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記録として ※ 「オーマイニュースとは」 より

2009-04-24 04:11:49 | オーマイニュースとは(記録)

※「オーマイニュースとは → 初めての方へより 」 引用

オーマイニュースは、「市民記者」の皆さんからの記事を募集しています!

 オーマイニュースでは、誰でも「市民記者」になることができます。あえて「市民」という言葉を使っていますが、これは読者、視聴者、消費者、ユーザー、プロシューマー(生産・消費者)、納税者、生活者など、いろいろな取り方をしていただいて結構です。記事執筆を生業(なりわい)とはしていないけれど、新しい情報、伝えたい情報を持っていているすべての人の参加が可能です。

 そのむかしの米国で「パブリック(市民)とはしょせんファントム(幻想・おばけ)なのだ」と悲観したW・リップマンという人がいました。それから約1世紀、その市民が責任ある社会参加を進める主体か否か、さまざまな議論が繰り広げられてきたわけですが、その答えはいっこうに見えてきませんでした。ネットとパソコンの登場というIT革命のおかげで、一気にこの問題の決着が付くのかもしれません。

  マスメディアの時代からユニバーサルメディアの時代へ。いままでメディアに対して「受け手」でしかなかった市民が、複数のメディアを選べる「送り手」になれる世の中に突入したのです。マスメディアに頼らなくとも、この状況が進展するほど、市民社会における言論は多様化します。そこで、市民には異質な他者を許容する心構えが必要です。他方、うつろな意見も流布され、残念ながら民主主義の理念から遠のいてしまうというアンビバレントな問題が発生してしまうのです。これは市民社会に対して、一人ひとりの市民がより責任ある態度が求められることを意味します。  

 いまから約1世紀前のミュンヘン。M・ヴェーバーという人が暗くて細長い書店の小ホールで演説しました。ジャーナリズムとは情熱と判断力の2つを駆使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくりぬいていくような作業だと。取材・報道の自由は市民が獲得してきた基本的人権です。その自由とは勝手とは違い、責任を伴うことを肝に銘じなければなりません。市民一人ひとりが取材・報道の自由を使って権力を監視する時代が到来したのです。 「市民記者はいったいどんな記事を書けばいいの?」。よく、こんな質問を受けます。「仕事上や暮らしの関心・話題でも十分ニュースになります」。わたしたちはこう答えます。ただし、「暮らしの中の出来事」であっても、それが大勢の人々に向けた社会的な文脈の中で語られなければなりません。記事は私的なメールのやり取りとは違います。記事には多くの読者がいることを意識してください。読者に誤解を与えないよう、納得してもらうために書かれなくてはなりません。  

 今夏から市民記者が取材と記事執筆のためのトレーニング制度を設けます。すでに市民記者に登録しているひと、これから市民記者になろうとしているひとを対象にします。書くテーマの探し方、基本的な取材の仕方、そして記事の書き方と写真の撮り方を分かりやすく説明します。また、その後の定期的なトレーニングの機会なども設ける予定です。

 さらに、オーマイニュースの編集スタッフが市民記者のみなさんをサポートします。お送りいただいた記事の基本的なチェックはもちろん、場合によっては記事がよりよくなるようサポートさせていただければと考えています。 (オーマイニュース) オーマイニュースからのお願いはたった1つだけ。オーマイニュースでは原則、実名で記事投稿をしていただきたいということ。「実名で書いて、ネット上で個人攻撃にさらされるのは嫌だ」。現状、そういうことがネット上で問題になっています。しかしこれは、ネットであるべき正しい環境とはいえません。それを一緒に、風通しのよい環境に変えていきませんか。

 オーマイニュースでは、記事は実名、記事に対する「この記事にひと言」はニックネーム+ユーザーIDという形で、個人攻撃や“荒らし”を極力排除しようとしています。「責任ある発言、責任ある参加」という我々のポリシーにあなたも賛同していただければ、その分だけ、個人攻撃や“荒らし”を当然視する環境がよい方向へと変わっていきます。ぜひ一緒に信頼あるメディアを作っていきましょう。

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