
2種類のアイデンテイテイ殺人事件●
この事件では、二人の児童が被害に遭われているわけですが、特徴は、「連続」ではなく「不連続」的な児童連続殺人事件ではなかったかと見ています。
最初の被害者は、過剰防衛と自己の取り違えを利用したアイデンテイテイ殺人の組み合わせからなる事件で、豪憲君の場合は、スランプ殺人とアイデンテイテイ殺人の組み合わせからなる事件ではないかと見ています。
どういうことかといいますと、鈴香被告は実父と強い依存関係にあり、この関係のコピーが鈴香被告と愛児彩香ちゃんなわけですよ。ですから、鈴香被告は実父との依存関係にひびが入ると、愛児彩香ちゃんへのネグレクトが加速するというように、一種の時限爆弾を取り付けた、危険な母子生活を送っているわけですよ。
そうして実父との依存関係が破綻(これは、父親の院内暴力が関係するかも。あるいは、生活援助の打ち切り)してしまうと、あらかじめ用意していた時限爆弾の安全装置を取り外し、時間をセット。・・・・・
無論、爆発の瞬間は、わが身を危険にさらしますから、遠くにいます。
《これを可能にするのが、解離性同一性障害者》
次の豪憲君の場合は、事件後、豪憲君の父親の好意で差し出した生前の彩香ちゃんと豪憲君の遊ぶシ-ンを撮影したビデオテープが「悪魔のささやき」として利用されたみたいですね。
次の引用(「弁護側冒頭陳述」)は、『MEPHIST』から引っ張ってきましたが、父親の暴力をうけてのPTSDによる人格障害という説が本当に思えてきますね。
被告の小学時代は、心無い教師の言葉がヒントになって、「心霊写真」なんてあだ名がつけられていたとのことですが、授業中に、意識が飛ぶことが頻繁だったということでしょう。
■父親は機嫌が悪いと、小学生の鈴香に平手打ちをしていた。理不尽な振る舞いは中学からエスカレートし、殴る蹴るの虐待を高校卒業まで受けたが、鈴香はずっと耐えていた。この心理的肉体的虐待は、解離性障害の素地となった。(『MEPHIST』「畠山鈴香」)
URA:http://shadow99.blog116.fc2.com/blog-entry-85.html
ここで浮かび上がってくるのが、「遺棄」の恐怖。
たとえば、娘の鈴香が親のいうことを聞かないと、「棄てるぞ」と脅したのではないでしょうか(あるいは、「出て行け」という言葉に代表される「追放」の恐怖)。
この場合、棄て場所が「川」だったのではないでしょうか。
いま、この論拠を示すのは困難な状態にありますが、親と折り重なった「川」への恐怖のイメージを幼いころに植えつけられたのではないかと、拝察。
仮に、親子が強い依存関係にあるとすれば、子がかかる恐怖で縛られていたとしてもおかしくはありません。
一方で、「あたしを棄てたいのなら、・・・」と反抗した形跡も認められます。
ですから、この父子に関する限り、依存しあっているのか、反対に、背きあっているのか、わからないところがあるわけです。
ここで仮に、鈴香被告がPTSD患者であり、「遺棄の恐怖」が外傷として残っていれば、彼被告の人生最大の目標は、「自己確立(女子→母親)」ではなく、「遺棄の恐怖越え」と取り違えられたことは十分に考えられます。
この場合の優先順位は、やはり、心の病の克服が先で、「自己確立」は後回しですよね。
ところが、ずるずると克服も「自己確立」もできないまま、できちゃった婚なんかで親になるわけですが、どうしたって未熟な母親にとどまっている問題がそこにはっきりと現れています。
■(鈴香被告公判検察側冒頭陳述)第4 彩香ちゃん殺害の犯行状況等
(1)このように、被告人はかねてから彩香ちゃんに対し、時にはその死を願うほどの強い疎ましさを募らせていたところ、18年4月9日午後6時すぎごろ、自宅において、彩香ちゃんから川を遡上(そじょう)する魚を見たいと強くせがまれるなどしたことで彩香ちゃんに対するいらだちや嫌悪の念が極限に達した。
そこで、被告人は日没後の午後6時35分ごろ、被告人が日常使用している白色軽自動車(以下「被告人車両」という)に彩香ちゃんを乗せ、自宅から車で約5分の距離にあるフジ琴川に架かる大沢橋に向かった。
被告人は、同日午後6時40分ごろ、大沢橋上の幅員が広くなっている退避所に同車を止め、同車と橋の欄干の間で彩香ちゃんと2人でかがみ込み、欄干のすき間から川をのぞいたが、川の中で泳ぐ魚は全く見えない状態であった。
大沢橋付近の藤琴川は、川幅が約60メートル、欄干上から水面までの高さが8メートル弱であり、被告人と彩香ちゃんがいた直下付近の水深は、最深部で約1・5メートル前後であった。
被告人は、遅くともこのころまでには、日没後で人目もないこの場でならば、彩香ちゃんを大沢橋上から川中に突き落として水死させる方法で人知れず殺害することができると考え、彩香ちゃんの殺害を決意した。
(2)被告人は同日午後6時45分ごろ、魚を見たがる彩香ちゃんに対し、「それなら橋の上に乗れば。乗らないんなら帰るよ」ときつい口調で欄干に上るよう命じた。
そして、被告人は、「お母さん、手を離さないでね」と何度も繰り返し懇願し、おびえながら被告人の命令に従おうとする彩香ちゃんの尻を両手で支えて持ち上げて彩香ちゃんを欄干上に乗せ、その両足を欄干の外側に出した形で座らせた。
そして、被告人は恐ろしさの余りに「お母さん、怖い」と言いながら、上半身を左後方にひねって被告人にしがみつこうとした彩香ちゃんの左肩付近を殺意をもって左手で力いっぱい押して、彩香ちゃんを欄干上から川の中に突き落とした。
彩香ちゃんは、「お母さん」と叫び声を上げながら真っ逆さまに落下し、川底に頭部を強く打ちつけた上、そのまま下流に流されていく中で、溺水により窒息死した。(『MEPHIST』「畠山鈴香」)
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■第5彩香ちゃん殺害後の状況および憲君殺害などに至る経緯等
(1)被告人は、彩香ちゃんを川中に突き落として殺害した後、その発覚を恐れ、直ちに被告人車両に乗り込み、人目に付きにくいと考えた道を選んで自宅に逃げ戻り、さらに、自らが、彩香ちゃんを殺害したことを隠蔽(いんぺい)するため、同日午後7時前後ごろから、近隣住民に対し、彩香ちやんが1人で自宅を出てそのまま行方不明になった旨の虚偽の事実を告げて回り、実家、彩香ちゃんの友人方、学校関係者らにもその旨を電話連絡するなど、あたかも彩香ちゃんを探しているように装った上、同日午後7時45分、110番通報し、駆け付けた警察官に対し、「彩香は河原に行って石ころを集めて来るのが好きだ」などと言て、彩香ちゃんが川辺に行って自らおぼれた可能性を示唆するなどした。
その後、警察などによる捜索の結果、翌10日午後1時35分ごろ、大沢橋から約3・8キロメートル離れた藤琴川下流の浅瀬上で、彩香ちゃんの水死体が発見された。
(2)被告人は、自らが彩香ちやんを殺害したことを隠蔽しようと工作し、殺害直後には、警察官に自ら事故の可能性を示唆するなどしていたが、彩香ちゃんを溺愛(できあい)していた母が、彩香ちやんの死体が発見されるや、動揺の余り狂乱して泣き叫んだり、親類らとともに、彩香ちゃんが何らかの事件に巻き込まれて死亡したに違いないと興奮して騒ぎ立てるのを見るなどしているうちに、母らの手前、彩香ちんが何らかの事件に巻き込まれて死亡したに違いないと主張せざるを得くなった。
そこで、被告人は、その後、警察に対し、彩香ちゃんの死の原因究明を強く求め、あるいは、マスコミに彩香ちゃんの死の事件性を訴え、彩香ちゃんについての情報提供を求めるビラを作成して近所に配布するなどの行動を取ることで、自分が彩香ちゃんを殺害していないかのように装った。
そうした中、豪憲君の父は、娘を亡くした被告人の気持ちを慰めようとの好意から、彩香ちゃんが豪憲君らと一緒にシャボン玉遊びをする場面等を撮影したビデオテープをダビングし被告人に渡していた。
(3)被告人は、その後も、自ら彩香ちゃんを殺害していながら、これを真摯(しんし)に悔悟・反省せず、自らが彩香ちゃんを殺害したという現実からあえて目を背け、彩香ちゃんを殺害した犯人がいる旨、警察、マスコミ、近隣住民らに彩香ちやんの死の事件性を訴え続けた。
このように、被告人は、警察、マスコミ、近隣住民らに彩香ちゃんの死の事件性を訴えたが、そうした自己の働き掛けが必ずしも積極的に取り上げられなかったため自分が社会から不当に無視されていると受け取り、そのような社会に対する激しい憎しみの感情を強めていき、同年5月3日には、能代警察署内で激高して壁をけるなどの騒ぎを起こすなどしていた。
そして、さらに、被告人は、同年4月下旬ないし5月上旬ごろからは、子供に対する誘拐事件などを引き起こせば、社会に思い知らせてやることができるなどと漠然と考えるようになっていき、時には催涙スプレーを携えて、被告人車両で誘拐する子供を探し回るなどしていた。
さらに、同年5月14日および15日には、運動会やその代休日に元気な振る舞いを見せる豪憲君ら彩香ちゃんの友達だった地域の子供たちに対しても、社会に対する憎しみと同様な八つ当たり的な恨みの念を抱くようになっていった。(同上)
この事件では、二人の児童が被害に遭われているわけですが、特徴は、「連続」ではなく「不連続」的な児童連続殺人事件ではなかったかと見ています。
最初の被害者は、過剰防衛と自己の取り違えを利用したアイデンテイテイ殺人の組み合わせからなる事件で、豪憲君の場合は、スランプ殺人とアイデンテイテイ殺人の組み合わせからなる事件ではないかと見ています。
どういうことかといいますと、鈴香被告は実父と強い依存関係にあり、この関係のコピーが鈴香被告と愛児彩香ちゃんなわけですよ。ですから、鈴香被告は実父との依存関係にひびが入ると、愛児彩香ちゃんへのネグレクトが加速するというように、一種の時限爆弾を取り付けた、危険な母子生活を送っているわけですよ。
そうして実父との依存関係が破綻(これは、父親の院内暴力が関係するかも。あるいは、生活援助の打ち切り)してしまうと、あらかじめ用意していた時限爆弾の安全装置を取り外し、時間をセット。・・・・・
無論、爆発の瞬間は、わが身を危険にさらしますから、遠くにいます。
《これを可能にするのが、解離性同一性障害者》
次の豪憲君の場合は、事件後、豪憲君の父親の好意で差し出した生前の彩香ちゃんと豪憲君の遊ぶシ-ンを撮影したビデオテープが「悪魔のささやき」として利用されたみたいですね。
次の引用(「弁護側冒頭陳述」)は、『MEPHIST』から引っ張ってきましたが、父親の暴力をうけてのPTSDによる人格障害という説が本当に思えてきますね。
被告の小学時代は、心無い教師の言葉がヒントになって、「心霊写真」なんてあだ名がつけられていたとのことですが、授業中に、意識が飛ぶことが頻繁だったということでしょう。
■父親は機嫌が悪いと、小学生の鈴香に平手打ちをしていた。理不尽な振る舞いは中学からエスカレートし、殴る蹴るの虐待を高校卒業まで受けたが、鈴香はずっと耐えていた。この心理的肉体的虐待は、解離性障害の素地となった。(『MEPHIST』「畠山鈴香」)
URA:http://shadow99.blog116.fc2.com/blog-entry-85.html
ここで浮かび上がってくるのが、「遺棄」の恐怖。
たとえば、娘の鈴香が親のいうことを聞かないと、「棄てるぞ」と脅したのではないでしょうか(あるいは、「出て行け」という言葉に代表される「追放」の恐怖)。
この場合、棄て場所が「川」だったのではないでしょうか。
いま、この論拠を示すのは困難な状態にありますが、親と折り重なった「川」への恐怖のイメージを幼いころに植えつけられたのではないかと、拝察。
仮に、親子が強い依存関係にあるとすれば、子がかかる恐怖で縛られていたとしてもおかしくはありません。
一方で、「あたしを棄てたいのなら、・・・」と反抗した形跡も認められます。
ですから、この父子に関する限り、依存しあっているのか、反対に、背きあっているのか、わからないところがあるわけです。
ここで仮に、鈴香被告がPTSD患者であり、「遺棄の恐怖」が外傷として残っていれば、彼被告の人生最大の目標は、「自己確立(女子→母親)」ではなく、「遺棄の恐怖越え」と取り違えられたことは十分に考えられます。
この場合の優先順位は、やはり、心の病の克服が先で、「自己確立」は後回しですよね。
ところが、ずるずると克服も「自己確立」もできないまま、できちゃった婚なんかで親になるわけですが、どうしたって未熟な母親にとどまっている問題がそこにはっきりと現れています。
■(鈴香被告公判検察側冒頭陳述)第4 彩香ちゃん殺害の犯行状況等
(1)このように、被告人はかねてから彩香ちゃんに対し、時にはその死を願うほどの強い疎ましさを募らせていたところ、18年4月9日午後6時すぎごろ、自宅において、彩香ちゃんから川を遡上(そじょう)する魚を見たいと強くせがまれるなどしたことで彩香ちゃんに対するいらだちや嫌悪の念が極限に達した。
そこで、被告人は日没後の午後6時35分ごろ、被告人が日常使用している白色軽自動車(以下「被告人車両」という)に彩香ちゃんを乗せ、自宅から車で約5分の距離にあるフジ琴川に架かる大沢橋に向かった。
被告人は、同日午後6時40分ごろ、大沢橋上の幅員が広くなっている退避所に同車を止め、同車と橋の欄干の間で彩香ちゃんと2人でかがみ込み、欄干のすき間から川をのぞいたが、川の中で泳ぐ魚は全く見えない状態であった。
大沢橋付近の藤琴川は、川幅が約60メートル、欄干上から水面までの高さが8メートル弱であり、被告人と彩香ちゃんがいた直下付近の水深は、最深部で約1・5メートル前後であった。
被告人は、遅くともこのころまでには、日没後で人目もないこの場でならば、彩香ちゃんを大沢橋上から川中に突き落として水死させる方法で人知れず殺害することができると考え、彩香ちゃんの殺害を決意した。
(2)被告人は同日午後6時45分ごろ、魚を見たがる彩香ちゃんに対し、「それなら橋の上に乗れば。乗らないんなら帰るよ」ときつい口調で欄干に上るよう命じた。
そして、被告人は、「お母さん、手を離さないでね」と何度も繰り返し懇願し、おびえながら被告人の命令に従おうとする彩香ちゃんの尻を両手で支えて持ち上げて彩香ちゃんを欄干上に乗せ、その両足を欄干の外側に出した形で座らせた。
そして、被告人は恐ろしさの余りに「お母さん、怖い」と言いながら、上半身を左後方にひねって被告人にしがみつこうとした彩香ちゃんの左肩付近を殺意をもって左手で力いっぱい押して、彩香ちゃんを欄干上から川の中に突き落とした。
彩香ちゃんは、「お母さん」と叫び声を上げながら真っ逆さまに落下し、川底に頭部を強く打ちつけた上、そのまま下流に流されていく中で、溺水により窒息死した。(『MEPHIST』「畠山鈴香」)
URA:http://shadow99.blog116.fc2.com/blog-entry-85.html
■第5彩香ちゃん殺害後の状況および憲君殺害などに至る経緯等
(1)被告人は、彩香ちゃんを川中に突き落として殺害した後、その発覚を恐れ、直ちに被告人車両に乗り込み、人目に付きにくいと考えた道を選んで自宅に逃げ戻り、さらに、自らが、彩香ちゃんを殺害したことを隠蔽(いんぺい)するため、同日午後7時前後ごろから、近隣住民に対し、彩香ちやんが1人で自宅を出てそのまま行方不明になった旨の虚偽の事実を告げて回り、実家、彩香ちゃんの友人方、学校関係者らにもその旨を電話連絡するなど、あたかも彩香ちゃんを探しているように装った上、同日午後7時45分、110番通報し、駆け付けた警察官に対し、「彩香は河原に行って石ころを集めて来るのが好きだ」などと言て、彩香ちゃんが川辺に行って自らおぼれた可能性を示唆するなどした。
その後、警察などによる捜索の結果、翌10日午後1時35分ごろ、大沢橋から約3・8キロメートル離れた藤琴川下流の浅瀬上で、彩香ちゃんの水死体が発見された。
(2)被告人は、自らが彩香ちやんを殺害したことを隠蔽しようと工作し、殺害直後には、警察官に自ら事故の可能性を示唆するなどしていたが、彩香ちゃんを溺愛(できあい)していた母が、彩香ちやんの死体が発見されるや、動揺の余り狂乱して泣き叫んだり、親類らとともに、彩香ちゃんが何らかの事件に巻き込まれて死亡したに違いないと興奮して騒ぎ立てるのを見るなどしているうちに、母らの手前、彩香ちんが何らかの事件に巻き込まれて死亡したに違いないと主張せざるを得くなった。
そこで、被告人は、その後、警察に対し、彩香ちゃんの死の原因究明を強く求め、あるいは、マスコミに彩香ちゃんの死の事件性を訴え、彩香ちゃんについての情報提供を求めるビラを作成して近所に配布するなどの行動を取ることで、自分が彩香ちゃんを殺害していないかのように装った。
そうした中、豪憲君の父は、娘を亡くした被告人の気持ちを慰めようとの好意から、彩香ちゃんが豪憲君らと一緒にシャボン玉遊びをする場面等を撮影したビデオテープをダビングし被告人に渡していた。
(3)被告人は、その後も、自ら彩香ちゃんを殺害していながら、これを真摯(しんし)に悔悟・反省せず、自らが彩香ちゃんを殺害したという現実からあえて目を背け、彩香ちゃんを殺害した犯人がいる旨、警察、マスコミ、近隣住民らに彩香ちやんの死の事件性を訴え続けた。
このように、被告人は、警察、マスコミ、近隣住民らに彩香ちゃんの死の事件性を訴えたが、そうした自己の働き掛けが必ずしも積極的に取り上げられなかったため自分が社会から不当に無視されていると受け取り、そのような社会に対する激しい憎しみの感情を強めていき、同年5月3日には、能代警察署内で激高して壁をけるなどの騒ぎを起こすなどしていた。
そして、さらに、被告人は、同年4月下旬ないし5月上旬ごろからは、子供に対する誘拐事件などを引き起こせば、社会に思い知らせてやることができるなどと漠然と考えるようになっていき、時には催涙スプレーを携えて、被告人車両で誘拐する子供を探し回るなどしていた。
さらに、同年5月14日および15日には、運動会やその代休日に元気な振る舞いを見せる豪憲君ら彩香ちゃんの友達だった地域の子供たちに対しても、社会に対する憎しみと同様な八つ当たり的な恨みの念を抱くようになっていった。(同上)