

 まんさくの花は、早春に「まず咲く」がなまって「まんさく」になった説と、「豊年満作」からきているという説があるそうだ。

 この季節、まんさくの花を見つけると、つい足を止めてしまう。控えめだけど、どこか惹(ひ)かれてしまう花だ。



(2月20日、東京・江東区の木場公園で)


白いごはんが食べられない   幼少時の食習慣にはご注意を

2009-04-22 22:38:31 | 日常の中のnews

2008-08-28 

 仕事で子どもを対象とした食育にかかわっていたとき、白いごはんが食べられない保育園児と出会った。その子の給食の食べ方は、まず、おかずだけを食べてしまい、最後に白いごはんを嫌がりながらほんのひと口食べて残す、を繰り返すというものだった。

 実は、そのような食べ方をする子は、その子だけではなかった。これまでも数人、幼児から小学生にかけて、似たようなケースを知っている。

 最初はなぜ、おかずだけを食べてしまい、白いごはんだけが手付かずの状態で残るのか分からなかった。しかし、いろいろと調べていくうちに、家での食習慣が原因であることに気づいた。

 その子たちが、家で白いごはんを食べるときは、お味噌汁をかけたり、ふりかけや生卵をかけて食べたり、ケチャップライスやおにぎりという形で、食べることが日常となっているようだった。要するに、ごはんに味をつけ、単体で完結させて食べていたのだ。だから、おかずと白いごはんを交互に食べるということが苦手、もしくはできないのだ。

 白いごはんは、それだけで食べるということは普通、しない。白いごはんには強烈な味があるわけではない。白いごはんは、おかずと一緒か、または交互に食べて、口の中で味をミックスさせて味わうものだ。これは「口中調味」と呼ばれる日本の食文化のひとつでもあり、日本人の味覚を培ってきたものだとも言える。

 口に入ってしまえば栄養としても同じなんだし、どんな食べ方をしたっていいじゃないか、と思われる方もいるかもしれないが、こうした食習慣の問題は大きい。特に幼少時は一生を決定してしまう場合がある。記者の友人も子どものころからの習慣を直せないまま大人になり、いまだに白いごはんが苦手で、ふりかけを常に持ち歩いている。

ごはん食回帰の中で

 最近、米食が見直されている。パンの値上がりなどによりお米が見直され、売り上げも伸びてきているそうだ。農林水産省が、朝ごはんの欠食改善や米を中心とした日本型食生活の普及・啓発を目的に行っている「めざましごはんキャンペーン」の効果も出てきているのかもしれない。

 7月11日の朝日新聞によると、レトルトカレーやカレールー、お茶漬け、ふりかけなど、「米まわり」商品の販売も米の需要とともに売り上げを伸ばしているという。

 日本人がごはんを1日1杯多く食べると食料自給率もアップするそうだ。ごはん食への復活傾向は歓迎すべきことだろう。そして、そんな「ごはん食回帰」の今だからこそ、ごはんの食べ方に多少なりとも気にかけて欲しいと思う。

 くだんの白いごはんが食べられない子どもたちへの対応は、スタッフの話し合いにより、給食では、一点集中型の「ばっかり食べ」ではなくて、おかずとごはんを交互にバランスよく食べられるように声がけをしていった。また、子どもの状況を保護者にも話し、家庭でも食べ方を意識してもらうようにした。

 学校給食は、給食費未納問題などでクローズアップされがちだが、こうした食習慣や食文化を伝える「場」としても、現在、見直されている。

2008-08-28


オリンピックとヌードの関係 目的のためならひと肌脱ぎます

2009-04-22 22:20:56 | 日常の中のnews

2008-08-20

 オリンピックが近づくにつれて、私はある予想をしていた。それは、オリンピックにかこつけて、きっと誰かが、脱ぐだろうということだ。現役の五輪選手がヌードになって鍛えられた体を披露し、話題になるだろうと思っていた。

 ただ今回は、なかなかそういう情報は聞こえてこなかった。なので、北京オリンピックではもうヌードの話題は出てこないのかなぁと思っていたところ、アテネオリンピックの女子200メートル平泳ぎの金メダリストであるアメリカの競泳選手アマンダ・ビアードさんが、8月6日に北京オリンピックの水泳競技場である国家水泳センター前で自分のヌード写真を発表していた。

 また産経ニュースによると、北京オリンピックへ出場するイギリス代表選手もヌードになっていた。これは、飲料メーカーのキャンペーンらしいが、自転車競技に出場するレベッカ・ロメロさんや三段跳び代表のフィリップ・イドゥーさんなどがヌードになっていた。

 やはり北京オリンピックでも脱ぐ選手は現れた。

 「オリンピックとヌード」の組み合わせは、2000年のシドニーオリンピックのころから多くなったのではないかと思う。1999年、オーストラリア代表の女子サッカーチームが、オリンピックの強化資金を作るためにヌード写真のカレンダーを作った。初版の1万5000部は完売し、トータルで5万部が売れる。(朝日新聞、2000年4月14日)

 このおかげで、オーストラリア代表の女子サッカーチームは、練習の設備も整い、スポンサーもつき、観客動員数も倍増できた。シドニーオリンピックでは、これに続きアメリカの陸上選手や水泳選手、オーストラリアのパラリンピックに出場する選手たちも、強化資金を得るために、男女問わずヌードカレンダーを作っている。

 マイナースポーツに関心を寄せて欲しい。オリンピックに出るための強化資金が欲しい。だから、ヌードになる、という流れは、前回のアテネオリンピックでもあった。日本で現役オリンピック選手がこのような趣旨のヌード写真を作った話は知らない。けれど、日本のオリンピック選手でも、強化資金を調達するために金銭的に苦労をしている選手たちはいる。

主張するヌード

 今回、ヌードになった競泳選手のアマンダ・ビア―ドさんが脱いだ理由は、毛皮反対をアピールするためであった。なので「強化資金」など競技にかかわる目的ではない。アメリカ国旗の前でバストを隠して立っているヌード写真には「あなたの皮膚だけで充分。毛皮の着用はやめよう」と訴えるコメントが添えられている。オリンピックの「場」からそうした考えを広めたいらしく、選手村にポスターをはってまわったそうだ。

 こういった主義主張・社会運動のためにヌードになる話を、近ごろよく聞く。1999年にイギリスで発売され、30万部ものセールスを記録した「婦人会ヌードカレンダー」も、白血病で夫を亡くした友人を励ますために、また、カレンダーの売り上げを病院へ寄付するために婦人会の有志たちがヌードになったものだ。この話は、2003年、「カレンダーガールズ」として映画にもなる。

 日本でも2008年3月に乳がん撲滅のピンクリボン運動の一環として、写真家の蜷川実花さんが人気モデルやタレントのヌード写真を撮った。「オセロ」の中島知子さんがヌードになって話題になっていた。

 また、2007年8月には、地球温暖化に警鐘を鳴らすキャンペーンとして、国際環境保護団体「グリーンピース」が、集団ヌード撮影で有名な写真家スペンサー・チュニック氏に依頼をして、アルプス氷河で約600人の集団ヌード写真を撮った。ヌードになるために集まったのは、キャンペーンに賛同した一般人のボランティアである。

 かつては、「芸術のためなら脱ぎます」と言ってヌードになる人はいたが、10年くらい前から「なにかの活動のためなら脱ぎます」というケースが急増した気がする。そういった動きは、既成のヌード(?)に対するアンチテーゼを感じたり、小気味よさもあってある種、爽快(そうかい)だ。ただし、思いとは裏腹に消費というルートにのってコンテクストが変わってしまう可能性もなきにしもあらずだ。そんなこともあり、常にこの話題は、賛否両論がつきまとう。

 ちなみに、古代オリンピックは全裸で競技が行われていた。ただし、古代オリンピックは選手も観客も男性だけだった。

2008-08-20